第37話 夏の終わりの送別会

 あれだけ熱く、永遠に続くかのように思えた勝毎花火大会の夜から、数日。

 お盆を過ぎると、十勝の風は、まるで誰かがスイッチを切り替えたかのように、急にその表情を変えた。

 日差しはまだ夏の色を残しているけれど、頬をなでる風には、ひんやりとした秋の気配が混じり始めている。


「北海道の夏は、本当に短いんだね」


 窓の外を眺めながら私がそうつぶやくと、リビングのソファでスマホをいじっていたナツちゃんが、少しだけ寂しそうに「あーね」と相槌を打った。


 来週からは、高校でも後期授業が始まる。

 そして、その直後には、忌まわしい、忌まわしい「前期期末考査」が待ち構えているのだ。


 春告精さんの一件で散々な結果に終わった中間考査の二の舞は、絶対に避けなければならない。

 私は、リビングの大きなテーブルに山のような教科書とノートを広げ、夏休み最後の追い込みに励んでいた。


「――あかりーん」

「んー?」


 私が英文法の問題集と格闘していると、ナツちゃんがソファからひょいと顔をのぞかせた。


「ウチさ、明日、出発することにしたわ」

「え、明日!?」

 思わず顔を上げる。


「うん。稚内と知床の件も片付いたし、そろそろ北の方のエリアから秋が降りてくるから」

「そっか……」


 寂しい――そんな気持ちが、胸の奥からこみ上げてくる。

 ナツちゃんが麦風に文字通り転がり込んで来てから、花火大会まで。

 この夏、ナツちゃんがいてくれたから、私の毎日は何倍も色鮮やかで、にぎやかなものになった。

 性格は正反対なのに、なぜか、ずっと昔からの友達みたいに、一緒にいて楽だった。


「葵さん、よしえさん!」


 私は厨房にいた二人に声をかけた。


「ナツちゃんが、明日、出発するそうです」


「出発……そうか、もう秋が近いのか」


 葵さんが、少しだけ寂しそうに呟く。


「そう……。あの子がいると麦風がぱっと明るくなるから、いなくなると寂しくなるわね」


 よしえさんも、名残惜しそうに目を細めた。


「それで、相談なんですけど。今夜、ナツちゃんの送別会を開きませんか?」


 私の提案に、二人は「いいねえ!」と顔を見合わせて笑った。


 私たちが厨房でその話をしていると、当の本人がリビングから顔をのぞかせた。


「えー、送別会? いいよいいよ、そんなの! なんか悪いし……」


 ナツちゃんは、照れくさそうに頭をかいている。


「なに水くさいこと言ってんだよ。ナツはもう家族みたいなもんだろ。家族が旅立つ時は盛大に送り出すもんだ。今夜はうまいものを腹いっぱい食わせてやるから、覚悟しとけよ!」


 葵さんの言葉に、ナツちゃんは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにその目にうっすらと涙が浮かんだ。


「……マジ、あんたたち、最高すぎ……。ありがと……」


 こうして、急遽、ナツちゃんの送別パーティーが開かれることになった。

 メニューは、葵さん特製のジンギスカン。


「じゃあ、あかりはポテサラ用のジャガイモと、ジンギスカンに入れる玉ねぎ、倉庫から持ってきてくれるか?」

「わかりました!」


 私は、葵さんに言われ、ゲストハウスの裏手にある食料品の倉庫へと向かった。


「ええと、ジャガイモは……これでよし、と。玉ねぎは……あれ?」


 首をかしげる。

 玉ねぎを入れていたはずのネットが、昨日見た時よりも明らかに軽くなっている。

 数個、足りないような気がする。気のせいかな?

 不思議に思いながらも、私は野菜を持って厨房に戻った。


 ***


 その夜、麦風の庭は、温かい光と楽しそうな笑い声で満ちていた。

 送別会には、静さんとみのりちゃん、そして数名の宿泊客も参加してくれた。


「ナツの旅立ちを祝して、カンパーイ!」


 葵さんの音頭で、みんながグラスを合わせる。

 ジュージューと音を立てるジンギスカンの鍋を囲み、夏の思い出話に花が咲いた。


「ナツさーん。わたしも、もっと一緒に遊びたかったー!」

「あーん、みのりん、ウチもだよ! 先輩と上手くいくといいね!」

「うん、頑張る!」


 みのりちゃんがナツちゃんとハグしながら別れを惜しんでいた。

 三人で遊びに行けたら楽しかっただろうな、と二人の姿を見ながら思った。


 一通り食事が進んだ頃、葵さんがポケットから煙草の箱を取り出した。

 しかし、中身は空だったようで、舌打ちをする。


「ちっ、切らしてたか……」

「……またですか?」


 呆れたように、でもどこか嬉しそうに静さんが言う。

 そして、自分の小さなバッグを開けた。


「仕方ありませんね。そう思って、さっき買っておきました」


 その様子に、私とみのりちゃんは顔を見合わせた。


(ねえ、なんか、あの二人、怪しくない?)

