第29話 滅亡へのカウントダウン

「なんだと!?」


 守下の口から出た「人類を滅亡させる」という言葉が、紫音たちの体に重くのしかかる。漠然としているようなその発言には、妙な現実味が嫌というほど込められていた。


「和泉! やつを取り押さえるぞ!」

「ええ!」


 二人は守下を取り押さえようと飛び出していった。しかし、二人の手は守下の体をするりとすり抜けてしまった。


「なっ!?」

「ホログラム!?」


 二人が動揺する間に、ホログラムの守下は「ふふっ」と不気味な笑みを浮かべながら消えていった。

 本物はいったいどこにいるのか。辺りを警戒していると、紫音の後頭部に固いものが突きつけられた。


「動くな。できれば、私も直接手を汚したくはない」

「っ!?」


 言葉と共に漏れ出た吐息が真後ろから首筋にかかった。金縛りにでもあったかのように全身がこわばり、まばたき一つすらままならない。


 そのまま真横に歩いてきた守下は愉悦に浸っているかのように口角を上げていた。その手にはおよそ一般人が持てるものではない黒い拳銃が握られており、銃口は紫音の頭を冷たく見つめている。

 まるで心臓を素手で掴まれたような感覚だ。これは本当にまずい。

 声も出せずにいると、葵が声を震わせながら言葉を投げかけた。


「どうして、どうしてそんなことするんですか!?」

「なぜかって? くくっ、答えは簡単だ。この地球を人間の汚染の手から救い出すのさ」

「地球を、救う?」


 突如姿を現したスケールのでかすぎる発言に、思わず言葉を失ってしまった。なんともにわかには信じ難い動機だが、守下の発言には覚悟めいたものを感じた。


「そうさ。人類は一世紀以上に渡って環境汚染の改善に取り組んできたが、結果はどうだ? 空は大気汚染ですっかりくすみ、温暖化は未だに進み続けている。そのせいで、多くの動物が絶滅の危機に晒され、生態系も大きく変わってしまった。だが、必死に努力して研究成果を積み上げても、金と利権に目の眩んだ奴らがすぐに邪魔をする! こうでもしなければ、問題は永遠に改善されないのだ」


 話すうちに守下の内側から恨みのようなものが溢れ出てくるのが分かった。たしかにこの手のような『研究VS利権』という構図は昔から存在しているし、そのことについては紫音も快く思っていない立場ではある。


 だからといって、他人を過去の時代に置き去りにしようとしたり、同じ職場の人間に銃口を向けたりしてもいいという理由にはならない。


「もっと他の、平和的なやり方はなかったのか?」

「そんなもの、既に実行してみたさ。二年前、大気汚染が特に深刻になった時期があっただろ? その中で私たちのチームは改善に最適だとされる手法を政府に提案したのさ。これが採用されれば、先ほど挙げた問題が良い方向に大きく進むと確信していた。だが蓋を開けてみれば、採用されたのは金にしか目がない大企業が提案した手法だった。コストも効率も、私たちの方がはるかに優れていたにも関わらずだ!」


 話が進むにつれて、だんだん声が荒くなっていく。拳銃を握る手がわなわなと震えだした。


「後になって、その企業は政府へ常習的に賄賂を渡していたことが発覚した。それを聞いた時、私はもう怒りを通り越してしまったさ。人類とはこんなにも愚かなのか、と」

「守下……」

「だから! 私はいろんな時代を巡り、研究という名目でさまざまな菌やウィルスを集めまわったのだ。そしてついに、笠木のおかげで全てがそろった。彼はとりわけ優秀な駒だったよ。ここで新たなタイム・パンデミックを引き起こし、人類の歴史を終わらせる。そして、本来あるべき地球の姿を取り戻すのだ!」


