第27話 狂い始めた歯車
虫一匹すら音を立てず、一寸先も見えぬほどの暗闇に包まれた小さな村。その道をひとつの人影が通り過ぎようとしていた。足を踏み外さないよう、慎重に、慎重に歩いていく。雲の隙間から時折姿を見せる月明かりが、行くべき道を照らす。そうして村の入り口にまでたどり着いたそのとき、ひとつの強い光が正面から人影を照らした。
「どこへ行こうとしているのかな?」
光の正体は、ライトを持った紫音だった。その光の先には、今までに見たことないぐらいの剣幕を見せる守下が静かに立っていた。
「どこへ行こうと私の勝手でしょう?」
「相談もなしに離れるのは危険だと思うが?」
周りに誰もいないことを確認し、浄化装置から護身用の電気警棒を取り出す。和泉の予感が正しければ、こいつは何かよからぬことをしでかすに違いない。できれば当たってほしくはない予感なのだが、あいにくすぐに的中することになった。
守下は乾いた舌打ちをすると、懐から白色の球を取りだし、紫音にめがけて投げつけた。瞬時に避けようとしたが、ライトの光と同化して球の軌道を見失ってしまった。次に球の居所を確認できたときには既に割れた状態で地面に落ちており、そこから煙幕がもくもくと辺りを包み始めていた。
「しまっ……!」
煙幕をもろに食らった紫音の目に強烈な刺激が走る。催涙性のある成分が含まれているのだと瞬時に理解した。しかし、そうと分かったときには既に手遅れだった。山の方へと走っていく足音が遠くなっていくなか、なすすべなくその場にうずくまることしかできなかった。
その後、程なくして三つほどの光が向かってくるのをまぶた越しに捉えた。その光はだんだんと大きくなり、やがて目の前で膨張を止めた。
「紫音先輩!何があったんですか!?しっかりしてください!」
慌てふためく後輩の声が静かな夜に響く。葵たちが駆けつけてきたのだとすぐに理解した。
「守下にやられた。催涙煙幕だ」
「催涙!? すぐに水で洗い流さないと!」
和泉が急いで懐から水筒を取りだし、紫音の目にそっと注いであげた。幸い、そこまで多くの催涙成分が含まれてはいなかったようで、すぐに目を開けられるほどまでに回復した。
「みんなすまない。少し迂闊だったようだ。すぐに5号機の方に向かうぞ!」
まだ充血している目をパチパチさせながら、紫音は浄化装置のボタンを押した。すると、目の前にレーダーの形をしたホログラムマップが現れ、5号機の居場所を示す赤い点が明滅していた。それを確認した紫音は猛ダッシュでその場所へと向かっていった。
「ちょ、紫音先輩! 待ってください!」
「とりあえず、俺たちも後を追うぞ」
良からぬことが起こりそうだというのを薄々感じていた堀越たちはがむしゃらに紫音の後をついて行った。道中、守下がなぜ催涙煙幕を使ったのか、紫音がなぜひとりで向かったのかについて葵は思考を巡らせていたが、理解に及ばなかった。
現場にたどり着くと、一同は思わずその場に立ち尽くした。タイムマシンがあるはずの場所には黒い発信器がぽつんと置かれているだけで他には何も残されていなかったのだ。紫音は唇を噛むと、発信器を拾い上げてそっと懐にしまった。
「紫音先輩、いったい何があったんですか」
「ひとつ言えるとしたら、最悪の事態になるかもしれないということだ。とりあえず付いてきてくれ」
そう言うと紫音は暗闇に閉ざされた森の中を再び走り始めた。ここまで切羽詰まる思いをしたのは初めてだった。
第2調査団のタイムマシンに到着すると、紫音はさっそく電源系統の確認を行った。いくつかの配線が焼き切れてはいるが、幸いにも倉庫にある部品で応急処置ができる程度の損傷だった。
「堀越、和泉。二人とも機械に詳しい方か?」
「私は疎いけど、堀越なら。昔、軍用車の整備士をやっていたから」
「分かった。堀越、左側の配線を直せそうか?」
堀越は指を指された場所にある基板を確認すると、自信ありげに大きく頷いた。
「これぐらいなら、なんとかなりそうだぜ」
「よし。そしたら、私はこっちの配線をなんとかしてみる。葵と和泉は今から私が言う部品と工具を倉庫から持ってきてくれ」
紫音の指示に従い、葵たちは各々の役割を全うした。部品を運び終わった葵と和泉はタイムマシンの内部を点検し、異常がないかを確認した。床に転がる死体から放たれる刺激臭がすさまじかったが、悠長に気にしていられるほどの余裕はなかった。
