夏の幻影

雪解わかば

夏の幻影

高校2年生編

第1話

「へぇ~、君って小説書いているんだぁ」


 それは、高二の夏のことだった。



 ◇



 僕は弱い。

 何がとは上手に表現できないけど、とにかく非力。

 思春期というチープな言葉を使えば説明はできるのかもしれないが、この言葉を安易に使いたくはない。まぁ、とにかく僕は弱いのだ。


「はい、じゃあこれにて解散」


 その言葉で散り散りになっていくクラスメイトたちの行き先は様々だ。

 部活動に励む、塾へ行く、バイトで稼ぐ……

 そういう僕はというと、そのどれにも該当しない。

 勉強は嫌いだし、部活動はこの前やめた。アルバイトができるほどの世渡り能力もない。


 そんなことをボーっと考えていたらあっという間に教室の中は僕一人になってしまって。いつの間にか蛍光灯の電源も落とされてしまっている。


「しょうがないから、行くかぁ」


 そう虚空につぶやいた僕は、ゆっくりと部屋を後にした。



 ◇



 帰宅ラッシュの満員電車に揺られ、なんとか自宅の最寄り駅についた。

 真っ赤な空を見上げながらトボトボと歩いているうちに、どんどんと他の人に抜かされていく。


 交差点で家とは反対方向に曲がり、5分ほど歩いた先に、ようやく見慣れた看板を発見する。

 『喫茶かすみ』、そう書かれたドアを開けて、いつものカウンター席へと座る。


「いらっしゃい、今日もよく来たねぇ」


 店主のお姉さんがそういって嬉しそうにしているのを見るのが、僕の日課になっている。


「ブレンドコーヒー一つ、お願いします」


 僕も何とか声を張り上げて注文するも、その声はあまり大きくない。


「了解、今日も執筆?」

「はい」

「わかった。頑張ってね」


 カウンターの向こうでお姉さんがコーヒーを入れているのを横目に、僕もカバンの中からデジタルメモを取り出す。


 二つに折りたたまれたそれを開くと、少し暗めの店内を照らすかのように真っ白で明るい光が目に入ってくる。そしてそこに一字、また一字と文字を紡いでいくことこそが僕の唯一の癒しタイムなのだ。



 ◇



 ゆったりとした音楽に合わせて指を躍らせていたとき、カランカランと入り口のドアが開いた。

 こんな時間に僕以外のお客さんが来るのも珍しいなぁと思いながら、僕の視線もドアのほうへ向かう。


 そこに、彼女はいた。


 幽霊のようにふわふわとしてつかみどころのなさそうな美しさを持つ長髪に、白銀の雪世界のような真っ白なワンピース。小さくてくるっとしたかわいい顔の中にはビー玉のような澄んだ瞳。


 自分で言うのもなんだが、僕は他人にあまり興味がない。

 そんな僕が一目惚れするなんて、考えたこともなかった。


「あらあら、よく来たねぇ」


 僕は突然のことにびっくりして、デジタルメモをしまった。


 店主の言いぶりからしても、彼女もまたこの店の常連さんのようだった。

 ……だけどおかしい。僕はあの子のこと今初めて見たばかりだ。今年になってから毎日のように通っているが、彼女のことは知らない。


「お久しぶり! 雪乃さん!」


 そう少女が口にした時、僕は不覚にも「かわいい……!」と思ってしまった。ちなみに雪乃さんっていうのは、このカフェの店主のお姉さんの名前だ。確か。


「あ、君は初めましてかな?」

「ん、え、僕!?」


 どうやら彼女のことを気にしているのは図星だったようだ。


「もう、びっくりしちゃってかわいいんだから……怖がらなくてもいいんだよ~」


 追撃のように彼女のやわらかい声が僕の耳に入ってくる。


「ねぇ、隣座ってもいいかな?」


 想像もしなかった一言に僕は声すら出ず、ただコクコクとうなずいた。

 そんな惨めな僕を見てはくすっと笑って、「じゃあ、座らせてもらうね」と隣の席に軽く腰かけた。



 ◇



 その後、ただただ何もしない時間が過ぎていった。


 少女はレモンティーを頼み、フーフーと息を吹きかけてから飲んでいた。その仕草すらかわいいと思ってしまうのは、僕が気にしすぎなのだろうか。

 一方の僕は突然の美少女到来にどうしていいかわからず、コーヒーをがぶ飲みしていた。この店がコーヒーおかわり自由である恩恵を感じた瞬間だった。


「そういえば、なんだけどさ」


 それを打ち破ったのは、紛れもなく彼女だった。


「私がお店に入るとき、何か作業してたじゃん?」

「あ、うん」

「もしかして私が邪魔しちゃったかなぁって……」


 ややうつむく彼女を見て思わず「そんな姿もかわいいー!」って心の中で叫んだ。


「あ、いや、そんなことないよ」


 心の声を押し殺して、僕は鞄の中のデジタルメモを取り出してカタカタと執筆を再開する、フリをした。本当はあの子のことが気になって執筆に集中なんてできない。


 横目で覗いてみると、彼女はキーボードを叩いている僕の姿にジーっと眺めていた。

 そしてその瞳をキラキラさせて、こう言った。


「へぇ~、君って小説書いているんだぁ」


 それは、高二の夏休み前日のことだった。

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