(うん、すごく……。何かあったのかな……?)


 私たちは、興味津々でヒソヒソと噂話をする。

 と、その時。

 静さんの手が、ぴたりと止まった。

 バッグの中を探っていた彼女は、やがて困惑した顔でこちらを見た。


「……すみません、先輩。買っておいた煙草、なくなっています」

「えー、何それ、ウケるんですけど。二人してどんだけうっかりさんなの」


 ナツちゃんが、ケラケラと笑う。


「そういえば……」


 よしえさんが、ふと何かを思い出したように手を叩いた。


「最近、どうもおかしなことが続くのよね。倉庫の野菜が少しだけ減っていたり、お土産のお菓子がいつの間にかなくなっていたり……」


 その言葉に、庭の空気が一瞬、しん、と静まりかえる。

 そしてその場にいた全員の視線が、自然と一人の人物へ吸い寄せられるように集まった。


「……え?」


 視線の先にいたナツちゃんが、きょとんとした顔をしている。


「ちょ、ちょ、ちょ、何!? アタシじゃないし! そんな食い意地張ってないし! ひどくない!」


 ぷんぷんと頬を膨らませるナツちゃん。


「ニャン!」


 その時、私の足元で丸くなっていたテトが、短く、しかしはっきりと鳴いた。

 その声に、静さんとナツちゃんが、同時に、はっとした顔で見つめ合う。


「……あー、そうか」

「……なるほど。あり得ますね」


 二人は何かを確信したように、深く頷いた。


「え、何? 何かわかったの?」


 みのりちゃんが尋ねると、静さんは静かに答えた。


「ええ。この宿の周辺には、どうやら古くからの住人がいるようですね」

「住人?」

「――コロポックル、よ」


 フキの葉の下に住むという、北海道の伝説の小人。

 悪さはしないけれど、時々、人間の食べ物を拝借していく、食いしん坊でいたずら好きな妖精だ。

 でも、それと同時に、幸運を運ぶと言われている。


 ***


 パーティーが終わり、宿泊客たちが部屋に戻り、みのりちゃんを葵さんが車で送りに出たあと、私と静さんはナツちゃんと一緒に、ゲストハウスの外に出た。


「このまま物を取られ続けるのも困りますからね。弱い結界を張っておきましょう。彼らを傷つけず、ただ、これ以上中に入れないようにするだけの、優しい結界を」


 静さんと一緒に、麦風の建物を囲むようにゆっくりと歩きながら、呪文を唱え始める。


「あの、静さん。私、いつかコロポックルに会えますか?」

「ええ、きっと。春告精や夏告精にも会えたのですから。この土地があなたを受け入れた時、彼らの方から姿を現してくれるでしょう」


 静さんはそう言って、優しく微笑んだ。

 その時、ひゅう、と少し強い夜風が吹いた。


「……う、さむっ」


 隣でナツちゃんが、ぶるりと体を震わせた。

 夏の妖精である彼女は、秋の気配に誰よりも敏感なのだ。

 私は羽織っていたパーカーを、そっとナツちゃんの肩にかけてあげた。


「……ありがと、あかりん」

「なんもだよ」


 その光景を見て、私たちはみんな、同じことを感じていた。

 ――ああ、夏が終わるんだな、と。


 ***


 翌朝。

 ナツちゃんは、いつもの底抜けに明るい笑顔でリビングに現れた。


「よしえさん、葵さん、あかりん! 本当にお世話になりました!」


 そう言って、彼女はカウンターの上に、きちんと宿代を置いた。


「はい。確かに頂戴しました」


 よしえさんは宿代を両手で受け取った。

 稚内と知床の降雪事件については、妖精界の審議会の温情でボーナス一割カットで済んだらしく、ナツちゃんは宿代を支払うことができた。


「あ、よしえさん。領収証の名前、夏告精でお願いしますね」

「え、ええ。もちろんよ」


 どうやら宿泊費を経費で落とすつもりらしい。

 ナツちゃんは領収証を大事にカバンにしまった。


「じゃあ、そろそろ行くね!」

「もう、行っちゃうの……?」

「しんみりすんのは、禁止! また来年の夏、すぐに会えるんだからさ!」


 ナツちゃんはそう言うと、私たち一人ひとりと力強くハイタッチをした。


「またね!」


 そして、彼女は玄関から飛び出すと、畑の方へ向かって一直線に駆け出した。

 その姿は、まるで陽炎のように、夏の終わりの風景の中に溶けるようにして消えていった。


 後には、やりきれないほどの寂しさと、でも温かい、たくさんの思い出が残されていた。


 私は、空を見上げた。

 空の色も、雲の形も、もうすっかり秋の顔をしていた。

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