8 おかしいこと
その日の夕方、ベルタラムの店の裏にあった畑で働いていた女のドワーフが、歌いながら弁当箱を返しに来た。ドワーフはアウルム人が嫌いなのかもしれない、と思って、ダーリアは話す声だけを部屋で聞いていた。
「ジャンヌの友達にちょうどよさそうな女の子が来た、とうちの人が言ってましたよ」
この言葉にも節がついている。
「うーん。まだ同世代の友達を作るには早いのではないかと思います。この村の暮らしに慣れるのが先ですね。ジャンヌさんはお元気ですか?」
「タケノコみたいに背丈が伸びるもんですから、いつうちの天井をぶち破るか心配しているところです」
「ハハハ。ドワーフとヒュームが一緒に暮らすのにありがちな悩みですね」
なにやら楽しそうなおしゃべりだなあ、とダーリアは考える。でも話す代わりに歌うのはなぜだろう。
しばらくおしゃべりをして、女のドワーフ、おそらくベルタラムの妻は帰っていった。
「ダーリアさん、おいしそうなチーズを頂きましたよ。今日の夕飯に食べましょう」
マクシミリアンが嬉しそうな声を上げた。ダーリアは自分の部屋を出て、食堂に向かった。
「そうだ、朝から食器が溜まっているんでした。ダーリアさん、カゴに入れてある食器を、ふきんで拭いて戸棚に戻してもらえますか」
「はい!」
ダーリアは頑張って食器を拭き、戸棚に戻した。どうやら朝からカゴに入れられていたらしく、食器はほとんど乾いていた。
できました、というとマクシミリアンは褒めてくれた。
褒められる、というのが、ダーリアの人生にはあまりないことだったので、ダーリアは嬉しいような、不安なような、おかしな気分になった。
見た目を褒められたことは当然ない。女学校でいい成績をとっても、しょせん学歴で価値を増すためだけに行かされている女学校なので誰も褒めてくれない。
褒められないことがダーリアの当たり前であった。
それを素直にマクシミリアンに話す。
「それはおかしいことです」
マクシミリアンはそうキッパリ言った。
「女学校に進む、ということは勉強ができる、ということです。勉強ができる、ということをないがしろにして、学歴で価値を増すというのは結婚に縛られた親の勝手な考えです。勉強ができることは素晴らしいことなのですよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。賢いことはいいことです。王都の貴族には『女は少しバカなほうがかわいい』なんてことを言うお方も多いと聞きますが、それは明確な差別です」
ダーリアは、少し嬉しくなった。
夕飯は頂き物のチーズと、キャベツの酢漬け、黒パン、塩漬け肉の薄切りを焼いたもの、であった。頂き物のチーズは青カビが生えるタイプのドギツいやつだ。
チーズは匂いこそ地獄のごとしであったが、口に入れるとじわっと旨みが広がる。ちょっと苦いがとてもおいしくて、ダーリアは目をまん丸にした。
「とてもおいしいですわ」
「それはよかった。こんなにおいしいチーズは貴重ですからね」
とてもおいしい夕飯であった。
お湯を浴びて、ダーリアは気分よく寝室に向かった。窓を開けると初夏の風が吹き抜ける。王都の屋敷のバラはもう終わったかしら、と考える。
まだ未練がましく王都の屋敷のことなんか考えているのか、と悔しくなる。
壁をグーで殴る。
それでも足りなくて、壁に頭突きをする。
痛い。でもそれは自分がバカだからだ。こんなバカ死んでしまったほうがいいのだ。
ダーリアが壁にしばらく頭を打ち付け続けていると、血相を変えてマクシミリアンがやってきた。
「大丈夫ですか!?」
ダーリアはどう答えればいいかわからず、壁にまた頭を打ち付けた。マクシミリアンが肩を掴む。冷たい手だった。
「ダーリアさん、ダーリアさんが可哀想ですから、そういうことはやめましょう」
「そんなふうに言ってくれるの、マクシミリアンさんだけです」
ダーリアはそれから一時間ばかり、泣き続けた。
マクシミリアンは穏やかに、ダーリアの顔を見続けた。そしてダーリアが泣き止んだのを見て、マクシミリアンは部屋を出ていった。
ダーリアは布団にくるまって目を閉じた。
次の朝、ダーリアが起きてくると、中庭からマクシミリアンの悲鳴が聞こえた。どうやらまたニワトリにドつかれているらしい。ダーリアは手早く着替えてぱたぱたと中庭に向かった。
マクシミリアンはニワトリをカゴに入れようとして、それがうまくいかなくてドつかれていた。ダーリアがやってみせると、マクシミリアンはポカーンとダーリアを見た。
「すごいじゃないですかダーリアさん」
「むしろなんでわたしにできてマクシミリアンさんができないのか分かりませんわ」
「これは痛い」
マクシミリアンは苦笑した。
朝ご飯を食べた。やっぱりにんじんがたっぷりだった。犬たちを放して、少ししたらリリーマリアがやってきた。なにやら包みを持っている。
「お菓子焼いてみたからさ、一緒に食べようじゃないか。そんなにうまく焼けなかったけど」
リリーマリアが取り出したのは、ずいぶんといびつなカップケーキだった。黒麦の粉で焼いてあるようだ。
「ありがとうございます。おいしそう」
「いやね、ただ料理すんならいいのさ。お菓子ってのは量をきっちり計って火加減と時間をきっちり守らなきゃいけないだろ? 難しいもんだねえ」
例のドンヨリしたハーブティーが出てきた。マクシミリアンはカップケーキを掴んで、ムシャっとかじった。
「これちょっと生焼けじゃないですか」
「味見したやつはきちんと焼けてたんだよ」
ダーリアも一個食べてみる。中のほうが粉でパッサパサだ。
「粉っぽいです」
「……ダメか。無理に食べるんじゃないよ、お腹壊すといけないからね」
みんなでお茶を飲む。
「ところでおひい様、ベルタラムのところのジャンヌには会ったかい。あんたと同じくらいの歳じゃないかい? ヒュームの歳っつうのはよくわかんないけど」
「いえ……同じ年ごろの女の子を見ると、女学校を思い出して怖くなりそうで」
「それは大丈夫だと思いますよ。ジャンヌさんは生粋のアカーテース人なので」
アカーテース人。ダーリアはいままで見たことがない。
アカーテース属州はいま独立戦争の真っ只中ではなかったか。戦火に追われてカリュプス属州まで逃げ延びた、とかそういうことなのだろうか。
そういえばアキッレーオ第三王子は、ゆくゆくはアカーテース属州を任される、という話だった……ダーリアは過呼吸を起こした。
マクシミリアンが背中に手を当てて回復魔法を使う。リリーマリアはダーリアを心配そうに見ている。
「大丈夫ですよ。アカーテース人は女学校にはいないでしょう。ダーリアさんを僕に預けた方に聞いたのですが、ダーリアさんは貴族令嬢しか行けない女学校に通っていたという話でしたから」
「そうだよ、アカーテース人はアウルム人みたいに性悪じゃないさ……あんたアウルム人か。こいつは失礼」
だんだんと呼吸が落ち着いてきたので、ダーリアは涙をぬぐった。
「ごめんなさい、ついアキッレーオ第三王子のことを思い出して。のちのちアカーテース属州の領主になるという話だったので」
「ああ……あんたに暴言を吐いたって噂の」
リリーマリアがダーリアの頭を撫でた。とても柔らかい指だった。
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