第56話 澪のマスコットフィギュア①
十勝の空は完全に冬の色に支配されていた。
吐く息は白く凍り、一度降った雪はもう溶けることなく、大地を白く静かに覆い尽くしている。
その日、私はみのりちゃんの応援のために、再び、明治十勝オーバルを訪れていた。
年明けのインターハイ予選を前にした、最後の公式記録会。
選手たちの間には、今までとは比べものにならないほどの、ピリピリとした緊張感が漂っていた。
勝手知ったる施設の中を、私は帯広一条高校スケート部の待機場所へと向かう。みのりちゃんを激励したかったのだ。
『大丈夫。私がついてるから』
そう一言、声をかけるだけで、きっと彼女の力になれるはず。
篠宮先輩と鉢合わせたら少し気まずいかな……そんな思いも頭をよぎったけれど、親友を応援したい気持ちのほうが、ずっと強かった。
しかし、待機場所にたどり着いた私は、その張りつめた空気に、思わず足を止めてしまった。選手たちがコーチを囲み、厳しい表情で檄を飛ばされている。
「いいか! 今日の記録がインターハイの結果を左右する! 一本一本、これが最後のレースだと思って集中して滑れ!」
その輪の中心にいるみのりちゃんの顔には、今まで見たことのないほど、真剣な光が宿っていた。とても声をかけられる雰囲気じゃない。
私は邪魔をしちゃいけない、と、そっと踵を返し、いつものスタンド席へ向かった。
その廊下の向こうで、ひとりの見慣れた人影が、何かを探すように、きょろきょろと辺りを見回しているのが目に入った。
ーー氷室澪さん。
彼女は、自分のバッグの中を何度も何度もかき回し、何かが見つからないのか、焦ったように首を振っている。
私は、一度はそのまま通り過ぎた。
私には関係ない。みのりちゃんのライバルなんだから。
でも、どうしても気になってしまった。
いつも氷の女王のように冷静沈着な彼女が、あんなふうに取り乱している姿を、初めて見たからだ。
意を決して、私は彼女に声をかけた。
「――あの」
その声に、氷室さんはびくりと肩を震わせ、驚いたようにこちらを振り返った。
「……えっと。あなたは、畑中さんと一緒にいた……」
「帯広一条高校の雪村あかりです。何か、探しものですか?」
問いかけると、氷室さんは、はっと表情を硬くした。
「……あなたには関係ないわ」
そう突き放すように言い、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「そうですか。じゃあ、記録会、頑張ってください。みのりちゃん、前回とは別人みたいに気合入ってますから」
私がそう言って立ち去ろうとした、その時だった。
“みのり”というワードに反応したのだろう。氷室さんが、小さな声でつぶやいた。
「……フィギュアが、ないの」
「え?」
「白熊のマスコットフィギュア。いつもバッグにつけてる、お守りみたいなものなんだけど……気づいたらチェーンが切れてて……」
その声は震えていた。見たこともない狼狽ぶりだった。
私はただならぬ気配を感じ、自分でもどうかしてると思いながら口を開いた。
「私、一緒に探しましょうか?」
「あなたが? ……どうして」
「どうしてって……」
少し考えて、正直な気持ちを口にした。
「全力のあなたに、みのりちゃんが勝つところを見たいからです」
その言葉に、氷室さんは一瞬だけ目を見開き、ぽつりと言った。
「……そう。正直ね、あなた」
***
最後にフィギュアを見たのは、バスを降りた時だという。
私は、彼女が持っていた切れたチェーンを借りた。
「いいけど……」
と、不思議そうにする氷室さん。
その時、公式練習の開始を告げるアナウンスが響き渡った。
「氷室さんは、行ってください。私が必ず見つけてきますから」
「で、でも……」
「信じて」
私のまっすぐな目を見て、氷室さんは一瞬ためらった後、こくりと頷いた。
「……わ、わかったわ。お願いね」
そう言い、後ろ髪を引かれるようにしながら、リンクへと走り去っていった。
誰もいないことを確認し、私はチェーンにそっと手をかざす。探索の魔法。
あれだけ狼狽するくらいだ。フィギュアには、きっと彼女の強い想いが残っている。
私の脳裏に、一つの映像が浮かび上がった。
空を飛んでいる。
眼下には十勝オーバルの銀色の屋根。
そして近くの高い木の枝に、ふわりと何かが止まった。鳥だ。
鳥がフィギュアを持っていってしまったのだ。
私は急いで外へ出た。頭の中の光景に似た場所を探す。
あたりをつけた場所から木々を見回すが、それらしき鳥はいない。
冬の森は静まり返り、鳥の気配すら感じられなかった。
「なんで? いつもは騒がしいくらいなのに……」
運動公園の木々を手当たり次第に探したが、全く見つからない。
ふと時計を見る。もう記録会が始まってしまう。
焦る私の視界に、ひときわ高い白樺の木のてっぺんで、悠然と止まっている巨大な鳥が飛び込んできた。
オオワシだ。
その存在を怖がって、他の鳥は逃げてしまっていたのだろう。
そしてその鋭い嘴には、キラリと光る小さな白い何かがくわえられていた。
間違いない、あれだ!
でも、どうやってあそこまで……。
私は必死に“飛ぶためのもの”を探した。
そして、建物の壁に立てかけてあった雪かき用の大きなプラスチック製スコップを見つけた。
これしかない!
私がスコップに箒のようにまたがった、その時だった。
建物の角のほうから、人の足音が聞こえてきた。
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