第50話 「銀板の照合」

 夜明け前、広場の石は乾いて冷たく、靴底の音が吸われた。見張り塔の鈴はゼロ。門は閉じたまま、空気だけが薄く動く。白樺亭の前で集合。昨夜のうちにギルド登録を終えた「蒼雷旅団」の臨時掲示は簡素な一枚。名乗りは済んだ。やることは変わらない。


 レオンが掌をひと振りして始める。「目的は“骨蔵”の押さえ込み。河骨(かわほね)へ渡す前の腹だ。構造は倉三並びの中列。玄関銀板あり。合図は鈴三短一長。外鍵は見せかけ、閂は内。——役割を通す。俺が正面、サビーネは屋根。ヘルミナは吸気・手当、イリアは掲示と押収札。アキラとクロは“流れ”と鼻、合図の遮断と人の動きの調整。走らない。声は短く」


 「了解」

 イリアが最終の写しを胸に差し込む。「昨夜拾った蝋板の刻み、《骨蔵/本朝:五/鈴=三短一長》と一致。銀板が叩き板になっている可能性が高い」

 ヘルミナは布包みを開け、濡らし布、藍壺、軽い油止めの粉を確認。「煙壺はほぼ確実。甘煙は上へ、油煙は横へ逃がす。アキラ、風は“押さず、持ち上げるだけ”。強くやると粉が踊る」

「分かった。灯の“喉”だけ逆らわせる」

 サビーネは矢羽根を撫でて一言。「屋根で固定。狙うのは動きの芯だけ」


 クロが俺の肩から欄干へぴょんと移り、前足の肉球で俺の胸をとん、とん。息合わせの合図。耳は前、尻尾はまっすぐ。真面目な顔。かわいいが、やる顔だ。


 市場筋を抜ける。露は引き、石の目地は乾きが多い。俺は音の出にくい目地を選び、曲がり角ごとに匂いを確かめる。粉線の薄い名残、木樽の甘さ、油のわずかな金属臭。クロが地を嗅ぎ、「うすあまい、こっち」と顎で示す。鼻の向きに合わせて、目地だけを狙って風を細く通す。甘さは上に逃げ、路面は落ち着く。走らない。歩幅だけを大きくする。


 “骨蔵”の並びに入る。壁は灰、桟は黒。正面に税印付きの銀板が一枚。角の一部だけ磨かれたように色が浅い。指が当たる場所だ。昨夜の押収告知の紙が新しく貼られている。剝がす意図はない。ただ、銀板の角に触れば音が出る仕掛けであってもおかしくない。サビーネが樋の角を二度見て、顎をわずかに上げる。屋根へ上がる位置と退路を測った合図だ。


 レオンが扉の桟を指でさっと拭い、「外鍵の舌は新しい油。動きは軽い。中に閂。二人はいる」と短く言う。

 俺は棒の石突を布で包み、戸の合わせ目をこつと一度叩く。中の息が止まる気配。年配の重い足一。若い軽い足一。木の床が返した音で距離も出る。近い。

「外は押収札の掲示。火は使うな。控えを取る。開けるなら今だ」レオンが扉越しに静かに落とす。怒鳴らない。揺さぶらない。


 返事はない。代わりに銀板がちりと鳴った。三短一長。中の確認の鈴。

 同時に樋下の陰で「こつり」。路地の見張りへ送る合図。クロの瞳が細くなり、尻尾が立つ。「みぎ、あぶら、すこし」

 樋下の板の影。薄い油を塗って逃げ脚を速くする仕込み。俺は布袋から細砂をつまみ、風で膜の上に霧のように散らす。鈍る。転ばせもしない。逃げ足だけ遅くする。


 サビーネが屋根の縁からことりと小さく鳴らす。上は取れた。

 レオンが扉に手を添える。合図なしに力を入れない。「アキラ、灯の喉だけ絞れ」

「やる」

 胸の前で掌を返し、覆いの吸い口にだけ風を細く落とす。押し込まない。吸わせない。呼吸を浅くする。中でじゅと短く鳴り、炎の腹が沈む。火はまだ生きているが、今の合図では目を引かない程度の明るさだ。


 閂が半分上がる音。迷っている。年配の手だ。そこでサビーネが屋根で瓦をことんとずらす。視線が上へ流れる。若いほうの注意が外れた瞬間、俺は薄紙を合わせ目へ差し入れ、鍵舌に布を噛ませて角度だけ外す。音は出さない。レオンが体重をほんのわずか前へ。扉は指二本ぶんだけ開いた。


 クロが先に滑り込み、床に低く身を張る。灯の柱にぴたり。「はな、へいき」。甘粉は遠い。真下に皿はない。

 レオンが体を横に入れ、年配の肩を壁へ寄せる。倒さない。退路だけ塞ぐ。若いのが腰に指をかける。短剣。抜きに入る角度。梁の下からサビーネの矢がどすと刺さり、木屑が落ちる。若い目が止まり、手の形が崩れる。

