7 権利

ダーリアの告白を聞いて、生身のガルシアは少し戸惑うような表情をした。


「そんな、本のなかの人間に恋するなんて、不毛じゃないのか?」


「だってわたしの見た目じゃ人間に恋なんてできませんわ」

 ガルシアはダーリアを、強い金の瞳で見つめた。


「そんな悲しいこと言うなよ。お嬢さん、あんたは誰を好きになってもいいんだ」

 金の目で見つめられて、ダーリアは思わず目をそらす。


「だって……誰かと恋をするには、きれいな見た目でなくてはならないのでしょう?」


「それは王都の悪い奴が考えたことだ。誰だって誰かを好きになる権利はある」

 そうなのか。ガルシアは強い目線をダーリアに向けていた。

 ダーリアはじっとガルシアを見つめ返す。金の瞳は熱情的だ。


「あ、す、すまん。ちょっと見すぎた。カルブンクルス人の悪い癖だ」

 ガルシアが目をそらす。


「夕飯できましたよー」

 マクシミリアンが食器を運んできた。う、またにんじんがたっぷりだ。細切りにしたにんじんを玉子でとじたような料理がデンと置かれる。


「これが旨いんだよなあ。ギプス村に来るたんびにここのにんじんは最高だと思ってる」

 ガルシアがそう言うならちゃんと食べてみよう。

 ダーリアはフォークでにんじんの玉子とじを口に運んだ。やっぱりにんじんの味がする。


「坊さん、俺ぁ明日村の青年会に相談して、にんじんジュース工場の件に渡りをつけようと思ってるんだが、なんか懐柔策はないかね」


「うーん……僕はそういうことを考えるのが苦手で武装僧侶をやっているので……」


「坊さんに期待した俺がバカだったよ。ところでお嬢さん、あんたはどう思う?」


 一人前の人間として扱ってもらえるのは嬉しいのだが、村の青年会というのがなんなのか分からないし、にんじんジュース工場を建てるというのもよく分からない。


「ごめんなさい。わたしはまだこの村に来てそんなに時間が経っていないので」


「そうか、すまないな。にんじんジュース工場を建てれば、形が悪いにんじんも捨てないで済むし、酒とお茶しか飲み物がない貧乏村じゃなくなるし、いいなと思うんだが」


 どうやらこのガルシアという男は、でっかい野望を抱えて生きるタイプの人間のようだ。


 そういうところまで「金のりんご」のガルシアにそっくりだ。「金のりんご」のガルシアはにんじんジュース工場なんて考えもしていなかったが。


 その晩ガルシアは要塞の奥にある客用寝室に泊まっていった。


 次の朝早く、ガルシアは要塞から出かけていったようだった。マクシミリアンによると、にんじん農家を回って工場への協力を取り付けに行っているらしい。

 玉子拾いのあと、マクシミリアンがダーリアに声をかけてきた。


「そういえばダーリアさんはこの村の様子をよく知らないですよね」


「はい。リリーマリアさんの鍵屋さんしか見たことがありません」


「じゃあ、ちょっとお使いを頼まれてくれませんか。大通り、リリーマリアさんの鍵屋さんのある通りをずっと行くと、『ベルタラム金細工店』というお店があります。そこに、これを届けてほしいんです」


 マクシミリアンは弁当箱のような器を渡してきた。

 開くとにんじんの玉子とじがみっちりと入っている。


「ベルタラムさんはドワーフなのですが、ダーリアさんはドワーフを見たことは?」


「いえ、ないです」


「じゃあヒゲがすごいのでビックリするかもしれませんね。ドワーフはアウルム国教に順化したあとも、独自の信仰でヒゲを剃らないんです。ベルタラムさんはアウルム人が嫌いだそうなのですが、そういう人とも仲良くなれたら素敵ではありませんか?」


 明らかに自分を嫌いだと思っている人のところにお使いを頼まれた、というのはなかなかしんどい。とにかくダーリアはにんじんの玉子とじの弁当箱を抱えて、「ベルタラム金細工店」に向かった。


 村の大通りは「村」なのでさしたる長さはない。てくてく歩くうちに、「ベルタラム金細工店」にたどり着いた。


 なんとなく小ぢんまりとかわいい店だ。店先に並べられた金細工は精巧というよりは素朴で、王都の宝飾品店のように店員が近寄ってきて次々とアクセサリーを当ててくることもない。


