第3話 私の決断


「フィル、今日はパイを焼くからミートソースを作るの手伝っておくれ」

「はい、お母様」


 ひき肉をじっくりフライパンの上で焼き、ハーブと香味野菜を刻んで入れる。肉に火を通している間にトマトをボウルの中で潰していく。

 大好きなミートパイのはずなのに、私の心はざわついたままだ。


「あら、そうだ。鍋がダメになったままだったわね。全く、ちょっと大きいけどこれで作ろうかねぇ」


 母は大きな寸胴鍋でスープを作り始める。

 私の家は、裕福じゃない。鍋だってすぐに買い換えることができないし年に2度の収穫期に稼いだお金を大事に大事に使っている。だって、来年は凶作になるかもしれないから。幸い、農家同士の助け合いで食べるものには困らないけど家はボロボロ、体だって満足に健康体というわけじゃない。


——もし、私が王子の公妾になれば……


 爵位を与えられ、貴族の一員になれる。貴族になれば税で生活ができるようになる。自ら手を動かさなくても領民たちが農業をしてくれる、穴だらけのエプロンを何度も縫い直す必要も、大好きなエールを我慢する必要もない幸せな生活。

 父と母はずっと苦労をしてきたのだ。遠縁の子を引き取って育て、昨今のきつい年貢や凶作にだって耐えてきたのだ。


 そして、目の前にぶら下げられた幸せを私のために見過ごそうとしているのだ。


——本当にそれでいいの?


「ほら、焦げちゃうわよ。ぼーっとして、もうこの子ったら」


 母はフライパンに私が潰していたトマトを急いで投入した。焦げかけていたお肉がじゅわっと音を立てた。


「あっ、ごめんなさいっ」

「大丈夫、焦げたって美味しいからね」

「お母様、今日お父様は?」

「市場からだからそろそろ戻ってくるんじゃないかい? しっかりいい値段で小麦を売ってくれているはずだよ。どうせ、いつもみたいに無駄遣いして帰ってくるけどね。鍋だけでいいのにね」

「去年は、やけに豪華な写真たてだったものね。お父様が買ってきてくれたの」

「まったく……、フィル、オーブンに薪を」

「はーい」


 キッチンを出て、外の薪置き場に向かう。オーブン用の細くて短い薪を手に取っていく。ふと、あのエースという名の執事の言葉が脳裏をよぎった。「誰かの首が飛ぶかも」というそれは彼がやめさせられるということだろうか?

 それだけ、王子という生き物が家来をぞんざいに扱っているということなんだろう。たくさんの女性が公妾として暮らし、遊び歩いていると噂の第3王子ルディール。

 私の本当の両親が王家との関わりがあったなんて……父と母も知らなかったようだしもちろん私もよく知らない。


——私一人が我慢をすれば、父と母は貴族になり苦労をしなくて済む。エースさんも職を失わずに済むし、王子だってメンツを保てる


 私は、不安と薪を抱えながらキッチンへと戻った。



***


 私の心のモヤモヤは夜になってさらに大きくなっていった。明日、私はエースさんの待つ場所にいくべきだろうか。


「私は、何が不満なの?」


 まず私は、この町で生まれ育った先輩たちのように自分の好きな人と恋愛をして結婚をしたいと思っている。誰かを好きになって、好きになってもらえて。恋人としての時間を十分に楽しんだら街の小さな教会で愛を誓って夫婦になって。

 でも、王子の公妾になって終えばそれは叶わない。愛人という立場は「夫婦」にはなれない。私の大好きな父と母のような互いのことだけを愛する素敵な生活は送れない。

 それが嫌なのだろうか。

 薄い毛布をぎゅっと抱きしめて体をベッドに沈める。


 次に、相手のことだ。ルディール王子はあまり評判がよくない。王族スキャンダルコラムの常連さんで、公妾を何人も迎えていながらも妃をもたない「女好き」であり夜な夜な自身が経営するカジノで遊び呆けているとか。

 でも相手の人間性って私に関係あるのかしら? 王族でたくさんの公妾様がいるのだから王子がどんなに女好きだろうと遊んでいようと……あぁ、でも王子が私に飽きてしまったら捨てられるのかもしれない。

 愛人という日陰の存在は捨てられたあとは地獄だと聞く。女性たちからは蔑まれ、男性たちからは軽く見られてしまう……。若さと美しさを失って終えば、居場所を失い、地位も失う。

 それが怖いのだろうか。


「お水、飲もうかしら」


 夜がだいぶ更けているというのになかなか寝付けない。

 そっと部屋を出て、階段へ向かおうとすると父と母の寝室から声が聞こえてきた。盗み聞きするつもりなかったけれど、耳に入ってしまう。


「困ったわ……これじゃあ赤字じゃない?」

「仕方ないだろう? 市場じゃ隣国の安い小麦が人気だっていうのでかなり買い叩かれたんだ」

「これじゃ生活できないじゃないか」

「なんとか三人で節約して……俺が畑の手のかからない日は街でどこかの店の手伝いでもやるよ」

「何をいってるんだい! お父さん、膝を壊したばかりじゃないか。立ち仕事なんてもってのほかだよ」

「母さん、このままじゃリソット農園はダメになってしまう。無理をしてでも元手を稼がないと」

「そんな……、私も街の食堂で働くかね」



 いつから、二人は苦労をしていたんだろう。

 凶作だったら昨年から? それとも小麦や野菜の買値が下がった今年から? 違う、きっと……私がやってきてからだ。



——私が我慢すれば。



 私を育てる義理なんて何一つなかったはずの二人を、私はこれ以上苦しめることはしたくないと思った。

 私は水を飲みにいくのをやめて、そっと部屋に戻った。私が持っている一番大きなバッグに荷造りをするために。

 

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