「武器は床」レオン。

 短剣が石の上でころと転がる。俺は拾わず、つま先で遠くへ送る。ヘルミナが入口に濡らし布、イリアが掲示副本を扉の内側へ結ぶ。動きに無駄がない。


 灯の覆いの縁には煤の輪。〈灰指〉の黒灯の手癖。昨日と同じ。覆いの内側の赤は浅い。

「クロ」

「うん」

 鼻先の軽い吐息に俺の風を合わせ、炎の腹だけをさらにしぼる。じゅ、と一段落ち、覆いの内は暗さが勝つ。合図にならない灯になった。


 路地の奥で足音が増える。遅れて来た見張りだ。銀板は鳴り続けない。鳴らせない。

「右に二」サビーネが屋根から低く。

 レオンは扉を閉めきらず、半開きで外を挟む視界を作る。「俺が一、サビーネが一。アキラ、声を切れ」

 外へ一歩。見張り二人は梶棒と投げ棒。腕輪。灰指の誓い輪の刻みは浅い——下の者。逃げ足は早い種類。声で散らすと走る。散らさない。


「控えの続きだ。走るな。棒は下」レオンの声は変わらない高さ。

 一人が口笛の形で息を吸う。俺は喉の前だけに風を落として、息の通りを上へ逃がす。音にならない。「……っ」と肩が止まる。半拍。十分。

 クロが石の上を二歩、帽子のつばをぱしと叩き落とす。目が反射で上に向く。そこでレオンが半歩入る。腕の返しだけで梶棒の根を地面へ縫う。もう一人は投げ棒を構え直したが、サビーネの二本目が踵の外に落ちて足が止まる。「武器を床」サビーネの声は短い。従わせる高さだ。二人は棒を置いた。


 中は静か。イリアが差し板から滑り出した蝋板を、写しながら読み上げる。「《骨蔵/本朝:五/鈴=三短一長/渡し:川筋“河骨”》《粉:蜜・砂/狐印/小舟=鰭×一》——河骨へ出す段取り、確定」

 ヘルミナは年配の指先を見て「震えは強いけど刃物傷はなし。火もまだ。今のうちに吸気口を開けて室内の匂いを上へ逃がす」と樋口の板を少しずらす。俺がそこにだけ薄い風を通す。粉は踊らない。室内の息が軽くなる。


 レオンが締める。「ここは掲示を残して出る。表の二は衛兵へ渡す。——河骨へ繋がる“合図線”は銀板と鈴。外の線は切れた。次の“線”を見る」

 イリアが掲示の押収札に時間・場所・内容を記し、扉の内外に一枚ずつ残す。銀板には触れない。押収の写しと蝋板は袋へ。サビーネが矢を回収。矢羽根に粉が付いていないか確認して布で拭う。小さな手順を飛ばさない。


 出る前に、クロが前足で俺の靴先をとんと押す。「した」

 扉の敷居の脇、床板の端がわずかに浮いている。棒先でこんと鳴らす。空洞。薄い板で塞がれた小さな隙間。レオンが短い鉤で引き、指でつまみ上げると、蝋の塊に埋めた細い針——飛針の予備が二本。先に樹脂。昨日港口で嗅いだ琥珀膠の匂いと同じ。

「出所は一緒だな」ヘルミナが眉を寄せる。「海筋の道具が陸に回ってる」


 押収袋に針を入れ、板を元に戻して封印の印を重ねる。外へ出る。路地の匂いが入れ替わり、遠くで窯の戸の金属音。人の気配が少し増え始めた。朝が来る前に、一つ線を進める必要がある。


 レオンが進路を指で示す。「河骨の手前で“鈴の借り口”がある。橋下の小屋だ。合図を受けて“二→一”へ転がす役。そこを確認してから橋台へ」

 サビーネが屋根の端を確かめ、「上から先行する」と短く言って樋を渡る。イリアは掲示の副本を抱え、俺と並ぶ。ヘルミナは藍壺を腰に。

 クロが小声で「いく」と言い、尻尾を上げる。前足で俺の手首をぎゅとつかむ。離す。歩幅を合わせる。鈴は鳴らない。足音は増えない。息は乱れない。


 “骨蔵”の角を離れて振り返ると、銀板は朝の薄い光を受けてただの板に戻っていた。鳴らす者はいない。合図は切った。

 次は、鈴の借り口だ。橋へ動く。ここからは、線を順に潰す。走らない。必要なだけ進む。

 クロの耳が前に寝て、また起きた。「あさ、くる」

「ああ。朝になる前に、もう一つ」


 俺たちは川筋の方へ向かった。石畳の目地が細く、風が真っ直ぐ通る。匂いが入れ替わる。粉の甘さは薄れ、代わりに水の匂いが強くなる。橋台の下に小屋。鈴が二つ。蝋板で見たとおりだ。

 レオンが指で合図。ここからは二手。サビーネは上、俺たちは下。合図の線を見て、必要な分だけ切る。余計な音は出さない。


 “蒼雷旅団”の名は紙の上だけに置いておく。やることは同じだ。線を切る。人を無用に傷つけず、荷と合図を押さえる。次は橋だ。



 川筋へ降りると、橋台の陰気が肌に張りつく。水面は低く、橋脚の石が半段見えている。小屋はその真下、梁に寄り添うように建っていた。扉板は薄い。屋根は葺き替えたばかりで、釘の頭がまだ光る。

