錬金術師の密室殺人
@tatai22
第1話 賢者の塔と石の血痕
王都アウレリアの朝は、工房地区から立ち上る蒸気と、魔法学院から漏れ聞こえる微かな詠唱の声で始まる。魔法と科学が未熟なまま手を取り合い、危うい均衡の上で成り立っているこの街で、僕は王宮調査官として、人の心が作り出す闇の形を追っていた。
僕の名前はアレン・クロフォード。今日も今日とて、溜まった書類の山と格闘していた僕のもとに、緊急の召集がかかったのは、太陽が空の最も高い場所に差し掛かろうかという時刻だった。
「アレン調査官、至急、錬金術ギルドへ。マスター・ゼフィラスがお亡くなりになりました」
使いの騎士が告げた言葉に、僕は思わずペンを取り落とした。
マスター・ゼフィラス。国一番の錬金術師にして、この国の技術発展を影で支えてきた偉大な碩学。その名を知らぬ者は、アウレリアにはいない。
馬車に揺られながら、僕は思考を巡らせていた。ただの訃報であれば、僕のような調査官が呼ばれることはない。事件性がある、それも、ただ事ではない事件だ。
錬金術ギルドは、王都の南西、他の地区とは隔絶されたかのように聳え立つ「賢者の塔」を中心とした一帯を指す。塔は、古代の魔術師が作り上げたと言われる黒曜石でできており、その表面には常に魔力的な光沢が揺らめいている。許可なく近づく者は、その魔力光に焼かれるという。
ギルドの入り口では、ゼフィラスの一番弟子であるという青年が僕を待っていた。リアムと名乗った彼は、師を失ったにしてはあまりに冷静で、その整った顔には知性と、隠しきれない野心が浮かんでいた。
「お待ちしておりました、アレン調査官。師は、塔の最上階にある自身の工房で……」
「案内してくれ」
リアムに導かれ、僕たちは塔の中へと足を踏み入れた。内部は、外見の荘厳さとは裏腹に、薬品のツンとした匂いと、金属が焼ける匂いが混じり合った独特の空気が満ちていた。壁には錬成陣が描かれ、床には用途不明の機械が無数に転がっている。
螺旋階段を上り、最上階へとたどり着く。そこには、一つの重厚な扉があった。だが、その扉は異様な姿をしていた。扉とその周囲の壁が、まるで一体化するように、鈍色に輝く金属で完全に塗り固められていたのだ。
「これは……?」
「師が発見された時、すでにこの状態でした。内側から、錬金術によって完全に封印されていたのです」
リアムの声は淡々としていた。
「我々では手も足も出ず、やむなく王宮騎士団の工兵隊に依頼し、爆薬で扉を破壊しました。ご覧の通りです」
爆破された金属の残骸を跨ぎ、僕は工房の中へと入った。
中は、混沌としていた。天井まで届くほどの本棚には、羊皮紙の巻物や革張りの古書がぎっしりと詰まっている。床には複雑な錬成陣がいくつも描かれ、机の上にはフラスコや蒸留器が所狭しと並べられ、得体のしれない液体が不気味な色の光を放っていた。この部屋全体が、一つの巨大な実験装置のようだった。
そして、その中央で。
マスター・ゼフィラスは、巨大な錬成陣の中心で倒れていた。まるで儀式の途中で力尽きたかのように。
白髪に、深く刻まれた皺。錬金術の真理のみを追い求めてきた求道者の顔は、しかし、苦悶とは無縁の安らかな表情をしていた。外傷も、争った形跡もない。ただ、眠るように息絶えている。
「死因は?」
「王宮の魔導医師の見立てでは、『極度の生命力枯渇』とのことです。まるで、魂だけを抜き取られたかのような……奇妙な状態だと」
リアムの言葉に、僕は眉をひそめた。生命力の枯渇。そんな死に方が、常人に起こり得るだろうか。
僕は現場を注意深く観察し始めた。扉は内側から錬金術で封印されていた。唯一の窓も、内側から厳重な閂がかけられ、さらにその上からハンダのようなもので隙間なく埋められている。完全な密室だ。
犯人が、どうやってこの部屋から消えたというのか。
その時、僕の視線は、ゼフィラスが伸ばした手の先に転がる、一つの物体に釘付けになった。
それは、人の拳ほどの大きさの、鈍い赤色をした石だった。不規則な多面体で、内部からぼんやりとした光を放っている。まるで、血液が固まってできたかのような、禍々しさと神々しさが同居した奇妙な代物だ。
「賢者の石か……?」
僕の呟きに、リアムが反応した。
「いえ、あれは不完全な模造品です。師が長年研究されていた『賢者の石』のレプリカ……『賢者の血石』と呼ばれていたものです。本物の石には到底及びませんが、それでも莫大なエネルギーを秘めていると聞いています」
僕はハンカチで手を包み、その石を慎重に拾い上げた。ひんやりとしているが、微かな振動が指先に伝わってくる。まるで、生きているかのように。
「師は、この石を使って何をしようとしていた?」
「さあ……。師は、研究の核心部分を我々弟子にすら明かすことはありませんでした。ただ、ここ数ヶ月は、何かに取り憑かれたようにこの工房に籠りきりでした。『あと少しだ。あと少しで、神の領域に手が届く』と、そう呟いておられました」
神の領域。錬金術師たちが追い求める究極の目標。だが、その探求が、彼自身の命を奪ったとでもいうのだろうか。
部屋の捜査を続けていると、リアムが二人の人物を連れてきた。
一人は、妖艶な美貌を持つ女性錬金術師、ヴァレリア。ゼフィラスのライバルとして名高く、彼の研究成果を公然と批判していた人物だ。彼女は遺体を見ても顔色一つ変えず、むしろ値踏みするかのような冷たい視線を向けていた。
「当然の報いだわ。神の領域などと驕り高ぶるから、その身を滅ぼすのよ」
その言葉には、侮蔑と、どこか安堵したような響きがあった。
もう一人は、工房の機械やゴーレムの管理を任されていたという老人、ギデオン。くたびれたローブを身に纏い、油と薬品の匂いを漂わせている。彼は長年ゼフィラスに仕えてきたというが、その目は悲しみよりも、怯えに揺れていた。
「わ、私には何も……。マスターのなさることには、口出しなどできませんでしたから……」
リアム、ヴァレリア、ギデオン。
それぞれが、それぞれの形でゼフィラスと深く関わっている。動機は、誰にでもあるように思えた。だが、問題はこの鉄壁の密室だ。錬金術を使ったとしても、内側から扉を封印し、自分は姿を消すなどという芸当が可能なのだろうか。
僕はもう一度、部屋の隅々までを見渡した。そして、ゼフィラスが倒れていた机の陰に、一枚の羊皮紙が落ちているのを見つけた。そこには、彼の震えるような文字で、いくつかの単語が走り書きされていた。
『石は血を求める。偽りの命。扉は開かれた』
意味の分からない言葉の羅列。だが、これは間違いなく、彼が遺したダイイング・メッセージだ。
「犯人は、この3人の中にいる。あるいは、もっと別の……この工房に潜む、人ならざる何かが」
僕は手の中の『賢者の血石』を握りしめた。石の振動が、少しだけ強くなったような気がした。不気味な事件の幕開けを告げる、心臓の鼓動のように。
王都アウレリアを揺るがすであろう、錬金術師殺害事件。その底知れぬ謎の入り口に、僕は今、立っていた。
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