「すみませーん」

 声をかけると男性の、しかし甲高い声で返事があった。


「いま行くから少し待て」

 ぼーっと、入口に突っ立っているしかできない。しばらくぼーっと立っていると、すごいヒゲもじゃの、背丈の小さい男が近寄ってきた。


「……ジャンヌじゃなかったか。どこのもんだ?」


「あ、あの。マクシミリアンさんに頼まれて、にんじんの玉子とじを持ってきましたの」


「おお、そうか。で、どこのもんだ?」

 どうやら自分が何者なのか、ちゃんと説明しないと納得してくれないらしい。


「ダーリア・クリザンテーモと申します」


「公爵さまの娘か?」


「は、はい、一応……」

 ヒゲもじゃの男は団子鼻をふんすっと鳴らした。


「わしゃアウルム人が嫌いでな……でもなんで公爵さまの娘がここにいる?」


「えっと、気狂いになって城の四階の窓から身投げしたところを助けられて、ここに来ました」


「転地療法というやつか。いかにもアウルム人が考えそうなことだ」

 ヒゲもじゃは少し考えた。


「でもまあ、こんな娘っ子一人でわしらをいじめることはできんからな。坊さんが面倒を見ているのか?」


「はい、マクシミリアンさんにはたいへんよくしていただいておりますわ」


「そうか……わしはベルタラムだ。見ての通り金細工職人をしている。腕はいまいちだ」


 腕がいまいちだというのになぜ堂々と金細工職人を名乗るのだろう。自虐ネタなのだろうか。あるいは謙遜したのだろうか。


「……村じゅうが騒いでおったおひい様、か。なるほど……」


 ベルタラムは勝手にしばらく考えて、それからはっと眉を上げた。

「にんじんの玉子とじ、もらっていいか?」


「あ、は、はい」


「坊さんのことだからあんたの印象を少しでもよくしようとしたんだろう。わしはこれくらいのことではほだされんがな。用は済んだろう、帰れ」


「はい。わかりました。お邪魔しました」

 ダーリアは逃げるように「ベルタラム金細工店」を出た。


 金細工店の裏には畑があり、黒髪をもじゃもじゃと伸ばした小柄な女が、鼻歌にしては大きな声で歌いながら畑仕事をしていた。ダーリアには野菜の葉っぱの区別がつかないのだが、きっと大半がにんじんなんだろうな、と勝手に思いながら要塞に帰った。


 要塞に帰ってくると、マクシミリアンが聖典の写本を作っていた。まだここには印刷技術というものがないようで、本というのは貴重なのだろうと想像できた。


「只今帰りました」


「おかえり。ベルタラムさんは何と言っていましたか?」


「……自分のことを、職人で腕はいまいちだ、とおっしゃっていたのですが、職人が自分で自分をいまいちなんて言っていいのですか?」


「まあベルタラムさんはもともと鉱山労働者なので、本職ではないのでしょう」


「あと、マクシミリアンさんがわたしの印象をよくするためににんじんを持たせたのだろう、とも言っていました」


「さすがにバレバレでしたか」


 マクシミリアンはぺろりと舌を出した。僧侶もこういう顔をしていいのだろうか。とにかく歓迎も冷遇もされなかった、と説明すると、マクシミリアンは穏やかに頷いた。


「まあそんなところでしょう。ベルタラムさんはこの村の青年会の会長なので、印象がいいほうがいいのですが」


「そうなのですか。あの、なんでベルタラムさんはアウルム人が嫌いなのですか? 威張っているから? でもカリュプス属州の領主のオラーツィオ王弟殿下はとてもいい人なのに」


「うーん。女学校ないしその他の学校で、鉱山虐殺事件という話を聞いたことはないですか?」


「ない……です」


「へえ、本当にアウルム王国では学校で習わないのですか。これは驚いた」


「その話、リリーマリアさんからも聞いたんですけれど、鉱山虐殺事件というのはなんなのですか?」


「いまから七十年前、この村の主要な産業はにんじんでなく鉱山だったんです。ほら、あっちに山があるでしょう」


 マクシミリアンは窓の板をガコンと外して見せてくれた。窓の向こうには大きな山がある。


「あの山のふもとに掘られた鉱山からは、当時は貴重だった魔石炭が採れたんです」


「じゃあ、たとえば重い労働に耐えかねて、待遇改善を求めてストライキをしたら、アウルム人の兵隊がなだれ込んできた、とかそういうことなんですか?」


 マクシミリアンは大きく目を見開いた。


「まさしくダーリアさんの言う通りのことが起きたのです。ダーリアさんは本当に鉱山虐殺事件のことを何も知らないのですか? あまりに的を射ていてビックリしました」


「鉱山で事件が起きるといえばそういうことだ、と本で読みましたわ」


「じゃあきっとその本は鉱山虐殺事件のことを知った上で書かれたのでしょうね。とにかくむごいものだった、とベルタラムさんはよく言っています」

 そんな事件が起きていたのか。こんなに平和そうな村だというのに。

ダーリアはまた少し、アウルム人が嫌いになった。

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