 イリアが首だけ動かして確認。「鈴、二つ。高い音が“二”。低い音が“一”。引き綱は屋根裏……樋の中」

 クロが板の継ぎ目に鼻先を当て、「やに、すこし」と短く言う。樹脂で綱を固め、雨でも切れにくくしてある。


 レオンが割り振る。「屋根はサビーネ。橋上の兵と合図を確認。——アキラ、風で“鳴り”を持ち上げろ。ヘルミナは綱の根を湿らせ。イリアは掲示札の準備」

「了解」

 石段を三つ降り、扉の手前で一度だけ棒の石突をこつと鳴らす。中の息が止まり、紙が擦れる音。二人いる。片方は若い。もう片方は声を出す前に咳を飲み込む癖。


 俺は掌を胸の前で返し、屋根下の空気を持ち上げる。音の通り道が天井へ逃げ、鈴の腹が鈍る。ヘルミナが濡らし布を樋口へ差し込み、樹脂の綱に水を吸わせる。硬さがゆっくり落ちる。

 その間にサビーネが上からことりと合図。屋根の継ぎ目は取れた。


「開けます。押収札の掲示」レオンが扉に声だけ落とす。怒鳴らない。

 返事はなし。代わりに屋根裏でしゃりと綱が走った。鳴りは上へ抜ける。鈴は鳴らない。半拍遅れて、扉が指一本ぶん動く。若い視線が隙間に浮く。

 俺は薄紙を合わせ目へ滑らせ、鍵舌に布を噛ませる。音は出さない。レオンが体を横へ入れ、半開きのまま挟む視界を作る。


 クロがするりと先に入って床を低く回り、鈴の綱の出を前足でとんと押さえる。「ここ」

 若いのが腰へ手を——短剣ではない。布の端だ。口に当てる準備。煙を焚くつもりだった。サビーネの矢が梁にどすと刺さり、上の“荷重”が止まる。「動くな。梁が落ちる」短い声。十分だ。

 レオンは年長の肩を壁へ寄せ、倒さずに腕を固定する。俺は綱の結び目へ指を差し入れ、湿り具合を確かめる。樹脂がほどけている。そこにだけ薄い風を通す。水がもう一呼吸だけ染み、鳴りが落ちた。


 ヘルミナが小さな壺を持ち上げる。口に甘粉の痕。「煙壺。口は封」

 イリアが掲示札を扉内と外へ結ぶ。

 小屋の奥、棚の裏板に薄い隙間。クロが前足でかりと合図。レオンが短い鉤を差して引くと、蝋板が二枚。

 イリアが読み上げる。「《借口/今朝=五/鈴:二→一》《河骨=午下二/“狐”二袋》」

「合図の線、確定だ」レオンがうなずく。「ここは封。——橋台へ上がる」


 小屋から出て、橋の腹へまわる。柱の影は風が重い。欄干の上には衛兵が二。ランベルトの部下だ。事前の打ち合わせどおり、鈴は外して縄。橋上の人の流れは維持。下で綱を切らせない。


 橋脚の上に立つと、対岸の草むらの小屋が見える。屋根端に小さな錘がぶら下がり、引き綱が川面まで落ちている。鈴は二つ。こちらの“借り口”と同じ構え。

「川面、逆流が出てる。音が乗りにくい」ヘルミナが言う。

「なら、今切る」サビーネが草陰に回り、屋根の釘一本をことんと外した。錘の位置がずれて、綱の角度が下へ落ちる。俺はそこで風を薄く起こし、鈴の“腹”だけ上へ逃がす。鳴らない。


 その瞬間、欄干の下で水音がひとつ。川べりを抜けてくる細い影。外套に灰の縫い取り。腕輪。灰指の印。飛針の筒を抱えている。狙いは橋脚の綱。

 クロが先に気づき、耳を前に倒してぴと小さく鳴いた。尻尾が立つ。

 飛針の口から樹脂糸がすっと伸びる瞬間、クロの尻尾の先がぱちと光った。微かな火花。俺はその軌跡をなぞるように風を細く足して、糸に静電の帯をまとわせる。樹脂がほんのわずか乾き、滑りが失われる。糸が橋脚の角でぎんと鳴って、巻き取りが空回りした。

 外套の男が顔を上げる。サビーネの矢が欄干の足下にことと落ち、足の角度だけを止める。「武器、下」

 男はためらい、筒を下へ落とした。ランベルトの部下が縄で手首をとる。血は出ていない。


 橋の上の流れは乱れない。鈴は外れたまま、替わりの掲示が柱にぴしと貼られる。

〈河骨線——鈴使用停止/合図は関所経由〉

 イリアが副本を小屋の内へも残し、時間と署名を書き入れる。


 ここで一息。レオンが流れを区切る。「“骨蔵”と“借り口”は落とした。次は“河骨”本体——倉の腹だ。押収は関所と商税側の仕事になるが、案内と風は俺たちの役目。午下二。刻は近い」

 サビーネが矢筒の口を確かめ、「屋根の筋書き、もう一度見る」と先行。

 ヘルミナが藍壺を締め、俺の手首を一度だけ触る。「さっきの静電、体に溜めないように。水を飲む」

「分かった」

 クロは水を一口飲み、前足で口元をぺしと拭う。真面目な顔で俺を見上げる。「だいじょうぶ」

「ああ。助かった」


 橋を離れて通りへ戻る。川の匂いが薄れ、木樽の匂いが強くなる。河骨の印が並ぶ筋は、表向きは穀物倉。壁は薄い土色、窓は少ない。搬入口は中ほど、左右に控えの小扉。屋根の角に煙抜き。

