5 誤解

「あ、あの」


「……見ないツラだね。あれかい、坊さんのところに来たクリザンテーモ公爵家のおひい様かい」


「おひい様って……」


「ああ悪かったよ。なんだい、カギ閉め虫に締め出されたのかい?」


「はい」


「よぉし分かった。一つ働いてやろうじゃないか」


 リリーマリアは子供のような体をひょこひょこと動かして歩き出す。


「……あんた、もしかして坊さんがあんたの悪口を言ったと思ってるんじゃないのかい?」


「どうしてご存知なんですか?」


「そりゃあんたが立ち聞きしてて、あんたの顔の話になったとたん逃げ出したからさ。あの坊さんがあんたの悪口なんか言うと思ってんのかい?」


「違うんですか?」

 リリーマリアは唇を尖らせた。


「あのとき坊さんは、『アウルム人の美醜の感覚は分からないけれど、ふつうに人として見れば賢そうで優しそうな子だ』、って言ったのさ。だれも悪口なんて言わないよ。人の話を盗み聞きするんなら最後まで聞くこったね」


「そうだったんですか」


「まあ鉱山虐殺事件の生き残りみたいなジジイどもからしたら、アウルム人はみんなヤクザに見えるかも知んないけど、少なくともあたいにはあんたはアウルム人のきれいなおひい様に見えるよ」


「鉱山虐殺事件……?」


「こりゃ驚いた。王都の女学校には歴史の時間はないのかい?」


「いえ、歴史の時間はありましたけれども、その事件のことは教わりませんでした」

 そう答えたところで要塞に戻ってきた。リリーマリアはカバンからピンを取り出し、鍵穴に突っ込んでしばしカチャカチャと動かした。

 がちゃこん、と重い音がしてドアが開いた。


「はいできた」


「ありがとうございます!」


「きょうはもう帳簿をつけちまったから、明日にでも坊さんをよこしな。誤解を解いた分も請求してやる」


 そう言ってリリーマリアは帰っていった。ダーリアは、利口にドアの前で待っていた犬たち、三頭とも筋骨隆々の大きな犬だ、とにかく彼らを中に入れてやった。


 犬たちは要塞のドアから入ってすぐのところにある、鍵のかかる犬小屋に入れた。犬たちは食事を待っていて、ハッハッと舌を出してしっぽを振っている。


「お疲れ様でした」

 マクシミリアンが出迎えてくれた。犬たちに残飯を食べさせる。


「本当に犬に残飯を食べさせるのですね」


「でなければなにを食べさせるのですか?」


「実家で飼っていた座敷犬には、ハムの切れ端を食べさせていました。あと牛骨も」


「へえ……ところ変われば品かわる、というやつですね。僕たちも夕飯にしましょう」


「またにんじん料理ですか?」

 マクシミリアンは薄く笑った。どうやらにんじんらしかった。


 夕飯の、にんじんと塩漬け肉の煮物をつつきながら、ダーリアは謝った。


「本当にマクシミリアンさんは悪口なんて言っておられなかったのですね」


「ははは。リリーマリアさんにお説教されてしまったようですね」


「王都の精神科医によると、わたしの病気は言われていない悪口が聞こえることもあるそうなんです」


「それはお辛いでしょう」


「いえ、その症状は人のたくさんいるところでしか出ないんです。その代わりに、遠くから弓矢で狙われているとか、頭の中を覗かれているとか、そういう症状がひどくて」


「……フム」


「だからときどき変なことを言うと思うんです。ここはそんなことはない、と、要塞の中を案内していただいたときに思ったのですけど、それでも。ごめんなさい」


「大丈夫ですよ。ここはカリュプス属州最強のギプス要塞ですからね、弓矢で狙ってもせいぜい窓に刺さるだけですし、僕にはダーリアさんの頭の中を覗くような魔法は使えません。そう思えば、少しは安心できるのではないですか?」


「そう……ですけど。それでもそういう症状は出るものだと思います」


「フム。とりあえずのところ、安心できる状態を目指しましょうか。安心して毎日を過ごせる暮らしを」


「……できるのでしょうか」


「ちゃんとお医者様の言うとおりに薬を飲んで、無理しないで過ごせば、いずれ良くなるものだと、僕は思います。時間はかかるかもしれませんが」


 夕飯を食べ終えた。がんばってにんじんも食べた。


「明日から、ニワトリの玉子拾い、よろしくお願いしますね」


「はい!」


 ダーリアはすごく久しぶりに、嬉しい気持ちになって布団にもぐり込んだ。

 なにかを期待されるのは、嬉しいことだ。


 次の朝、ダーリアは頑張って朝早くに起きた。マクシミリアンは洗面所でぬぼらーっと歯を磨いている。


「おはようございます」


「ほはほーほはいはふ」

 マクシミリアンが歯を磨きながら爽やかに笑った。どうしてこんなに爽やかなのか。


「ニワトリの玉子、集めてきます」


「ひほふへへ」

 気を付けて、と言ったらしい。


 ダーリアは中庭に入った。中庭といっても花が植えてあるとかではなく、砂っぽい土が広げられて、そこに雑穀のニワトリのエサがおかれ、水入れも置いてある、事実上のニワトリ小屋だ。

 入るなりニワトリの猛攻撃を受けた。みなメンドリで大事な玉子を取られまいと激しく襲いかかってくる。すかさず隅っこに置かれたカゴをとり、ニワトリたちに被せる。


 ニワトリたちが身動きできないうちに玉子を拾う。五個ばかり拾った。


 カゴを外してそそくさと退散し、玉子を台所のマクシミリアンに渡す。


「いっぱい拾えたようですね。目玉焼きを作ろうと思います」

 マクシミリアンは手際よく玉子を割り、フライパンにぱっと放った。


 そういうわけで朝食は目玉焼きとパンであった。パンにつけるものは黒スグリのジャムしかないのだろうか。


「きょうは村に、カルブンクルス人の行商人が来るんです。この要塞にも、写本を作るための羊皮紙やインクなんかを持ってきます」


「カルブンクルス人ですか」


 ダーリアの好きな「金のりんご」という小説のヒーローも、カルブンクルス人だ。

 そう思うともしかしたら生カルブンクルス人を見られるかもしれない、と好奇心が膨らんでくる。

 でも人間に対して好奇心を持つのはいけないことだ、という節度はある。


「カルブンクルス属州、とてもいいところだそうですよ。ここと違って太陽が強いとか」

 言われてみればギプス村の太陽は、王都と比べてもさほど明るくない。


「カルブンクルス人は、本当に赤い肌をしているのですか?」


「ええ。太陽が強いからだそうです」

 そうなのか。


 目玉焼きをおいしく食べた。パンも食べた。にんじんがなくてホッとした。


 朝食のあと、マクシミリアンはきのうの鍵開け代を支払いに出かけた。ドアはきっちり閉めるとカギ閉め虫に鍵をかけられてしまうので少しだけ開けておく。犬たちを放つ。

 犬たちはどこかよそでエサをもらっているのか、しっぽを振ってるんたるんたと番犬の仕事を始めた。

 

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