第6話「背中を預ける者」

「おい、大丈夫かよ、嬢ちゃん」

 七瀬は、肺に空気が戻る感覚とともに薄く目を開けた。視界の先には、浅黒い肌の大柄な男の顔。刈り上げた短髪に迷彩服。まるで野戦帰りの兵士のようだが、瞳は驚くほど優しい。


「あ……れ? 私……首、絞められて……あなたは……?」

「俺か?」

 男は子どもみたいに口角を上げ、無邪気に笑った。

「俺はヤタガラス、No.5――相良乱歩さがららんぽだ。『ランボー』って呼んでくれ」


 七瀬はようやく理解した。彼が自分を助けてくれたのだ。

 190センチ近い巨体。丸太のような腕。威圧感はあるのに、不思議と恐怖より安心が勝つ。大型犬のような温かさがある。


 七瀬は体を起こし、近くに倒れている老婆を見た。さっき自分を絞めてきた相手だ。

「嬢ちゃん、無縁街でちょっと不用心だったな。コイツは婆さんじゃねえぜ」

「え!?」

 ランボーは老婆を仰向けに転がした。服の下から現れたのは若い男の筋肉。

「薬と焼きで顔を作り替えた若い男だ。『仕事』をするため、老婆に偽装している」

 七瀬の背筋に冷たいものが走った。


「なあ、隊長」

 ランボーは道端に座る桃馬へ視線を向けた。

「天海の姉ちゃんから話は聞いたぜ。今日、配属の新人をいきなりここに連れてくるなんて、やりすぎだろう?」

 桃馬は短く息を吐いた。

「こんな女にヤタガラスの任務は務まらない。現実を見て、早く辞めさせたほうがコイツのためだ」

「相変わらず冷たいヤツだなあ……せっかく女性が増えたっていうのに。なあ、サクラもそう思うだろ?」

「私は若の指示に従うだけです」

 桃馬の後ろに付き添うように立っていたサクラは、無表情な顔で話した。


「あ、あの……それより、助けていただき、ありがとうございました。それでいつから……?」

 七瀬は頭を下げる。

「最初からだ。ゲートを越えたとこから、ずっと後ろにいた」

 ランボーはサラリと答える。

「そ、そんな……全然気配がしなかった……」


「ランボーはゲリラ戦が得意分野だ。気配を消して後をつけるなんて朝メシ前だ」

 桃馬が口を挟み、立ち上がった。

「言っただろ? 隊員は全員、特殊能力を持っている。まだ姿を現していない三人も同じだ。そうでないと任務を遂行できないからだ」

 桃馬の言葉に七瀬は固まった。

「天海のババアは、なぜかお前を買ってるが、俺には全く理解できねえ。強くも賢くもない、お前はヤタガラスに向いてねえ」

 桃馬は横目で七瀬を見た。その視線は冷たかったが、ほんの一瞬だけ何かを計るような光があった。


「まあまあ、隊長」

 ランボーが言葉を挟む。

「いいじゃねえか、天海さんが推薦したんだろ? 俺らじゃ分からねえ、何か特殊な能力があるかもしれないぜ」

 ランボーの言葉に桃馬はため息を吐くと、七瀬を見た。

「おい、ひよっこ。まだ任務は終わってねえ、このまま帰るか、任務を遂行するか選べ」


「……だってよ、冷てえ上司だな。だが隊長の言い分もごもっともだ。こっから先は、何が起こるか分からねえし、生命の保証はできねえ。ここで帰っても、誰も文句は言わねえぜ」

