第四章:告白、歪んだ笑顔

新学期。


朝。カーテンの隙間から春の光が差し込む。目を覚ました俺は、ぼんやりと天井を見上げた。

机の上、小物トレーに置いてある黒い時計が目に入る。


月乃と一緒に選んだ、お揃いの時計。

交際記念に買ったその日を思い出すと、胸の奥がじんわり温かくなる。

月乃とは春休みの間も何度か会ってたし、関係も特に変わらず、いつもの日常が続いてた。


「……もう新学期か」


制服に袖を通し、顔を洗いに立ち上がる。

今日から新学期。月乃と同じクラスでいられたらと願う。


そんなささやかなざわめきを胸に、俺は部屋を出た。



「俺のクラスは、C組か」

「私もC組だったよ」


俺は引き続き月乃と同じクラスだった。


「また一年よろしくね、○○くん」


「……ああ、こちらこそ」


~~~



その日。


昇降口を出ようとしたところで、前から小柄な女子が駆け寄ってきた。


「先輩っ!」


急に呼び止められて、足を止めた。


「……ん?」


白いロングヘア、元気すぎるくらいの声。


「……誰?」


「えぇ〜、ひどいなぁ! でもまあ……無理もないか。会うの、久しぶりですもんねっ」


にこにこと笑いながら、こちらを覗き込むその顔に、どこか既視感があった。

もしかして、この子は……


「……リア?」


「正解っ! よかった〜、名前覚えててくれて」


リアは昔のような静かな雰囲気じゃなかった。

声も表情も明るくて、まるで別人みたいだった。


「すごいな、全然雰囲気違うじゃん」


そう言った後、リアはふいに口を尖らせて俺の顔を覗き込み、わざとらしく眉をひそめた。


「そうだ、手紙のやり取りのこと忘れてませんからね、私!」


「……あれは」


「先輩からの手紙、どんどん少なくなってったの、あれ寂しかったんですよ?最後なんて、全然返事くれなかったし!」

「あとあと、前に商店街で会った時も私のこと忘れてましたよね!しかもすぐどっか行っちゃいましたし!ぷんぷん!」


軽く頬を膨らませて怒ったふりをする。

けれど目の奥は、茶化してるようでほんの少し潤んで見えた。


「……ごめん。本当にごめん、忙しかったとか言い訳しない。どれも俺が悪い」


素直に頭を下げると、リアは一拍置いてふっと笑い、膨らませていた頬を元に戻した。


「えへへ、ちゃんと謝れる先輩、好きですよ」


なんてことない会話のようで、どこかひっかかる視線だった。



「えっと……それで、何か用だったり?」


「はいっ、放課後ちょっとだけ、音楽室に来てほしくて」


「音楽室?」


「ちゃんとお話したいことあるんです。待ってますねっ」


それだけ言い残して、リアはぴょこっと頭を下げてから去っていった。



~~~



放課後。音楽室に向かうかどうか迷ったけど、

あのテンションに押される形で、結局行くことにした。


音楽室のドアを開けると、鍵盤の前にリアが立っていた。


夕陽がカーテンの隙間から差し込んでいて、教室の中を赤く染めていた。


「来てくれて、うれしいです」


「まあ……約束だったし」


「先輩に、ちゃんと気持ち伝えておきたくて」


リアは手を前に組んだまま、まっすぐこちらを見ていた。


「ずっと……忘れられなかったんです、あの日から」


「……」


「また会えた時、ほんとに嬉しくて。だから……」


リアは一歩近づいた。


「好きです、先輩。私と付き合ってください」


ストレートな告白だった。

けど俺は、間髪入れずに答えた。


「……ごめん。俺、もう付き合ってる人いるから」


その瞬間、リアの顔から表情がすっと抜けた。


「あー、ですよねぇ」



……なんか告白を断られたにしては反応がおかしい。


でもその次の瞬間には、またニコッと笑った。


「んーと……じゃあ、これ見てくださいよ」


そう言ってリアがスマホを取り出す。

画面には、俺と月乃が校舎裏でキスしている写真。


……そして、窓の外から撮られたであろう、

人には見せられない『キス以上のことをしている写真』。


明らかに──隠し撮りだった。


「……え、なっ……」


「ずっと見てましたから、ね」


笑顔のまま、声のトーンも落とさずにそう言った。


「これ、学校に出したら……ちょっとマズいんじゃないですか?」


「……脅してるのか?」


「いえいえ、提案です」


リアは指でスマホを回しながら、軽く首をかしげる。


「でもでも、私がその気になれば、これチクってもいいんですよ? 進路とか、大丈夫ですか?」


「やめろ……」


「んー……ならネットにあげちゃおっかな? あ、もちろんそんな酷いことしませんよ」

「……うっかり手が滑っちゃうかもしれませんが、ふふ」


目の奥に、冷たい何かがあった。


「あ、それか……月乃先輩のこと、キズモノにしちゃいましょうかねえ」


「ざしゅっ!って……えへへ」


俺は息を呑んだ。

冗談にしては、笑えなかった。


リアは一歩だけ近づいた。

距離が近すぎる。息遣いすら感じる距離で、低く囁いた。


「選べますよ、先輩。誰かを守りたいなら、覚悟くらい見せてください」


リアは笑ったまま、スマホをポケットにしまった。

俺が何も言えずにいると、手を合わせるようにして一歩引いた。


「私と付き合ってください、先輩」


「……は?」


「月乃先輩とは、そのままでいいですよ? 別に別れなくていいです」


俺は思わず言葉を失った。


「……何言ってんだお前。そんなの──」


「そんなの、おかしい?」


リアの声に、棘はなかった。

ただの確認みたいなトーンだった。


「でも、大丈夫です」


彼女は微笑みながら続けた。


「先輩、きっと気づきます。

私の魅力にちゃんと気付いたら、もう他の女の子なんて目に入らなくなっちゃいますもん」


その言い方に、寒気がした。

自信満々で言っているのに、どこか計算された響きがあった。

しかも“月乃”のことを“他の女の子”と雑に括るあたり、明らかに見下している。


「お前、何考えて……ふざけるのはやめろ……っ」


「ひどいなあ、真剣ですよ? ちゃんと告白しましたし。

チクるとか、キズモノにするとか、別に本気でやるつもりないです。……今は」


リアは、顔を俺のすぐ前まで近づけてきた。

至近距離で目が合った。笑ってるけど、目は笑っていなかった。


「……一回くらい、ちょっとだけ試してみません? 先輩にしか見せない顔とか、思い出とか――たぶん、“月乃先輩”じゃ絶対できないこと、いっぱい教えてあげますよ」


「それに、先輩が“私との経験”を月乃先輩に活かしても、全然いいんですよ?」


リアはいたずらっぽくウインクして、指先でスマホをくるくる回した。


「チャンスですよ、先輩。私を選べば、全部うまくいきます」


言い切ったその声は、まるで既に結果を知ってるみたいな、確信に満ちていた。


俺は、ただ立ち尽くすしかなかった。

この時、何を答えるのが“正解”だったのか、いまだに分からない。

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