第2話 不穏な朝

 荷物を持ってロビーに出ると、八雲が他の研究員と何やら話をしているのを見かけた。


「お疲れ様です~」

「おお、紫音か。お疲れ様」

「お疲れ様です」


 八雲に続けて、隣にいる女性の研究員とも定型的なあいさつを交わした。


「なんの話をされていたんですか?」

「無人タイムマシンの実験について話していてね。どうすれば、タイムトンネルに入った後も双方向の通信を安定的に確保できるのかを議論していたところさ」

「今は偵察機を同伴させていまして、タイムトンネル内でのタイムマシンの様子をリアルタイムで観測しているんです。偵察機からこちらに通信を送ることはできるんですが、その逆についてはまだ上手くいかなくて」

「ふ~ん。何だか面白そうな香りがしますな」


 ニヤリとしながら、かけてもないメガネをクイッと上げる。


「あはは。ただ、今はまだ機密事項も多いから、詳しくは話せないさ。今日はゆっくり休んで疲れを取りなさい」


 そう言うと、八雲たちは食堂の方へと向かっていった。機密事項があるならこんなところで話すなよ、と心の中で口を尖らせながら、紫音は颯爽と帰路に着いた。


 二日ぶりの現代の空気は相変わらずくすんでいるが、居心地は不思議と悪くはない。時折吹く風が紫音の青みがかった長髪をふわりと撫でていく。

 ふと空を見上げると、薄い雲の奥から月の光がぼんやりと覗いていた。その周りを『月傘』と呼ばれる白っぽい輪が囲んでいる。


 どうやら明日は雨が降りそうだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 翌日、紫音が傘を閉じながら研究所に入ると、所員がなにやら慌ただしく動いていた。


 必死で不安な形相に安定しない声色、時折飛び交う怒号にすぐさま異常事態が発生したと察する。急いで白衣に着替え、モニタールームに直行すると、八雲が複数の研究員から矢継ぎ早に状況報告を受けていた。冷や汗の量が尋常ではなく、血眼になって対応に当たっている様子から、かなり深刻を極めているのだと分かった。


「紫音先輩、おはようございます。何か、嫌な予感がしますね」

「おはよう、葵。これはかなりまずいことが起こったみたいだね」


 とりあえず、何が起こっているのかを把握しようと思い、モニターの方へとおもむろに近づくと突然、ガタイの良い強面の人物に行く手を塞がれた。


「すみませんが、今は不用意にモニターに近づかないようお願いいたします」

「え?どうして?」


 紫音たちの頭に疑問符が浮かぶ。自分たちの施設なのに、顔も知らない金髪野郎にとやかく言われるのは気分があまり良くなかった。仁王立ちをしているその人物は他の検疫官と似た紺色の制服を着ているが、胸元にある紋章は全く見覚えのないものだった。


「それはね、下手に混乱を広げないようにするためよ」


 話しかけられた方を向くと、茜が腕を組んで立っていた。


「茜!いったい何が起こっているの?」

「そうね、いろいろ話したいところだけど……。ここは少し騒がしいから、更衣室に行きましょ」


 そう言うと茜は先に更衣室へと向かっていった。その足取りが普段よりも少し重くなっているのを紫音は見逃さなかった。


 更衣室には茜の他に誰もいなかった。葵にドアを閉めさせ、近くの長椅子に腰を下ろす。落ち着いて話をするには最適な環境だ。


「あ、あの、僕がここにいて大丈夫なんでしょうか?」

「ええ、大丈夫よ。今は誰も来ないはずだから」


 その中性的な見た目で時々忘れそうになるが、葵は立派な男の子。女子更衣室に入るということに対してこうした反応を見せるのは当然である。


「ま、バレても葵の見た目なら、ワンチャンどうにかなりそうだしね」


 紫音がいたずらっぽく笑うと、葵はむっとした表情を取った。以前聞いた話だが、紫音にこうして茶化されるのは何となく気に食わないらしい。だからといって、すぐさま止めるほど紫音は出来た人間ではなかった。

 それを見た茜は呆れたようにあははっ、と乾いた笑いを見せた。


「紫音、まーた後輩いじりしてる」


 声色が少しだけ、いつもの茜に戻ったように感じられたので、紫音は心の中でほっとした。


「それじゃ、何が起こっているのか説明してくれるかな」

「あ、うん。二人とも、落ち着いて聞いてね」


 紫音たちは首を縦に動かして同意を示す。それを確認すると、茜は一息大きく呼吸をし、ゆっくり口を開いた。


「実はね、今朝タイムトラベルから帰還する予定だった部隊が、まだ戻ってきていないの」

「「えっ……」」


 紫音たちは言葉を失った。一瞬の沈黙の後、葵が重い口を開いた。


「今日帰還するのってたしか、第2調査団、でしたよね?安土桃山時代に向かったっていう」

「第2調査団、か……」


 紫音は手を顎に添えて、その調査団の構成を思い出した。


 そこにはたしか、考古学者、植物学者、地質学者の計三人が所属しており、いずれも不用意なトラブルは起こさない、慎重な人ばかりだったはず。そうなると、やはり不測の事態に巻き込まれたのか?


 紫音の思考をよそに、茜は話を続ける。


「葵くんの言った内容で間違ってないよ。原因はまだはっきりしてないけど、タイムマシンが壊れたのか、それとも、現地で何かしらの事件に巻き込まれたのか……。上げだしたらきりがないけど、とりあえず異常事態なことには変わりない」


 異常事態、という言葉に引っかかるものがあった紫音はすぐさまそれを言葉に載せた。


「でも、そんな一大事なら、なぜ連絡ツールの方に報告が回らないんだ?」

「それは、俺たち上層部が止めてるからだ」


 示し合わせたかのように扉をがちゃっと開きながら答えたのは、やつれた顔をした八雲だった。

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