秋の章

第40話 週末の魔法、平日の英語①

「――あかりさん、この補助線を引いた根拠は?」


 静さんの、静かだが有無を言わせぬ声が、森の小屋に響く。

 目の前には、私が描いた魔法陣の設計図。


 期末考査が終わってからというもの、私の魔法修行はより実践的で、そしてより理論的な領域へと足を踏み入れていた。


「え、ええと……それは、こっちの方が安定するかなって……」

「安定、なるほど。ではこの術式だと、マナの流れはどうなりますか?」

「あ、えっと……ここから、こういって……あ、円と交差するところで止まっちゃいます」

「そうですね。では、流れを止めないためには?」

「えっと……こんな感じ……かな」

「確かにマナの流れは良くなりました。でも、何に基づいて引きましたか?」

「えっと、それは……か、感覚?」

「あかりさん。魔術は科学です。そこに曖昧な感覚が入り込む余地はありません。すべての術式には、明確な意図と論理がなければなりません。さもないと術式の破綻につながりかねないから。――さ、もう一度、最初から魔法陣を書いて」

「は、はい……!」


 静さんは決して怒らないし、答えを押し付けようともしない。

 その代わり、ソクラテスも裸足で逃げ出すような理詰めの“詰め”。

 私の頭は、すでにオーバーヒート寸前だった。


「もう一度、基礎理論から、その魔導書をよく読み直してみなさい」


 静さんは、そう言うと、ふう、と小さく息を吐き、気分転換のためか、ハーブティーを淹れるために席を立った。

 残された私は、プレッシャーで汗ばむ手で、目の前に置かれた静さんの魔導書に手を伸ばした。

 それは、何世代にもわたって受け継がれてきたであろう、分厚く、そして貴重な一冊だ。

 その時だった。緊張で指先が滑り、魔導書が、ごとり、と音を立てて床に落ちてしまった。


「あっ!」


 私は、慌ててそれを拾おうと、床にかがみ込んだ。しかし、焦るあまり、開いたページの端を、指で強く、掴んでしまったのだ。

 ビリリッ、と、乾いた、嫌な音がした。

 私の手の中には、魔導書の、破れたページの切れ端が、無残にも残されていた。

 血の気が、さっと引いていく。

 破れたのは、よりにもよって、複雑な術式が描かれた、一番重要なページだった。


「集中力が切れた時は、ペパーミントがいいわ」


 静さんが、ティーカップを二つ持って、戻ってきた。


 どうしよう、どうしよう!

 私は、パニックに陥りながらも、咄嗟に、破れたページの切れ端を、元のページにそっと挟み込み、何事もなかったかのように、魔導書を閉じた。

 心臓が、ありえないくらい速く脈打っている。


 そんな私の内心の動揺など露知らず、静さんは、ふと、真剣な顔になって、私に向き直った。


「あかりさん。実は、私、明日から仕事を始めることにしました」

「え、お仕事、ですか?」

「ええ。だからこれまでのように指導することはできなくなります」

「え、それじゃあ修業は……」


 思わず声を上げた。


「安心してちょうだい。その点については考えがあるから」


 しかし、その言葉は、今の私には、全く耳に入って来なかった。


 ***


 翌日、学校の昼休み。

 私は教室で、みのりちゃんに昨日のことを話していた。


「へえ、静さん仕事始めるんだ。でもさ、そもそも魔女って普段どうやって生計立ててるの?」


 みのりちゃんはメロンパンをかじりながら、素朴な疑問を口にした。


「うーん……オーソドックスなのだと、占い師とかアロマテラピストとして個人サロンを開いたり、かな。変わったところだと、探偵みたいなことをしてる人もいるって聞いたことあるよ。とにかく独立開業してる人が多いみたい」

「へえ、いろいろあるんだね。静さんは?」

「静さんはすごく優秀だから、魔女の職業団体『日魔協』っていうところから、十勝の魔法植物の研究を委託されてるんだって。でも、それだけだと収入はなかなか厳しいらしいよ」

「うわ、魔女も大変なんだねえ……」


 みのりちゃんは、どこか同情するような目でうんうんと頷いた。

 そして、私の顔色が悪いのに気づいたのか、心配そうに尋ねた。


「ていうか、あかり、今日元気なくない? なんかあったの?」


 私は、観念して、昨日の失敗を、小声で白状した。


「……えーっ! マジで!? あの、静さんの魔導書を!? あんた、バカなの!?」

「ご、ごめん……」

「正直に、謝った方が良いんじゃない? 隠してても、どうせバレるって」


 みのりちゃんの、あまりにも正論な助言が、胸に突き刺さる。

 実は昨夜、静さんから「復習のために」と、例の魔導書を借りてきていた。そして、自室で、こっそりと山田さんの時に使った修復の魔法を試みたのだ。

 しかし、私は修復魔法をまだ安定して発動させることができず、貴重な古文書の破れた接着面は、かえって歪に、ミミズ腫れのようにくっついてしまい、さらに無残な状態になってしまったのだった。

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