 サビーネが屋根から手旗を一つ。見張り三。正面一、裏二。合図は短い鈴。銀板は無い。中で鐘ではなく、木の板——叩き板の音が返る造り。


 俺たちは正面の搬入口から五間手前で止まり、最小の動きで確認を始める。

 レオン「俺とアキラが正面。イリアは押収札。ヘルミナは吸気の逆流を抑える。サビーネは屋根で“板”の動きを止める。クロは匂い。——走らない」

「了解」


 搬入口の前に出て、棒の石突を一度だけ鳴らす。中の音が止まり、板を置く音。年配の歩幅。若い音が奥へ下がる。退路を作っている。ここで長く引くと奥へ逃がす。短く切る。

「押収札の掲示。火は使うな。扉を開ける」

 返事はない。代わりに屋根の煙抜きから薄い甘さ。粉を振っている。

「ヘルミナ」

 彼女は吸気の口に濡れ布を当て、俺は風で上へ押し上げ、室内に戻さない。甘さは逃げる。


 閂の音。半分上がる。扉が手の幅。レオンが体を横に入れ、進路を斜めに切る。俺は空いた角へ薄紙を差し込み、音の逃げる隙間を作る。

 中は広くない。袋詰の穀物と樽。奥の棚に白い紐。蜜で固めた粉を伸ばす道具。叩き板は梁に吊られ、紐の端と繋いである。引けば板が梁を叩く仕掛け。サビーネが屋根から紐の根元に矢を通し、結び目だけを切る。板は落ちず、音は出ない。


 正面の男は腰に短い棒。握りは使い込まれている。肩の角度は低い。刃より棒を好む手。

 レオンが角度だけ前へ入り、「武器は床」。

 男は棒を横に払う。俺は根に風を当て、重心を抜く。棒は床へ。手の甲を返す癖は無い。レオンが足下の袋で動線を塞ぎ、倒さずに壁へ寄せる。

 奥の若いのが樽の影から走る。クロが低く身を張り、前足で梶棒の端を叩いて角度をずらす。若い足が半歩遅れる。その間にイリアが小声で掲示の文句を読み上げ、扉内へ札を結び、時刻と署名を入れる。


 ヘルミナは匂いの線を追い、棚の裏の差し板を見つける。短い釘。手で抜ける。蝋板が三。

 イリアが写して読む。「《河骨/午下二/“狐”=二袋/渡し:路“柳”》《鈴:二→一/叩板/搬入口》……刻が近い」

 別の板には《“灰”来ず/指示:合図のみ》とある。頭(かしら)は来ない。合図だけで流す段取り。

 レオンが言う。「渡しの“柳”は橋筋の三本目。道は狭い。……荷車で来るなら前後を切るだけで止まる。走らせない」


 屋根の上でサビーネがことり。外の動き。

 クロが鼻を上げ、「におい、ふたつ。はこ」と短く。

 外を窓の隙から見る。角の手前に小さな荷車が二。狐の薄印。押すのは若い二人。腕輪は無い。後ろに一人、外套が着崩れている。袖口に灰指の刻み。

「出る。——アキラ、前。俺は右」

「うん」クロが肩に跳ぶ。


 搬入口を出ると同時に、外套の男が腕を上げる。偽の鈴を持っている。金輪。

 俺は輪の前に薄い風を落として息の向きをずらす。音は鳴らない。

 レオンが外套の腕を肩で寄せ、肘の角度だけを変えて床へ落とす。

 若い二人は荷車を止め、両手を見える位置に上げた。顔は怯えているというより、戸惑いが強い。

「手を上げたまま。箱は置いて帰れ」

「運ぶだけって言われた」若いほうが言う。

「ここで終いだ」


 箱の封蝋に“狐”。横に小さく**“柳”**の焼印。中は粉。封を切らず、押収札を貼る。イリアが内容と時刻を記す。

 ヘルミナが若い二人を脇へ座らせ、水を渡す。「咳は?」

「だいじょうぶ」

 クロが靴先をちょんと触り、「かえる」と短く。二人は顔を見合わせ、うなずいた。


 外套の男は壁へ背を当てたまま、視線だけをこちらに流す。腕輪は濃い刻み。下ではない。

「頭は来ない」俺は蝋板の一節をそのまま読む。「合図だけで回す段取りだった」

 男は目を細め、黙った。

 サビーネが屋根から降り、袖の糸をどすと樽に縫い止める。逃げても一歩で戻る。血は出ない。


 倉内の粉は袋で十。樽は二。蜜板は四。押収。控えは関所とギルドへ。

 レオンが締める。「ここまでで“河骨”への線は切れた。残りは“柳”の渡しで待つ手……だが箱は二で終わり。今日の便はこれで尽きる。午後は報告と控えの整理。夜の“返し”だけ見張る」

