タイム・パンデミック
杉野みくや
第1章:行方知れずの調査団
第1話 帰還
西暦2115年5月10日。
日本唯一のタイムトラベル研究機関JSTL(国立時空研究所)の一室にて、研究員らがモニターを熱心に見つめていた。もうすぐタイムマシンが帰還するのだ。後ろに待機している、検疫所から派遣された監督官と共に、固唾をのんで乗組員の無事を祈っていた。
「時空に高エネルギー反応あり!まもなく、タイムマシンが帰還します!」
辺りに緊張が走る。呼吸音ひとつすら発するのをはばかられるような空気が漂った。
その時、転移室の中でプラズマの発生が確認された。いよいよタイムマシンが時空のトンネルを抜けて到着するのだ。モニター越しに轟音と振動が伝わってくる。数秒後、すさまじい衝撃音とともに、転移室が一瞬ピカッと光った。すると、先ほどまではなかった迷彩柄の機械が、まるで手品のごとく登場した。
直後、プシューという音とともに機械の扉が重々しく開く。その中から、一人の女性が手を大きく振りながら姿を現した。
「
その声がスピーカーに乗ると、研究員らは肩の荷が下りたように安堵の表情を見せた。続けて、同乗していた他の研究員も姿を現し、身の無事を報告する。
「了解です。調査お疲れ様でした!それでは、消毒ルームの方へとお進みください」
オペレーターが言い終わると、転移室に一つしか無い扉が自動で開いた。紫音らは大きく伸びをしながら消毒ルームへと向かった。
中に入ると、壁には食品工場などで使われる大型の消毒装置を独自に改良した噴射口がいくつも取り付けられていた。もう見慣れたものではあるが、この消毒作業が紫音はあまり好きではなかった。
「毎回思うんだけどさ、このきっつい臭いはどうにかならないのかねぇ」
「僕はもう慣れちゃいましたよ。これでも、昔よりはかなり抑えられてる方みたいですけどね」
そう諭すように答えたのは、小柄で中性的な見た目が特徴の
「携帯型浄化装置も最近は結構性能が上がってるし、ここまでやる必要もあるのか疑問だね」
腰につけた箱型の物体をコンコン叩きながら、口をとがらせる。
「ま、念には念をってやつだ。『第二次タイム・パンデミック』とか引き起こしたくないだろ?」
「たしかにそうだけど、所長の力でどうにかならないんですか?」
所長、と呼ばれた長身の男性、
こうしていつものように談笑していると、あっという間に消毒時間が終了し、奥の扉が自動で開く。三人は消毒ルームを後にし、それぞれ個室へと移動する。部屋の中は大きなガラスで半分に仕切られており、その向こうにはマイクを持った検疫官が待機していた。彼女の指示に従って身体スキャンと問診を行い、健康状態に異常はないかを細かくチェックされる。その後、特殊な抗生剤を口に入れ、全ての安全が確認されると、めでたく検疫が終了する。
「よし、今回も大丈夫そうだね。お疲れ様、紫音」
「お疲れ様、
紫音たちは互いの労をねぎらい、その部屋を後にした。ちょうど葵たちも終わったらしく、おのおの個室からモニタールームへと移動した。
そこでは、タイムマシンから送信されてきたデータを他の研究員と一緒に確認し、調査結果を隅々まで共有した。今回は平安時代中期で調査を行ったが、現存する文献には載っていない新たな知見を得ることができていた。それをひとつひとつ報告するたびに研究員たちからは静かな感嘆が起こり、中には感極まって涙を流している人さえいた。
端から見れば、至極おかしな光景に見えるだろう。だが、これがいつもの光景だ。JSTLに来るような物好きの中には頭のネジがどこかしら飛んでいる人も少なくない。
こうして皆の知的好奇心を刺激し、その反応を伺うのが紫音にとっての密かな楽しみだった。腰を少しかがめた紫音はやや疲れ切った顔をする後輩の方をトントンと叩いた。
「見て、葵。あの人また号泣してるっ」
「も~、紫音先輩。所長が話してるんですからふざけないでくださいよ」
葵にお小言をもらった紫音は「へいへい」と悪びれもしない言葉を返した。それどころか、よくできた後輩を持っちまったもんだと謎に誇らしげな態度を取る始末。
この『掴み所を掴んでもするりと抜け出しては遠くからほくそ笑む』というのが村雨紫音の生態であり、変わり者が集まるJSTLの中でもひときわ強い異彩を放っていた。
そうして人間観察を愉しんでいるうちに報告会はお開きとなり、各自が通常の業務へと戻っていった。
タイムトラベルを終えた紫音はすぐに帰宅したいところだったが、そうはいかない。今回のタイムトラベルについて、早急に報告書にまとめ上げる必要があるのだ。
荷物や資料、備品でとっ散らかったままの研究室に戻ると、ロッカーから一枚の薄い板を取り出して机に向かった。右上にある電源マークに指を触れるとホログラムのディスプレイが目の前に浮かび上がり、板の上にはキーボードを模した盤面が現れた。
既に整理した情報を頭の中でもう一度反芻しながら、後ろ髪をキュッと結ぶ。気合いは十分。あとは書き上げるだけだ。
ふうっと息を吐いたあと、ホログラム上のまっさらな紙面に文字をつむぎ始めた。
実を言うと、報告書の作成自体は明日に回しても構わない。ただ、情報はなるべく新鮮なうちにまとめておきたい性分なので、こうしてヘトヘトの体にムチを打って、ホログラムと睨めっこしているというわけだ。
凹凸のないキーボードをタタタタッと叩く音だけが、静かな室内ではひときわ大きく聞こえる。だんだん強くなる眠気に抗いながら、報告書をまとめていった。
そうして書き終えた頃にはすっかり日が落ちている時刻になっていた。
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