 熱弁しきった守下は恍惚とした表情でモニターを見上げた。かつての冷徹な印象からは想像できない豹変ぶりに言葉を失ってしまう。

 だが、前々から感じていた嫌な予感の正体はこれではっきりとした。


「守下。お前やっぱり……」

「さすがに気づいたようね。そう、私も超自然派の一員。部下たちは良い隠れ蓑になってくれたわ。彼らが身代わりになってくれたおかげで、夢に見た景色を実現できる」

「なるほど。笠木に宛てた文書には『後日、回収する』というような記述があったが、まるで元からそうするつもりだったかのような口ぶりだな」

「ええ、もちろん。計画のためなら、仲間を騙すぐらいどうってことないわ」


 ニヤリとほくそ笑む守下を、紫音はただただ睨みつけた。

 この女は、人の皮を被った化け物そのものだ。早く止めなければ。


 焦りばかりが募ってくるが、とにもかくにもまずはこの状況をどうにかしなくてはならない。隙を見て防弾チョッキを着ている堀越の後ろに逃げ込めればいいが、銃口はいまだしっかり頭に突きつけられている。

 何とかして隙を作り出せないものか、と探っていると、葵がおそるおそる口を開いた。


「で、でも動物は? 動物はどうなるんですか!? 守下さんがあの倒れていた犬に対して向けていたあの目も、嘘だったって言うんですか?」

「あれは本心だ。本当にかわいそうだと思ったよ。だが、あの時も言ったように、栄養失調で倒れるなんてのはよくある話なのさ。あと、動物がどうなるかという心配についてだが、それについては心配無用だ。なんせこのウィルスは、人間に対してのみ効力があるからな」


 最後の言葉で、紫音たち全員の顔が一斉にこわばった。


「安土で起こったあの流行り病はやはり……」

「ええ。あなたが想像している通り。第2調査団のタイムマシンにも実験用のサンプルをこっそり持ち込んでもらってたのさ。その結果、時代を超えた科学反応が起き、強力な拡散性が手に入ったというわけだ。謎の流行り病が起きていると知ったときは心底興奮したよ。致死性こそ皆無だったが、我々にとってはものすごく大きな進歩だった。そして、今までの実験で手に入れた数々の産物に、今回持ち帰ってきた物質を加えたことで、数多の人命を刈り取るウィルスがついに完成したのだ! 先ほど、実験用のヒトゲノムに使ってみたが、威力・拡散性ともに文句なしの出来栄えだ」


 そこまで言い切ると、高らかな笑い声が室内に響いた。


「っ、人の心はないわけ?」


 嫌み混じりに吐き捨てられた和泉の言葉は、頭のネジが飛んだ女に届いていないようだった。

 そのとき、部屋中にアラーム音が鳴り響いた。するとどういうわけか、守下は拳銃を下ろしてただモニターを一点に見つめ始めた。


(今だ!)


 紫音がすぐさま距離を取ると、それに合わせて堀越と和泉が果敢に向かっていった。そのまま守下の体を掴むと、後方に思いっきり倒し、そのまま床に押さえつけた。

 しかし、身動きが取れなくなったにもかかわらず、当の本人はそんなのお構い無しという風に不敵な笑みを浮かべていた。


「何がおかしい!」

「いや〜実に愉快だよ。もうロケットは発射されるというのだからな!」

「なっ……」


 慌ててモニターを見上げると、煙を噴射しながら上空へと向かい始めるロケットの姿が映っていた。無我夢中で操作盤に駆け寄った紫音と葵は、なんとか止めることができないかと手当り次第にボタンやレバーを操作した。だが、ロケットが止まる気配は一向にない。


「さあ、タイム・パンデミックの再来だ! その目にしかと焼き付けるがいい!」


 高らかな笑い声が部屋中に響き渡る。今の守下は人を通り越した悪魔そのものだった。


「どうしよう。このままじゃ、ウィルスが……」


 なすすべがないと悟った葵は力なく膝から崩れ落ちた。止められる可能性が最も近い場所にいながら、何も出来ないという無力感が彼を包みこんでいるように見えた。


 そして紫音も、いよいよ同じ感覚を抱き始めていた。何か手はないか、と頭をフル回転させてはいるが、どの案もうまく行くビジョンが見えない。いっそのこと撃墜させるという手も考えたが、ロケットには大量のウィルスが入っている以上、それも安易にやるべきではないと悟った。


「ちっ、クソっ!」


 こうしている間にもロケットは高度を増していく。それをただ見ていることしかできない歯がゆさに紫音は耐えきれず、操作盤に拳を叩きつけた。

 その時、紫音の携帯がブルっと震え始めた。画面を見ると、八雲からの着信だった。

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