「了解」


 関所への道で、ランベルトが合流する。短槍を肩にかけたまま、目だけこちらに寄こす。「うまくやったな」

「鈴の線は切れた。借り口封。橋台は掲示済み。——河骨の蝋板は三枚」

「受け取った。商税の立会いで倉を改める。お前らはギルドへ戻れ。昼に一度寝ろ。夕刻にもう一度だけ川へ出る。夜の“返し”がある」

「了解」


 白樺亭へ戻る前、鍛冶通りに寄る。フーゴの店。棒の革キャップを外し、軽く拭う。

「音は悪くない」フーゴが柄の結び目を見て言う。「夜の湿りが残ってる。昼のうちに落とせ」

 クロの紐を指でこつん。「噛むな」

「かまない」いつもの返事。表情は真面目。尻尾だけ小さく揺れた。


 ギルドに着くと、ミレイユが掲示板の前で待っていた。「口頭で短く」

 レオン「『骨蔵=封。借り口=封。河骨=押収予告。渡し“柳”は切断』」

 俺「『鈴は二→一の線を停止。蝋板三。荷は箱二、袋十、蜜板四』」

 サビーネ「『怪我なし。逃げたのは無し。腕輪持ちは一、衛兵渡し』」

「よし。午後は全員、寝ろ。夕方は一度だけ川筋を見る。夜は“返し”を抑えて終いにする」ミレイユが帳面に欄を増やす。《骨蔵=封》《借り口=封》《河骨=商税手入》


 医務でヘルミナが最後の確認。「喉、痛みは?」

「ない」

 クロにも水。小椀を両前足でちょいと押し、「のむ」。喉がころと鳴る。目が細くなる。落ち着いた。


 白樺亭の部屋で道具をほどき、押収写しを袋ごと机に置く。棒は乾拭き。薄紙束を“河骨/借り口/橋台”に分け直す。鈴紐の赤糸はずれていない。

 クロが胸の上で丸くなり、左前足の黒い点で腕をとんと押す。「ねる?」

「寝る。夕方に起きる」

 瞼が落ちる。街の音は遠く、川の湿り気は薄い。


 半刻ほどの午睡から目を開けると、光は柔らかい。夕刻前の匂い。市場筋の声が戻る。

 再集合。ミレイユから回覧札。

〈夕見:川筋“柳”/返し確認/走らない〉

〈関所報:骨蔵=封印完了/河骨=明朝手入〉


 レオンが地図を押さえる。「今日の線は切り切った。夜の返しを確認して、明朝の“河骨”で一章に区切りを付ける。——その後の動きは、ギルドで詰める」

 サビーネが「了解」と短く返し、弦を確かめる。

 クロは尻尾をぴんと立て、前足で俺の手首をぎゅと掴む。「いく」

「ああ」


 川筋“柳”へ向かう途中、果物屋の前で若い衆が親指を立てる。「昼の鈴、見た。静かだった」

 俺は軽くうなずき、歩幅を戻す。夕風は乾いている。音は遠くへ抜ける。返しは来ても小さい。線はもう切れている。

 橋が見える。草むらは薄暗い。鈴はない。掲示は生きている。

 ここで一度だけ足を止め、夜の前の空気を吸う。次の半刻で終わらせる。終わらせて、報告して、次の準備に入る。


 クロが耳を前に倒し、「くも、きた」と小さく言った。雲は薄い。雨にはならない。匂いは軽い。

「大丈夫。——動く」

 俺たちは川べりへ降りた。返しの確認は短い。余計な音は出さない。終いの刻までは、まだ間がある。



 “柳”の渡しに着くころ、川面は鉄色に沈み、橋脚の影が長く伸びていた。欄干の掲示はまだ新しく、札の角が風に小さく鳴るだけだ。

 位置取りは決めてある。サビーネは対岸よりの屋根、レオンは橋脚の根、俺とクロは柳の幹の陰。ヘルミナは樋口の風の通りを見て、イリアは控えの板札を胸に抱える。衛兵は橋上の二と、道の曲がり角に一。走らない。声は短く。


「返しは小さいはずだが、来る」レオンが低く言う。

 川風が一度だけ上流から降り、湿りが頬に触れた。鼻先に薄い甘さ。粉を固めた匂いに、鉄が混じる。新しい留め金だ。

 クロが耳を倒し、前足で柳の根をとんと叩く。「くる。ふたつ」

「舟か、足か」俺が問うと、相棒は枝先を見るように顎を上げ、「あし」と短く返した。


 最初の足音は、草むらの上を選ぶ重みの軽い歩幅。若い。次が遅い。片足をかばう癖。棒を支えにしている。

 柳の陰から現れたのは、魚籠を担いだ若い担ぎ手と、外套をゆるく着た年配の男だった。魚籠の口に封蝋。籠の底板に薄い金具。あれは荷の受け渡しに使う銀板(ぎんばん)――商税の印と照合するための板だ。

