第8話 ハンガーにはフックが必要です。
「ティナ、見てくれ!! はんがーとやらはこんな形か!?」
右手に、フックのない木製のハンガーを掲げてジグさんが叫ぶ。
私が濡れた雨具を掛けるためにハンガーの話をした時、それを聞いた木工工房の元親方のジグさんは、歪んだ窓ガラスに息を吐きかけ、指で描いたハンガーの絵を頼りにハンガーを作ってしまった。すごい。
「ジグさん、それハンガー!! すごい!! さすが木工工房の親方さん!!」
正確には、ジグさんは元親方だ。ジグさんの木工工房は、今は息子のシドさんが継いでいるから。
「すごいか!! そうか!!」
ジグさんは喜ぶ私の頭を撫でて、ハンガーを手渡してくれた。木製のハンガー。少し重くて、でも表面がつるつるしていて、木のいい匂いがする。
「あのね、でも、この三角の真ん中の角のところにフックをつけるの」
「ふっく?」
フックの意味がわからずにジグさんは首を傾げる。私は手渡されたハンガーに、人差し指を丸く曲げてフックの形にして見せた。
「ハンガーに服を掛けて、このフックを棒に掛けて使うんだよ。そうしたら服が皺になりにくいの」
ハンガーにフックが必要な理由を説明すると、ジグさんは大きく肯き、私に右手を差し出す。
「今すぐにふっくとやらをつけてくる。はんがーを返してくれ」
「別に今すぐじゃなくてもいいじゃないか。ジグ親方、またエールで乾杯しよう」
「酒など飲んどる場合じゃないわ!!」
酔っ払ったお父さんを一喝し、私からハンガーを受け取ったジグさんはものすごい勢いで走って行ってしまった。
結局、その日、ジグさんは食堂に来ることはなく、食事とお酒の代金を貰い損ねたお母さんはちょっと不機嫌になっていた。きっと、明日、ハンガー本体にフックをつけた物を持って、ジグさんは食堂に来てくれると思う。
運命の女神様、明日、ジグさんは食堂に来てくれますように。
運命の女神様を信仰していることを大っぴらに話さない方がいいんじゃないかと考えた私は、心の中で運命の女神様に祈る。口に出さなくても、祈れば信仰値は上がった。運命の女神様には私が心に思っていることが全て筒抜けなのだろうか。それはかなり怖くて嫌だ。
晩ご飯を食べ終えて口を濯ぐ。歯ブラシって無いのかなあ。
「お姉ちゃん。歯ブラシって無いの?」
私は、私の後に口を濯ぎ終えたお姉ちゃんに尋ねた。
「はぶらし? なあに、それ? 本で読んだの?」
「うん。歯を磨くブラシのことだよ」
ティナが歯ブラシの本を読んだかはわからないけど、日本の記憶だとは言えずにそう言う。
「ぶらしというのが何なのかわからないけど、塩歯磨きなら昨日したでしょ?」
怪訝な顔をして言うお姉ちゃんに、私は慌てて自分の中にあるティナの記憶を確認する。……確かに、昨日、ティナは塩を人差し指につけて歯をこすっていた。
「今日は塩歯磨きしないの?」
「塩歯磨きはだいたい3日おきくらいにしてるでしょ。塩はすごく高価だから、無駄遣いできないのよ」
「塩って、豊穣の女神様の神殿で買えるんじゃないの? お母さんは豊穣の女神様を信仰してるから、安く売って貰えるんだと思ってた」
「塩は豊穣の女神様じゃなくて、叡智の神様からの賜り物じゃない。平民学校で習ったはずよ」
「そうだった? 覚えてない」
私は笑ってごまかそうとする。凛々子の常識と感性で話すと、変なことばっかり言っちゃうみたいでつらい。
「ティナは本ばっかり読んでいたから、必要な知識を忘れちゃうのよ」
「そうかも。ごめんなさい」
「別に、謝る必要はないけど……。お父さんもお母さんも、うちにお金があったらティナに本を買ってあげたし、平民学校を続けてもいいって言えたと思うわよ」
お姉ちゃんはそう言いながら、私の頭を撫でた。今のお姉ちゃんの言葉、ティナが聞いたら喜んだかな。それとも悲しい気持ちになっただろうか。
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