 ランボーが七瀬の顔を覗きこんだ。七瀬は真っ青な顔をしていたが言葉を絞り出した。


「ありがとうございます、ランボーさん……」

 そして、必死で笑顔を作った。

「でも、私、隊長の指示に従います。任務を遂行します」

「無理しなくていいんだぜ、怖いだろ?」

「はい、怖いです……でも、逃げたら、二度と戻れない気がするんです。ここで逃げたら……私、多分、自分じゃなくなる……」

 七瀬は震えながら歯を食いしばった。『逃げたくない』、そんな強い意思が瞳に宿っていた。


「がっはっはっ!」

 すると、ランボーは笑いながら七瀬の背中を叩いた。

「気に入ったぜ、神崎七瀬! それなら、お前の背中は俺が守ってやる!」


 七瀬とランボーは並んで第二層へと進んだ。さっきまでの空気が嘘のように、七瀬の胸に安心が戻る。

「なあナナ。お前は素直だし、根性もある。No.7は誰も長く続かなかったが、もしかしたら、お前は違うのかもな」 

「ありがとうございます、ランボーさん……あの……それで、ちょっと聞きたいことがありまして……」

「おう、何でも聞いてくれ」

「そもそもヤタガラスって、他の特殊部隊と何が違うんですか?」

「ああ、ヤタガラスが他の特殊部隊と決定的に違うのは、犯罪者に対して『臨場裁断りんじょうさいだん』の権限が与えられていることかな」

「え? 『臨場裁断』って……?」

「単刀直入に言えば、現場の判断で、犯罪者を裁く……殺してもいいってことだ」

「ええ!? 何ですかそれ!? そんなことが許されるんですか!?」

「まあな、ただそれを命じられるのは隊長だけだ。あの人の判断ひとつで、生死が決まる」

 ランボーの言葉に七瀬は思わず振り返った。隊長と言えば、後ろをダルそうに歩く柳生桃馬のことだ。


「あ、あの人が生き死にの権利を握ってるんですか? そんなバカな……」

「それが本当なんだな。隊長の許可があれば俺たちは、いつでも犯罪者を処刑できる権利がある。お前も昨日見ただろ。テロリストが射殺される現場を」

 七瀬は昨日の現場を思い出し、背筋が凍った。

「は……はい! 見ました! 隊長が見えない銃でテロリストを撃つ場面を!」


「がっはっはっ!」

 ランボーは大笑いする。

「え……? 私、何か変なこといいました?」

「あ、いやいや、今時、珍しい素直な奴だと思ってよ。漫画やアニメじゃあるまいし、見えない銃なんてあるわけねえだろ、生身の人間が撃ったんだよ」

「え?」

「撃ったのは、ヤタガラスNo.4、さ」

「ええ!? でもそんな人、どこにもいませんでしたよ!?」

「ああ、見えない場所にいたのさ、テラス席の植え込みに隠れてな」

「隠れて!? いつからですか?」

「さあ……多分、前日からじゃねえかな?」

「あ……朝からって! それじゃあ丸一日、潜んでたってことですか!?」

「そうなるかな」

 ランボーはサラリと答えた。

 七瀬は呆然とした。テラス席の植え込みは狭い。あんな場所に長時間潜んでいたのは尋常でない。


「あの……それじゃあ、隊長の補佐のサクラさんも何か特殊能力を……?」

「特殊能力っていうか、17歳のくせに戦闘能力はずば抜けているかな」

「えええ!? 17歳!? 未成年!?」

 七瀬は再び振り返り、桃馬の後ろを歩く犬神紗倉を見た。和服を着て歩くその姿は、どことなく妖艶な雰囲気を醸し出していて、とても未成年には見えなかった。


「じゃあ、サクラさんは、隊長とどんな関係で……?」

「付き人だよ、そもそも隊長はあのの出で──」


「ランボ──」

 桃馬の声が聞こえた。七瀬とランボーが振り返ると、桃馬が笑いながらこっちを見ていた。

「お前、いつからそんなおしゃべりになったかな──?」

 しかし、目は笑っておらず、なぜか七瀬は鳥肌が立った。


「す、すまねえ、隊長!」

 ランボーはすかさず謝った。心なしか震えているようにも見えた。そんな姿を見て七瀬は疑問を感じた。

(ランボーさんは身体も大きく力も強そうだ。それなのに、あの柳生桃馬には一目置いているように見える。隊長ってそんなに凄い人なの? それと、さっき言いかけた『柳生一族』って一体──?)


 七瀬が考え込んでいると、ランボーの足が止まった。目の前には三階建ての古い雑居ビル。陽の光は正面からしか入らない。その正面にも同じ高さのビルが一つあった。


「着いたぜ」

 ランボーが低く呟く。

「──紅蓮会のアジトだ」


 

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