 イリアが小声で伝える。「商税の刻印は今日差し替え済み。旧印なら偽物」

 サビーネが屋根の上からことりと合図。視界は取れている。


 年配は辺りに目を配り、若いのは柳の根元に籠を置いた。引き綱はない。代わりに短い鈴が袖の中。鳴らす癖。

 俺は掌を胸の前で返し、鈴の前にわずかに風を置く。鳴りは上へ逃げる。

 レオンが一歩だけ前へ。「そこで止まれ。封を見せろ」

 若いのが肩を強張らせ、年配は笑って見せるだけで籠へ指を入れた。封蝋の紐を摘む指が、わずかに震える。

「商税の者か?」

「そういうことにしておけば通りがいい」年配の声音は軽かった。袖の中で鈴がかすと触れ、鳴らない。顔がわずかに曇る。


 その時、橋脚の根でしゃんと細い金属音。下からじゃない。上から。欄干の下に細い針金。飛針の筒が梁裏に貼られている。

「上」俺が言い、レオンが首だけ上げる。

 サビーネはもう弦を半引き。梁裏の影に、矢を一本どすと打ち込んだ。飛針の筒の口をごっと潰す狙い。筒は鳴りを上げて落ち、石に転がって沈黙する。

 年配の目が動き、袖の中の鈴にもう一度触る。鳴らない。焦りが出る角度。

「封蝋」レオンが短く促す。

 年配は観念したふりをして紐を持ち上げ――そのまま若いのの背へ押しを送った。若いのが反射で走る。籠を置いたまま、橋下へ向かって脇道へ。

「クロ」

「うん」

 猫は柳の根を蹴って前へ。前足で籠の耳金をとんと踏み、滑り止めをかけた。籠は動かない。若いのは空の手で逃げる形。レオンが半歩送って肩を押さえ、倒さずに壁へ寄せた。


 年配は外套の裾から短い棒を抜いた。握りは重い。鉛を噛ませてある。脛を狙う低い打ち。

 俺は“風”で根元を押し、重さを一瞬だけ落とす。棒は床を叩き、年配の手が裏返る。レオンは手首を取らない。肩の角度を変えさせ、肘の曲がりを止める。倒さない。逃げ道だけ消す。

「銀板の照合。——イリア」

「はい」

 イリアが籠の口をあけ、銀板を二枚取り出す。角に小さな“狐”の刻み。反対側に商税印。

 ヘルミナが油紙を敷き、擦り布で印面を拭ってから、携えた照合印を押し当てた。今日付けの小印が、銀板の縁に薄く沈む。

「一枚、旧印。もう一枚は刻みが浅い。偽物」

 年配の肩の力が抜け、目だけが冷たくなる。「印面は今朝見直したはずだ」

「今朝“見直した”から、それも見抜ける」レオンの声は短い。


 欄干の上で、衛兵の一人が手で「西」を示した。橋の陰を回って来る影がもう一つ。外套二。袖に細い線――灰指の刻み。

 サビーネが屋根から一本。矢は欄干の足元の板にぴしと刺さり、外套の足の角度を止める。

「走らない。武器を出すな」

 外套の一人がためらい、もう一人が短い弩を抜いた。狙いは籠。

 俺は息を短く吐き、煙の道だけを切る要領で、弩の前の空気を薄くずらす。弦が鳴り、矢は籠の蓋金をかすめて地面へ。クロが前足でぱしと弾き、川へ落とさない。相棒の耳がぴくりと立つ。


「二人とも、腕を前」レオンが告げる。

 外套の一人は腕輪を見せて降ろし、もう一人は袖の中で何かを握った。金輪。偽鈴。

 サビーネの矢が袖の外をかすめ、金輪が土へ落ちる。鳴らない。

 衛兵が橋上から降り、外套二を縄で取る。血は出ない。動きは速いが、呼吸は乱れない。


 照合は続く。イリアが板札に写しを走らせる。

〈返し“柳”=銀板二(うち偽一)/籠=押収/偽鈴×二/飛針筒×一〉

 ヘルミナは銀板の縁を指で確かめ、「刻みの深さは旧鍛の癖。倉の“河骨”で作ったものじゃない。外注だね」と短く言った。

 イリアが別の薄板を取り出す。「関所回しの副写し、できてます。ランベルトへ」


 柳の陰に、もう一つ軽い足音。子ども。背負い袋、紐の端の結びが右利き。息は荒いが、目は真っ直ぐだ。「あの、橋の掲示、商税の詰め所にも写すんですか」

「写す。仕事か?」

「伝令(つて)です。……掲示見ろって言われて」

 イリアが札の複写をもう一枚渡し、「道の真ん中を歩いて帰りなさい」とだけ言う。子どもは頷いて走りかけ――衛兵が肩に手を置いて歩きに変えた。鳴らない鈴が、街に一つ増えるみたいに静かだ。


