4 要塞
「落ち着きましたか?」
「死なせて」
「それはダメです。僕はさる高貴な方に、ダーリアさんの世話を頼まれているのですから」
「じゃあどうして悪口を言ったの?」
「自分では悪口のつもりでなかったのです」
しばらくその話題を繰り返したが、マクシミリアンは嫌がりもせず応じてくれた。
ダーリアは眼球上転が収まって、どうにか寝ることができた。
次の日、ダーリアは朝というにはいささか遅い時間に目を覚ました。
ふらふらと食堂に向かうと、蝿帳をかけた食事が用意されていた。
マクシミリアンの姿はない。きっとダーリアに愛想を尽かしたのだと解釈する。
蝿帳をどかしてみる。見事ににんじんのサラダと黒スグリのジャムを塗った黒パンという献立だ。飲み物はきのうの、なにやら濁ったハーブのお茶だ。
ダーリアは食べ物を粗末にするのは民を粗末にすることだ、と幼いころから聞かされて育ったので、手を合わせて祈ってから、にんじんのサラダをやっつけることにした。
おいしくないのだが、王都で食べるにんじんよりはずいぶんマシだなあと思う。
まずサラダをやっつけて、いったんお茶を流し込む。それからパンをもちゅもちゅ食べた。
王都の小麦のパンとはだいぶ味が違うのだが、噛むと味が染み出してくる。
にんじんさえなければ最高の朝ご飯なのに。
そんなふうにぼーっと朝食を摂っていると、板をはめた窓の外から、マクシミリアンの「わああーっ」という悲鳴が聞こえてきた。慌てて板の窓をガコンと外してみると、その窓は中庭に面していて、マクシミリアンは中庭でニワトリにつつかれていた。
「なにをなさっているのですか?」
「や、た、玉子を集めようとしたら手ひどい反撃を食らってしまって。いたたたた」
あんな屈強そうなマクシミリアンがニワトリごときにつつき回されているというのがおかしくて、ダーリアは顔が笑うのを止められなかった。
少ししてマクシミリアンが戻ってきた。ニワトリの羽根やわらが僧服のあちこちにくっついている。
「マクシミリアンさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。毎日ですから」
マクシミリアンは笑う。こんなに、女学校の守衛さんなんかよりよっぽど強そうな人が、ニワトリごときにボコボコにされているというのがおかしくて仕方なかったので、ダーリアも笑ってしまった。
「あの、これは提案なのですが」
「なんでしょうか?」
「お友達を作られるべきだと思います」
マクシミリアンの提案に、ダーリアはすぐ乗ることはできなかった。
「わたしと友達になんかなってくれる人はいません」
「そう思うのも仕方がありませんが、人間の友達を作る前に、ニワトリや犬と友達になってみてはいかがでしょうか。いつまでもこの要塞の中にばかりいたら健康になれるものもなれません」
「……つまり玉子を拾ってほしいわけですね」
「……さすが女学校に通っておられただけのことはある」
というわけでダーリアは、ニワトリの玉子を拾うのと、要塞の番犬の世話を引き受けることにした。要塞ではニワトリだけでなく犬が三頭飼われていて、ふだんはギプス村の市街地のほうに放し飼いにされているが、夕方になるとエサを求めて戻ってくるという話だった。
ダーリアは家で飼われていた、リボンをつけた座敷犬しか見たことはなかったが、こういう土地で番犬として大きな犬が飼われているのは本で読んだことがある。
「あの、マクシミリアンさん。わたし、この要塞がどういうところなのか、見学したいのですけど」
「そう面白いところではありませんよ?」
「要塞というなら大砲の跡とか拷問の部屋とかがあるのでしょう?」
「大砲の跡はありますが、拷問の部屋はたぶんないですね……」
というわけで、ダーリアは興奮して少し具合を悪くしながら、要塞の中をマクシミリアンに案内してもらった。
「ここは二階建てで、奥に行くと塔があります。見張りの塔です。ずいぶん古いので、ちょっと危ないかもしれませんが、まあ僕が板を踏んでも壊れないならダーリアさんなら問題ないでしょう」
「わたし、太っているのに」
「いえいえ。僕はこの通り筋肉のカタマリですから。脂肪分よりは筋肉のほうが重いんですよ。とりあえず外に行ってみましょう」
案内されたのは要塞の外側だ。石造りの高い塀があり、その塀の上にさらにレンガの塀がある。塀には狭間というのか、飛び道具の弾や矢を通すための穴が開いている。
振り返って要塞を見上げれば、なんというか王都にあった庶民の子供の通う小学校のような作りの建物に見えた。古くてぼろっちいところもそっくりだ。違うのは大きな塔があり、窓が板で塞ぐ形のものであるところ。
雪や風にさらされ、タイル張りの屋根は所々タイルがはがれてひしゃげている。ちょうどいまいる前庭のようなところは兵隊の行進をするところのようだ。地面は硬く踏み固められ、雑草も生えていない。
「中の様子はご存知ですよね。僕やダーリアさんが使っている部屋は将校の寝室です。バスタブはさる高貴なお方が用意してくださいました。女の子が暮らすならお風呂はあったほうがいいと」
「ありがとう存じますとお伝えください」
「手紙を書いておきます。それでは塔に登ってみましょうか」
ぐるりと建物を迂回し、塔に登る簡易な階段を踏んでゆく。ギシリ……と恐ろしげな音がするが、先に上っているマクシミリアンが平気そうなのでダーリアも大丈夫だろうとこわごわ登る。
「さあ、ここがてっぺんです」
思ったより低かった。
てっぺんからギプス村を見下ろす。小さな、おもちゃのように小さな民家や商店のほかは、ひたすらなにか同じものが植えられた、畑らしきものが広がっていた。
ダーリアは畑というものを見たことがなかったので、それが畑だと気付くのにすこし時間がかかった。
「……あれはなんの畑ですか?」
「あれはぜんぶ、にんじんの畑です。この村は主な産業がにんじん畑なんです」
「へえ……すごいですわね」
風がにんじん畑を吹き抜けた。
女学校で心を病んでから、ずっとずっと変な、誰も言っていない悪口が聞こえて、ダーリアはよくうるさい、と思っていた。だけれど、これだけにんじん畑しかないところで、ダーリアのことを見ながらクスクス悪口を言う人はいないのではないか。
要塞とにんじん畑の間には深い空堀がある。これだけの空堀を乗り越えてまで、婚約破棄されたガラス玉みたいな娘を狙う刺客がいるだろうか。
もちろんマクシミリアンがダーリアの容姿をけなした、というのをダーリアはずっと疑ってはいる。だけれど、マクシミリアンが本当にそういうことをするだろうか?
にんじん畑を吹き抜ける風は、耳に心地よかった。
夕方、三頭の犬がしっぽを振りながら要塞に戻ってきた。ダーリアはそのとき、要塞の前庭にしゃがんで、夕陽を見つめていた。
要塞の中に入れてやろうとドアに手をかけると、見事に鍵がかかっていた。カギ閉め虫の仕業だ。どんどんとドアを叩いてマクシミリアンを呼び、中から開けてもらおうとしたが、中からも開かないらしい。
「街の大通りのいちばん手前に、『リリーマリア鍵店』というお店があります。そこにリリーマリアさんを呼びに行ってください。できますね?」
「は、はい!」
ダーリアは話したことのない相手と話すのを怖いと思いながら、とにかく中に入りたい一心でリリーマリア鍵店に向かった。リリーマリアは店じまいをしているところだった。
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