紫音と堀越の処置が終わると、さっそく電源を起動する。すると、機体全体がガタガタと不穏な音を響かせながらも、モニターや操作盤に電力が走り始めた。すぐに帰還の設定をし、浄化装置を外して椅子に腰掛ける。出発時の白衣姿に戻った紫音は甲高い金属音を鳴らすドアが閉まったのを確認すると、迅速にロックを解除して発進態勢に入った。その後、すさまじい衝撃が機体を揺らし、轟音とともにタイムトンネルへと突入した。
自動操縦に切り替わった後、紫音は頭を冷やそうと水を何口か喉にくぐらせた。まだ目が少しヒリヒリするが、これくらいなら問題ないだろうと考えた。
しばしの沈黙が流れたあと、それを静かに破ったのは和泉だった。
「紫音。もう目は大丈夫か?」
「ああ。おかげでだいぶ良くなった」
「それは良かった。しかし、前から怪しいとは思っていたが、なぜ今になってこんなことを?」
「詳しくは分からないが、何かよからぬことを企んでいるということはたしかだ」
紫音はこめかみに人差し指を当てながら答えた。やり場のない焦りともどかしさがその指の動きに如実に表れていた。
「でも、紫音先輩が無事で良かったです。もし先輩の身に何かあったら……」
そう話す葵の声は明らかに震えていた。紫音の身を本気で心配していたんだという気持ちがそこには表れていた。
「心配させてごめん。でも、和泉が昨日忠告してくれたのもあって、守下には何か裏があると感じていたんだ。急に調査に参加すると言い出し、第2調査団に絡む物事には動じもしない。まるで全てを知っているかのように。そして皆が寝静まったころに、案の定姿を消した。和泉が気づいてくれたおかげで村の出口に先回りできたけど、催涙煙幕はさすがに想定外だったな」
「すまない。私たちがいながら、守ることができなくて」
「謝る必要はない。あの時、手分けして探そうと提案したのは私だ」
守下が民家から姿を消したことに気づいた直後、凶器の類いを持っていないだろうという思い込みもあってこう提案したわけだが、実際には裏目に出てしまった。もし守下の持っていたものが刃物の類いだったら、今こうしてタイムマシンに乗ることすら叶わなかったかもしれない。そう考えると、思わず身震いがした。
「それに、さっき配線を直している中で、明らかに人の手が加わったような痕跡を見つけたんだ。爆発による損傷にみせかけるつもりだったのかもしれないけど、それが私に、笠木への疑心を確信に変えさせてくれた。だから──」
紫音が話を続けていると突然、機体全体にドシンと重い衝撃が走った。その後、船内に出力低下を示す警報音が鳴り響き、警告ランプが真っ赤に光った。紫音は慌てて操縦桿を握り、右に左にとふらふら揺れるタイムマシンをなんとか制御しようと試みた。
葵は椅子に必死にしがみつき、涙声になりながらもタイムマシンの状態を逐一報告する。部隊組は即座に紫音と葵の元に行き、万が一のときに二人の身を守れるよう警戒態勢に入った。
「考えたくはないが、もし墜落したら、いったいどうなるんだ?」
最悪の事態を想定した堀越が紫音に尋ねた。それが起こってしまった場合の最善な対応を考えるためだと理解した紫音は、早口で説明に入った。
「分からない。ただ、タイムトンネルの外部に出てしまうというのが最も有力な説だ。そこには何もない無の空間──『ヴォイド』が広がっているとされている。そこに行けば最後、おそらく、帰ってくるのは不可能だろう」
それを聞いた堀越たちは一瞬、絶望に満ちた表情をしたが、すぐに頭を切り替えてあらゆる方法を検討し始めた。ここは自身の安全を二人に委ね、紫音と葵は制御に集中した。
振動はだんだんと大きくなり、後方からは焦げ臭いにおいが漂ってくる。その直後、そこから大きな爆発音が響き、動力が急速に低下していった。
「うわああ!!」
「っ、まずい。出力がどんどん落ちてる!エンジン部分だ!」
「俺が見てくる。和泉は二人の安全の確保を!」
「分かった!」
堀越は急いで消化器を持ち、爆発の起こった箇所へと向かった。
「くっ、なんとか持ちこたえてくれ……」
操縦桿を握る手に力が入る。外の様子を映すモニターが出口を示す白い光に包まれ始めていた。エネルギー残量が尋常でない速度で低下する中、無事に到着することを祈った。
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