 橋脚の下で、水が一度ゆらと揺れた。潜りの癖のある音。昨日の港の手とは違う。流れを読むのが浅い。

 クロが尾を立て、尻尾の先がぱちと小さく光る。「した」

「触らない。見るだけ」

 潜りは橋脚の影で方向を変え、こちらへは来ない。川の真ん中を短く切って、下流へ落ちる。焦っている。

 レオンが肩を回し、「今日はここまでの返し」と締めた。「無理に追わない。線は切った。残りは明朝の“河骨”。押収と照合で終いにする」


 年配の外套を樽に留め、腕輪の濃い刻みを確認する。爪の印が二本。下っ端ではない。

 レオンが低く問う。「銀板の打ち場はどこだ」

 年配は口を閉じ、視線だけ川を切った。サビーネは矢を下ろし、矢尻で樽の木目をことと二度鳴らす。脅しではない。時間を数える音。

 ヘルミナが代わりに言う。「口を開けば、商税の手入れで名前が一つ減る。開かなければ二つ増える」

 年配は短く息を吐き、肩を落とした。「……“河骨”じゃない。“河骨”の奥、“骨裏(ほねうら)”。倉札の束で隠してある。刻みは夜にやる。昼は音が出るから」

 イリアが即座に写す。〈骨裏/刻み夜/倉札偽装〉


 衛兵に引き渡しが終わると、橋の上の人の流れがゆっくり戻る。掲示は一枚だけ増えた。

〈返し“柳”=完了/銀板照合/偽一〉

 鈴は鳴らない。代わりに板札の黒がきれいに立って、道の目になる。


 ギルドへ戻る途中、ヘルミナが俺の耳の脇を見て「赤み無し」と確認し、薄い油をひと撫で。

 クロは俺の手の甲に鼻先をすりと当て、「におい、つよいとき、いって」と言う。

「分かった。さっきは助かった」

 相棒は胸を張って尾をぴんと立て、前足で俺の手首をぎゅと掴んだ。真面目な顔。かわいい。


 ギルドの帳場では、ミレイユがすでに商税側の使いと話を付けていた。

「明朝、河骨の手入れ。骨裏への立ち入りは商税の印が先。——君らは案内と、照合の補助。書きはイリア。風はアキラ。屋根はサビーネ。抑えはレオン。医務はヘルミナ。衛兵はランベルト。走らない」

「了解」

 イリアが控えを三通作り、セルジオが欄を増やす。《柳返し=完》《銀板=偽一》《骨裏=刻み夜》

 フーゴの鍛冶通りから、短い使いが来た。「棒の端の紐、夜用の結び直し。今やるか?」

「今」レオンが答え、俺の棒を渡す。フーゴは結び目の余りを二分だけ詰め、「湿りのうちに固めとけ」と短く言った。


 白樺亭。粥の湯気。塩は薄い。マルタが椀を置き、「顔つきが仕事の顔ね」と笑う。

 クロは椀に前足をちょいと添え、「のむ」。喉がころと鳴る。リナが頭を撫で、「いい子」と小さく言った。相棒は目を細め、尻尾の先で俺の袖をとんと叩く。

 食べ終え、道具を整える。棒は乾拭き、薄紙束は“骨裏/照合/押収”に分ける。鈴紐の赤糸は正しい位置。

 レオンが締めた。「夜は動かない。明けに一息で終わらせる。骨裏を開け、刻みを押さえ、銀板を照合。……それで、この街での“線”は、一旦終いだ」

 サビーネは弓の弦を指で押し、「明日の屋根、風の筋を先に見る」と言って席を立つ。

 ヘルミナは藍壺を棚に戻し、「寝る前に水をもう一杯」と俺に渡す。

 イリアは板札の角を揃え、控えを袋へ。

 クロは俺の胸の上に乗り、左前足の黒い点でとんと合図。「ねる?」

「寝る。明けに起きる」

 窓の外で川がさらと鳴り、街の音が低くなる。息を合わせる。明日、骨裏だ。



 明け六つ。川霧が薄く残り、倉場“河骨”の軒が湿っていた。商税の司印(しいん)二、記録吏一、衛兵四。ギルドからはレオン、サビーネ、ヘルミナ、イリア、俺とクロ。

 走らない。声は短く。入口の札は、昨夜イリアが写した“立入・刻印照合”。鎖は外から。鍵は商税。


「骨裏(ほねうら)へ直行。表の倉札は私が持つ」司印の女が低く言う。目は眠っていない。

 倉の奥は棚の壁。帳面の束が三列。ヘルミナが鼻を寄せる。藍布の下で「樹脂の匂い、右」と短く。

 レオンが棚の縁に手を回し、俺は“風”を指一本ぶんだけ押す。棚の重みを軽くして、音を出さずにずらす。背面に薄扉。扉の下に、細い鈴。糸は乾いた樹脂。昨夜の川口と同じ。

