第4話 故郷との別れ
結局眠れないまま、朝を迎えた。
持っていきたいものがありすぎたからだ。小さい頃に、母が作ってくれたお人形や大事にしていた本、大事にしていた服。それから、産みの母の形見だという小さなブローチ。
「でも、持っていくのはこれだけにしましょう」
私が手にしたのは形見のブローチだけだ。結婚、ではないけれど私が「王族の公妾」として見られることには変わりがないのだから。古くて安いものばかり持っていては迷惑をかけてしまうかもしれない。
一番新しい服を着て……、できるだけつぎはぎのないものを。
「フィル? なにしてるんだい。」
「お母様、私……ルディール王子の所へ行こうと思います」
私の部屋に入ってきた母は、目を見開いた。私が荷物の整理をしていて、部屋がやけに片付いていたからだ。おいていく本や服は街の子供たちにおさがりをあげられるように丁寧に畳んで箱の中にしまい、ベッドの上の毛布や枕も綺麗にたたんだ。
「フィル、どうして……?」
母は小さな声で悲しそうにいうとすぐに父を起こしに行った。父は飛ぶようにやってくると私の顔を見て声をあげる。
「フィル、何があったんだい? 君も知っての通り公妾の話は断っても構わないものだ。君はもうデュボワ家じゃなくてうちの子だ。幼い頃から、言っていたじゃないか。お父様とお母様みたいな家族を作りたいって。その夢は、公妾になってしまえば叶わなくなってしまうのだよ」
父の言う通りだ。
私は小さい頃から父と母のような素敵な夫婦に家族を作りたいと思っていた。貧乏でもささやかでも、支え合って頼りあって笑い合える素敵な家庭だ。
それは、王族の公妾になってしまえば……叶わないだろう。それは私だって理解している。
「そうだよ、フィル。まだ学生なんだ。まだ子供でいたっていいんだよ?」
私は、二人に恩返しがしたいと思った。
大好きな二人を私のせいでこれ以上苦労させたくないと思った。
「お父様、お母様。私のような何の取り柄もないただの庶民にこのようなお話が来ることは光栄な事だと思ったのです。それに……亡くなった両親が約束したことだとしたらそれを彼らに代わって守りたい。そんな気持ちもあるのです」
怖くないかと言ったら嘘になる。
喜んでいるのかといえば嘘になる。
でも、私がその不安や少しの理不尽を我慢すれば……。すべてが丸く治るんじゃないかと思ったのだ。
——これが私にできる最善の選択。
「それが、フィルの決めた事なんだね? お父さんやお母さんのためじゃなく。本当に自分が幸せになるために選んだ事なんだね?」
父の真剣な視線に気持ちが揺らぎそうになったけれど、私は笑顔で「はい」と頷いた。途端に、母はぎゅっと涙を堪えるように目を閉じた。
多分、二人とも私が「お金のため」にこの選択をしていることを薄々勘づいているんだろう。だから、手放しで私の選択を喜ばない。
「本当に? 本当に、フィル……」
「お母様、お父様。もしも、私が不出来で王子様に追い出されるようなことがあったら……またここへ戻ってきてもいいですか?」
***
昼過ぎになると、派手な蹄の音とともに大きな馬車がやってきた。王家の紋章入りの馬車は一際大きく、四匹の黒馬が引いている。
「やや、まさか本当に承諾してくださるとは!」
執事のエースさんは心底ほっとしたような笑みを浮かべると私にお辞儀をした。それから四角い書類ケースの中から契約書を取り出すとささっとサインをして父に手渡した。それは、王家からリソット家に爵位が与えられると言う証明で王子が発行したものだと言う。
「もう、故郷のご友人とご挨拶はなさいましたか? フィルミーヌ様」
「いいえ。寂しくなってしまうのでこのまま発とうと思います。すみません、お屋敷にふさわしいドレスも持っておりません。王都についたらブティックでドレスを買わせていただけないでしょうか」
「おやおや、ドレスでしたら馬車の中に準備しておりますのでご心配入りませんよ。それから、学園への手続きもこちらで。もし学びを続けたいのであればこちらで家庭教師を雇いましょう。あぁ、いやもちろんブティックには寄りましょうとも。お好きなブランドはございますか? 靴やアクセサリー、昨今貴族の間では帽子が流行しておりますのでそちらも」
エースさんは、整った顔立ちと美しい所作、言葉遣いだ。すっと通った鼻筋と男っぽく筋張った首筋から広い肩幅で背もすらっと高い。
それなのに、彼の手の動き一つ一つはまるで高尚な貴族の所作のようになめらかで美しい。執事でもこれだけ徹底されたマナーや所作であれば、私は……公妾としてふさわしいのだろうか?
「エースさん。娘は悲しい思いをすることはありませんね?」
父の言葉にエースさんはすっとさらに真剣な表情になる。
「勿論でございます。フィルミーヌ様の生涯に渡っての幸せを王家が補償しますとも。何せ、この交渉に王子は並々ならぬ思い入れがあったようで」
「というと?」
「もしも、この交渉に失敗しフィルミーヌ様が公妾とならなかったら……王子は私の首を飛ばすとおっしゃいました」
やはり、エースさんの首もかかっていたらしい。とはいっても彼ほどの美貌と若さ、そして王家の執事という前職があればどこでも再就職はできそうだけれど。
「ギロチンで」
エースさんは冗談でもいうように笑って見せたが、父と母は眉を顰めた。父がぐっと拳を握ったまま再び質問をする。
「そのような乱暴な男が……娘を幸せにできると? 王族が……庶民の娘を大事にするなどやはり信頼できない……」
「ご心配入りませんよ。王子は自らの公妾様にそのような乱暴は決して働きません」
「フィル、やめてもいいんだぞ」
人を簡単にギロチンにかけると言ってしまう王子が……怖い。
でも、ここで私が断ればエースさんは死ぬしもしかしたら私たち全員の命がないかもしれない。
なら……
「ううん。お父様、私……公妾になります」
ぐっと拳に力を込める。不安な気持ちを押し殺し、震える唇で弧を描くように微笑む。
「お父様、お母様。今まで大切に育ててくれてありがとう。私、とっても幸せでした」
エースさんが懐中時計を確認した。
もう時間がきたのだ。私は泣き崩れる母を支える父に小さく手を振って背を向けた。
「フィル様、どうぞ」
エースさんのエスコートで玄関のドアを出る。振り返ってしまったら名残惜しくなってしまうから、振り返らずに馬車まで向かう。不安や恐怖で心が侵食されていくのに私は歩みを止めなかった。
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