第25話 流行り病
「ん? どうかしたのか?」
『この時期に正体の分からない疫病が流行ったなんていう話は聞いたことがないんです。そんな文献も見たことがないので、妙に引っかかるんです』
葵のその言葉から、とある可能性が紫音の脳裏をよぎった。それを確かめるためには村に行く必要があると考え、その場を去ろうとした女将を呼び止めた。
「なあ、女将さん。その村はどこにあるんだい?」
「村ですか? それなら、ここからあの山を抜けていった先にあるっちゅう話です。はぁ〜おそろしやおそろしや」
女将はそれだけ言うと、茶屋のある方へと足早に向かっていった。
「どうする、紫音」
「これは少し調べてみる必要がありそうだね。作戦を変更して、その村に行ってみよう。葵たちも今の話、聞こえたか?」
『ばっちりです!』
「よし。たったいま村の座標を共有したから、そこを目指して来てくれ」
『はい! 先輩たちも気をつけて来てくださいね』
「ああ。善処する」
通信が切れた後、村があるという場所の座標を共有してから大きく一伸びした。
「んじゃ、私たちも行くとするか」
「ええ」
不安におびえる人々の合間を縫って、紫音たちは城下町を後にした。
約束の場所に近づくと、堀越が大きく手を振っている様子が見えた。その背後には小さな家がポツポツと建っていることから、ここが女将さんの言っていた村で間違いないだろう。合流してからはひとまず、新たな情報がないか確認したが、芳しいものは見つからなかったようだ。
教えてもらった村では、数人の村人が忙しなく動いているのが確認できた。この時期のこの時間帯ならば、普通は農作業に勤しむ多くの人を眺められるはずだ。しかし、今はそんな光景など見る影もなく、作物が風に吹かれて虚しく揺れているだけだった。
そして道ばたには、やせ細った犬が一匹、静かに横になっていた。それを守下が憂いげな目で見つめていた。
「この犬も病気になったんでしょうか?」
「いや、これは単なる栄養失調だろう。よくあることだ」
そう話しながら、守下はその浮き彫りになったあばら骨に触れた。さすが動物を専門に研究しているだけはある。一切のためらいがない。
浄化装置があるから大丈夫だとはいえ、それでも自ら死骸に触りにいこうとは思えない。守下のその行動には、不本意ではあるが尊敬の意を表するとしよう。
そう考えながら顔を上げると、一人の男が村の方からとぼとぼ歩いてくるのが見えた。男は紫音たちに気づくと、少しだけ目を丸くしてみせた。
「おや、町の人か?」
「まあ、そんなところだ。病が流行ってるって聞いたんだが、詳しく教えてくれないかい?」
「ああ、一昨日のことだ。山菜取りに行ったやつが妙なものを見つけたってんで、明日見に行こうってなってな。んけど、そいつが床に伏しちまって、あれよあれよと病が広がっちまったんだ。あぁ、ついに仏様がお怒りなすったんだ」
「なるほど。その人はどこへ入っていったんだい?」
「あそこの山ん辺りで取ってたよ。けんど、病が流行ってからは誰一人として立ち入っちゃあいねえ。もしかして助けに来てくれたのかもしれんが、そのお気持ちだけで十分さ。悪いことは言わねえ。祟られたくなけりゃ、この村から引き返しな」
そう言い残すと、男は肩を落としながら横を通り過ぎて行った。だが、たとえ素直に従ったとしても、事態が好転するとは到底思えなかった。
紫音たちは顔を見合わせると、さっそく男が示した山へと向かった。
「ここが山の入り口でしょうか?」
「おそらくそうだろうね」
じっと目をこらすと、獣道のようなものが奥へ奥へと続いているのが見える。タイムマシンを止めたあの森よりも、さらに陰鬱とした空気に包まれている気がして、なんとも不気味だ。
「そしたら、二手に分かれよう。葵は私たちのタイムマシンから使えそうな薬を取ってきてくれ。堀越、同行を頼む」
「承知した」
二人が向かっていったのを見届けると、紫音は正面に向き直った。
「では、私たちは先に進もう。念のため、浄化機能を強めて。少しでも異変を感じたら、すぐに言うんだ」
二人が頷いてくれたのを確認すると、紫音は獣道に足を踏み入れた。
山の中は薄暗く、陽が出ているのにヒンヤリとしていた。途中、地味にぬかるんでいる土に足をすくわれそうになりながらもなんとか山の斜面を登っていくと、やがて野ざらしにされた迷彩柄の機体が視界に入り込んできた。
「あった!」
無我夢中で走ってドアの前に立つも、動力が落ちていて自動では開かなかった。紫音は息を切らしながらドアに手をかけ、和泉と一緒にその重い金属板をこじ開けた。
中に入ると、機体内に充満する強烈な臭いに思わず顔をしかめた。
「この臭い、もしかして……」
目を伏せた和泉を見て、何やら嫌な予感がよぎった。
ライトを付けると、黒ずんだ人の手が明るく照らされた。思わず声にならない声を上げながらライトを上に向けると、文字通り息を飲んだ。
床には事切れてしまった研究員が何人も倒れていた。臭いの発生源は彼らのようだ。おそらく、流行り病の発生源も同じだろう。
人間の腐った臭いを嗅ぐのはもちろん初めてだった。鼻がひん曲がりそうな臭さに本能が「そこから離れろ!」と警鐘を鳴らしているのが分かる。
まるで自分の足でなくなったかのように足取りが重くなったが、理性で鞭を打ち、なんとかコントロールパネルまでたどり着いた。
「ちっ、動かないか」
ため息をつきながら立ち上がり、鼻をつまんだ手にさらに力を込めた。せめて電源さえつけられれば、清浄機能の付いたエアコンで換気ができるのに。
こみ上げそうになる胃液をなんとか押さえ込みながら振り返ると、和泉の顔がかなりこわばっているように見えた。その視線の先にある何かは、ここからでは暗くてよく見えない。
「何かあったのか?」
「腕を強く掴んだような後がある。それにこれは、血の跡?」
ライトをそちらに向けると、たしかに赤いものが床に散っているのを確認できた。タイムマシンが不時着した衝撃によるものか、はたまた笠木による裏切りによるものなのか。
さまざまな状況が頭の中に思い浮かぶが、どれも推測の域を出るようなものではなかった。
「仕方ない。まずはここを離れよう。私は、うっぷ、そろそろ限界だ」
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