第2話 来訪

「ただいま」

 洗濯物をがさごそしながら母が問う。

「神様からは何か?」

「んん。いつも通り」

 配膳された朝食に手をつける。湯気がはけて、朝を過ぎたぬるさが漂う。

「ゆるんだ襟、直してもらった」

「あんたねぇ……新しいの繕ったら?もうぶかぶかじゃないそれ」

 布地用の羊毛が売る分しかないのに、そんなこと言われても……。

「羊の早期作だね」

「どういうこと?」

 伝わらなかった。


「ハル、それ食べたら洗い台に出して、神様の昼餉の用意はしとくから機織りに回って。今日あたり、行商さんが来るから」

「行商。……行商?」

「まだ聞いてなかった?前の晩盛節から一月経ったじゃない。だから寒さの前に薪を買おうって、みんな大忙しよ」

「……あ~、はぁ。わかった」

 まだ備えるには間がある季節な気もするけど、去年は「凍ての翼」、つまり寒波が早く来たからなあ。さもありなん、か。

 食事を終える。神様とは違いちゃんとした、でも味気ないいつものご飯。片付けながら思う。

 機織りは苦手だ、それに付随する世間話とかも。糸がごっちゃになるし、女の人たちの話についていけない。


 家四軒分離れた機織り場へ入ると、がたがたと大きな稼働音、それに負けない大きさのおしゃべりが聞こえてきた。入りづらい……。

「……おはよう、ございます」

 入り口付近だけ雑談が止まり、化粧がなされた目がいっぱいこちらを向いた。


「お。おはよー。ハルかー」「めずらしー」「お母さんは?今日は畑?」「それより聞いてよぉ、アルマエルのアホがさー!」「あんったうるさいわよ」


 言葉の洪水。いまだに慣れないもの。

 この中で一番年上の女の人が上半身を乗り出して、奥のかごを指した。

「ハルは完成した布の端を処理してて。毛焼きと洗い、仕上げは後で男連中にしてもらうから」

「あっ、はい。そう、します」

 言われたとおりにひたすら仕事をした。午前中ずっと。


「あいつ隣村の女にも粉かけててぇ!」「はいはい」「でもさぁ、渦羽うずばねもらったんでしょ?一つしか生えないやつ」「この前料理失敗して……」「教えたげよっか」「コマさぁ、一品物しか作れないでしょ」「最近日が短くて寝すぎちゃう~……」「え、そう?」「そういえば今日」「行商!来るんでしょ」「それ知ってる!」「いいおしろい揃ってるかな」「私紅欲しい!」

 かたたたん、たたん、ぴしゃり、からん、がたたん。


 杼が飛ぶ。話が飛躍し、糸が詰まる。うっすらとした油分のにおいで、息が止まるようだ。ぼくがただただ布の端を切り仮縫いする横で、きちりと仕上げられた羊布が山積みになる。正しく上下する綜絖の音に、心の内の沈んだ部分が絞られた。



 時は過ぎ、まさに昼。季を経るごとに温度のなくなりつつある太陽を背に、ぼくはまた牢へ行く。

 外では馬車が来る来ないで騒ぐ若者たちが詰めかけている。

 ぼくもこの役が無かったら、あそこにいただろうか?……本来はぼくらせん守りの仕事では、ないんだけれど。


 真ん中ほどで毎回引っかかる扉を引き開けた。空気は隔絶され、邑の中より幾段低い。代わりに湿気が常在する。

 神様はややおっくうそうに何かの本を読んでいた。

「あー……失礼しまぁす。お昼でーす」

 母に聞かれたら怒られそうな、間延びしたあいさつ。

 神様はぼくの襟を見た。朝に着替えたのであわせ目は問題なく閉じている。神様はそれを確認し、読書に戻った。たしか、ぼくの両親が彼女の世話をしていた頃の本だ。神様のお母さんが何度も頼んで、たのんで置かせたそう。昔は絵ばかりの本を贈っていたが、今のぼくが知る限りではどこかも知らない言葉の書物を、枷のかかった手でめくっている。いつの間にか。


 朝と同じく食事を済ませ、次の作業へ。牢のさらに奥、厳重に仕切られた場所。神様が反応して動いたか、また、鎖の音がした。

「……………………。」

 ぼくはその隅にあった蓋つきの桶を手に取った。

 ……彼女は、排泄物の処理をするとき、必ず姿を隠そうとする。消えようとするかのごとく、顔を背け。だから桶は、さっさと木牢の裏手にある水路──川につながっている──でざばっと流してしまう。誰だって、不浄を見られるのは嫌だ。ぼくもそうだ。

 でも、イネルファ・タウトを悪意を持って見る人はこの邑、「ラコリス」にはいない。昔はこの排泄物すらも利用しかけたこともあった。ただし女の人たちからの猛反対があって、やめになったようだ。


 なんて、ごちゃごちゃしたくだらない考えも洗い流して、一通り清掃を終わらせた。神様は一周回って仏頂面になっていた。慣れと羞恥と嫌悪をごちゃまぜにした感じ。

 ──そう思っていると、あれっ。なんだか神様がそわそわしている?


「あの……、どうかしましたか。気になることが?」

 近付くと、そのに貫かれた。そんな考えが、ぱっとよぎった。


 何もかもを見通す目だ。薄い色なだけじゃない、先とは違う神の目。誰とも違うその神性。神様が神様としてまつり上げられる基になった、一つ。


 しじまが場を覆う。汗が落ちた。……しばしばと瞬きした神様は、すぐ手で目を隠すように覆ってしまった。

「大、丈夫なんですか?いまなにか」

 確固として首を振られる。

 なにかがあった。何を見たのか。未来のことなのか、すぐそこの出来事か。

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