16



 地下牢の空気は、石壁に染み込んだ冷たさと、揺れるランタンの光が静かに交錯していた。


 カタリナはヴィクトーリアを伴い、重い扉を押し開ける。彼女は無言で背後に立ち、腰のホルスターに手を添えて警戒を怠らない。その気配が、私の背中を支えてくれる。

 鉄格子の向こう、粗末な寝台に腰掛けるティサ・モーリツが、私たちの足音に顔をしかめる。

 カタリナは格子の前に立ち、彼の視線を受け止める。かつて政庁を支配していた男の目は、冷たく、どこか諦めを含んでいた。


「総督自らご足労とは、随分とご熱心だな。王家の使い走りが、牢の中の政治犯に何の用だ?」

 モーリツの皮肉は、カタリナの胸に小さな痛みを残す。それでも、一歩も引かず、静かに答えた。

「あなたは、パンノニアの秩序を守る立場にありながら、民を犠牲にし、王命を踏みにじった。その責任を問うために来ました」

 モーリツは鼻で笑う。

「秩序?民?――お前が語る理想は、絵空事だ。現実の政治は、力と利権の奪い合いだ。王家も議会も、結局は自分たちの椅子を守るために動いているだけだ」

 カタリナは格子越しに、モーリツの目をまっすぐ見据える。

「私は、民のための政治を信じています。王家の名において、議会と民が手を取り合う未来を築きたい」

 モーリツは肩をすくめる。

「理想を語るのは勝手だが、現実は違う。お前がどれだけ綺麗事を並べても、結局は力を持つ者が勝つ。私が負けたのは、王家の権威と軍の力に屈したからだ」

 カタリナは静かに言葉を重ねる。

「あなたが失ったのは、民の信頼です。権力だけでは、国は動かない。民の声を聞き、痛みを知る者こそが、未来を導くべきです」

 モーリツは格子に手をかけ、低く呟く。

「お前のような理想主義者が国を導けば、いずれまた混乱が訪れる。民は弱く、すぐに流される。強い者が導くしかないのだ」

 カタリナは一瞬だけ目を伏せ、静かに答える。

「それでも私は、民とともに歩む道を選びます。あなたのやり方は、もう終わったのです」


 モーリツは格子越しにカタリナを見据え、皮肉な笑みを浮かべた。

「……だが、総督。お前がどれほど理想を語ろうと、この国の本当の力がどこにあるか、分かっているのか?」

 カタリナは静かに問い返す。「何が言いたいのですか?」

 モーリツは低く笑い、声を潜める。

「王家の血筋は一つじゃない。お前が民のために動くなら、別の〝王家〟が、もっと現実的なやり方で国を動かすだろう。……私の背後には、まだ〝あの方〟が残っている」

 カタリナの表情がわずかに揺れる。ヴィクトーリアが警戒するように一歩前に出るが、モーリツは続ける。

「お前がどれだけ民の声を集めても、力を持つ者が最後に勝つ。私のような小物とは違う、〝あの方〟は――いずれ分かるさ。パンノニアの夜は、まだ終わらない」


「姫様……行きましょう」

 ヴィクトーリアの一言でカタリナは我に返り、やがて静かに答えた。

「私は、どんな闇が来ようとも、民とともに歩みます。あなたの時代は終わりました。後は司法があなたを断罪するでしょう」

 モーリツは、二人の姿を見据えながら、最後まで皮肉な笑みを浮かべていた。


 地下牢の静けさの中、国家のあり方を巡る二人の対立は、決して交わることなく、冷たい石壁に吸い込まれていった。

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