 サビーネが糸の“腹”へ羽根の無い矢をことりと当て、力を抜いて落とす。鈴は鳴らない。司印が鍵を回す。骨裏が開いた。


 中は狭い。灯は少なく、台が二つ。片方に銀板の枠、もう片方に酸壺。壁に打ち型(うちがた)の箱。鼻の奥に薄い金。

 手が三。若い二、年配一。若いのの片方は腕輪。もう片方は無し。年配の指に薄い灰の刻み。

「止まって。刃は床」レオン。

 年配が視線だけで合図を送る。若いのが酸壺に手を伸ばし――クロが前へ跳び、前足で壺の耳をぱしと叩く。壺は台の上で半回転して、口が布に向く。酸は出ない。

 サビーネの矢が年配の袖の外をかすめ、手の動きを止める。衛兵が二歩で詰め、腕を後ろへ。倒さない。座らせるだけ。


 司印が枠の刻みを布で拭い、照合印を押した。ぎゅ。金の縁に今日付けの小印が沈む。

「枠一、旧式。二、偽。酸は希薄化。騙し刻み」

 ヘルミナが台の下から薄い蝋板を二枚引き出す。《骨裏/刻み夜》《外注:狐尾=川口》

 イリアが写す。写した板の角は真っ直ぐだ。

 年配は口を結んだまま。司印が淡々と続ける。「旧式の枠で、商税印を“なぞる”。深さが違う。——ここまでだ」


 壁の箱を開ける。打ち型と棒ヤスリ。棒の根に細い金具。“灰”。港の外套の金具と同じ形。

 レオンが短く問う。「頭(かしら)はどこ」

 年配の喉が一度だけ動く。出ない。

 司印が記録吏の板に印を置く。「商税へ移送。職は取り上げ。——少年、風で箱の底、もう一度」

「はい」

 底の角へ薄く風を押し、紙一枚分の隙間を起こす。細い木片がするりと出た。《骨裏/封:夜八/渡し:内陸“葦路(あしじ)”》

 イリアがすぐ写す。〈葦路=受け皿〉


 押収は早い。銀板、枠、酸壺の口、蝋板、金具、偽鈴。箱は封札。人は衛兵。

 司印が締めた。「照合完了。——ギルドはここまで」

 レオンが頷き、短く返す。「受け」


 外へ出ると、霧はもう薄い。関所アルダへ戻るルートは、橋を一本外す。足音は揃える。

 関所ではランベルトが待っていた。「骨裏、押さえたか」

「押さえた。旧枠、偽印、蝋板“葦路”。人三、移送」

「受けた」彼は鈴を一打。塔の上で返す鈴が一打。終いの合図。

 セルジオが帳面を閉じ、「これで“黒灯—狐尾—河骨”の線は切った」と言った。「港の鎖はしばらく太いまま。川の鈴は撤去。商税の詰めは続く。……君らは——」


「昼に休んで、夕方に出る」レオンがはっきり言った。

 俺は頷く。俺が決めたんじゃない。昨夜、帳場の奥で全員で話し合った。街は一旦落ち着いた。次の線は“葦路”。内陸だ。通しの依頼は、商税とギルドの合同。“葦路”の下見と人の護送。

 ミレイユが新しい札を置く。〈依頼:葦路=下見・護送/期:今日夕刻発〉「今日じゅうに出るなら、通行帳の記名がいるわ。——隊名も」


 ヘルミナが俺を見る。俺はクロを見る。相棒は胸を張り、尾の先をぴっと上げた。

 レオンが短く笑って、隊に向き直る。「名が要る。——“蒼雷旅団”。昨日の港で、猫が蒼い火を見せた。青は川と空。雷は合図を切る音。……文句は?」

「無い」サビーネが即答。

「異存なし」イリア。

「医務の印、貼り替えておく」ヘルミナ。

 俺は「賛成」とだけ言った。

 クロが「ぼく、そうらい」と胸を張る。かわいい。けれど、名乗りは必要だ。通行帳にも、掲示にも。


 関所の帳台で、ランベルトが筆を取る。

〈蒼雷旅団 頭=レオン/弓手=サビーネ/医務=ヘルミナ/記=イリア/風=アキラ/相棒=猫“クロ”〉

「出立印、打つ。帰りを待つ」彼は短槍の柄で台をこんと叩き、笑った。「相棒、鈴は鳴らすなよ」

「ならさない」クロは真顔でうなずき、帽子のつばを指で叩く仕草をまねた。衛兵が笑う。


 白樺亭に戻ると、マルタが包みを出した。「干し肉は薄塩、猫さんのは別。黒パン、二日ぶん。——無事で」

 リナがクロの頬をすりと撫で、「雷、かっこよかった」と小声。相棒は目を細め、「にゃ」と短く返す。

 鍛冶通りではフーゴが棒の石突を替えた。「道の石は街と違う。尖らせすぎるな。——帰りにまた見せろ」こつんと俺の肩を指で叩く。

 ミレイユは帳場で札束をまとめ、「道中の合図、三枚」と渡す。〈走らない/声は短く〉〈押収は封札〉〈相棒は水〉


 昼寝は短く。道具の並びは“路”に入れ替え。薄紙束は“葦路/橋/宿”。鈴紐の結びを一つ詰める。水は一本増やす。

 ヘルミナが旅の手当を配る。「擦れ止め、消毒、包帯。——アキラ、稽古表」

 紙には三行。〈朝:足運び(レオン)/昼:風の角度(イリア記)/夕:雷の練習(ヘルミナ監・屋外)〉

「やる」クロが胸を張る。

「雷は“ぱち”だけ。火気は無し。乾いた布と麻紐で静電の癖を見て終わり」ヘルミナが釘を刺す。

「分かった」俺は返し、棒の握りを一度確かめた。


 夕刻。北門。塔の影が道に伸びる。門上の鈴は静かだ。市場の端の屋台が手を振り、果物屋のフィオナの若い衆が「鈴、上手く読んだ」と笑う。

 ランベルトが門扉の影で手を上げた。「葦路へ?」

「下見と護送。戻りは未定」レオン。

「道中に“河骨”の枝があったら、札を一枚残せ」セルジオが板を掲げる。〈骨枝=見次第/触らず/札〉

「受け」イリアが写し、袋に入れる。


 門の外。道は乾き、草の匂い。川の音が遠くなっていく。クロが最初の一歩で足をとんと揃え、俺の歩幅に合わせる。鈴は鳴らない。いい足だ。

 レオンが隊の前で短く言う。「最初の宿は“柳丘”。三刻で着く。——合図はいつも通り。走らない。声は短く」

「了解」

 サビーネは屋根の代わりに道の影。矢筒は軽い。

 ヘルミナは水袋を確かめ、俺の肘の包帯をきゅと締め直す。

 イリアは板札の角を揃え、地図を胸に。

 俺は風の向きだけ確かめ、クロの耳の動きに合わせる。


 街の鈴が背で一度、小さく鳴った。送りの合図。

 振り返らない。前を見る。

 俺たちは歩き出した。蒼雷旅団。道は北東、“葦路”へ。

 風は新しい匂い。クロの尻尾がぴんと立つ。

 鈴は鳴らない。——行く。

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