【サレ妻】夫のメタバース葬に、愛人のアバターが来た ~誰かが愛した世界は、消えない~

ソコニ

第1話「ログインしてきた葬儀」



## 死者が残したログイン履歴


 夫が死んだのに、通知音が鳴り止まない。


 深夜二時。私、木村亜紀は、ベッドの中でスマホの光に目を細めた。健司が亡くなってから三日。葬儀の準備に追われ、まともに眠れていない。それなのに、スマホは容赦なく震え続ける。


『VR FUNERAL招待状が届きました』

『VR FUNERAL招待状が届きました』

『VR FUNERAL招待状が届きました』


 同じ通知が、五分おきに届いている。


 VR FUNERAL――仮想現実葬儀。


 健司の遺言だった。


 弁護士が読み上げたあの日、私は耳を疑った。「メタバース空間で葬儀を行ってほしい。参加者全員、アバターで出席すること。現実の葬儀は不要」。


 四十五歳で急性心筋梗塞。あまりにも突然だった。IT企業の役員だった健司は、最後まで仕事に生きた。そして死んでもなお、デジタルの世界に居場所を求めたのだ。


「ふざけないでよ...」


 私は呟いた。


 結婚十五年。子供はいない。健司は優しい夫だったが、ここ数年はすれ違いが続いていた。仕事が忙しいと言って帰宅は深夜。休日も「オンライン会議」と言ってパソコンの前。私はパートと家事に追われ、会話は「おはよう」と「おやすみ」だけになっていた。


 それでも、葬儀くらいは普通にしたかった。


 でも健司の遺言は絶対だ。会社の同僚たちも、親族も、全員が「故人の意思を尊重しましょう」と言う。


 だから私は今、ダンボールから取り出したばかりのVRゴーグルを手に持っている。


『ログインしてください。葬儀開始まで残り10分』


 通知が光る。


 私は深呼吸をして、ゴーグルを装着した。


---


 視界が真っ白になる。


 次の瞬間、私は別の世界にいた。


 白い大理石の床。天井は見えないほど高く、そこから柔らかい光が降り注いでいる。壁はステンドグラスのように輝き、静かな音楽が流れている。


 これが、メタバース葬儀場。


「わあ...」


 思わず声が漏れた。


 荘厳だ。現実のどんな葬儀場よりも美しい。でも同時に、何か異様な感じがする。空気が冷たすぎる。音が響きすぎる。そして――


「あれ...?」


 私は自分の手を見た。


 細い指。若々しい肌。爪は淡いピンクに輝いている。これは、私の手じゃない。


 慌てて目の前に現れた鏡を覗き込む。


 そこにいたのは、二十代半ばに見える、美しい女性だった。長い黒髪、大きな瞳、白いドレス。


「これが...私?」


 システムが自動生成したアバターらしい。三十八歳の疲れた主婦の面影はどこにもない。


 ふと、周りを見渡す。


 葬儀場には、すでに何人もの参加者がいた。


 全員、アバターだ。


 スーツ姿の男性。着物を着た女性。若い女の子。老人。みんな、どこか作り物めいた美しさを持っている。そして誰一人、現実の顔を見せていない。


「木村さん」


 声をかけられて振り返る。


 そこにいたのは、健司の会社の上司――のはずだ。現実では六十代の白髪の男性だが、アバターは三十代くらいの精悍な顔をしている。


「あの、佐藤部長...ですか?」


「ええ。お久しぶりです。健司君のこと、本当に残念で」


 声だけは本人だ。でも顔が違いすぎて、違和感しかない。


「ありがとうございます...」


 私は曖昧に頷いた。


 次々と参加者が集まってくる。会社の同僚、親族、友人。でも誰が誰だか分からない。名札も表示されない。ただアバターが、無言で祭壇の前に並んでいく。


 祭壇には、健司の遺影――ではなく、健司のアバターが浮かんでいた。


 四十代半ばには見えない。三十代くらいの、引き締まった体つき。笑顔。現実の健司より、ずっと若々しい。


「健司...」


 私は呟いた。


 これが、あなたの望んだ葬儀なの?


 音楽が変わる。葬儀が始まる合図だ。


 参加者が静まり返る。


 そのとき――


 葬儀場の扉が、ゆっくりと開いた。


---


 遅刻者だ。


 全員の視線が、扉に向く。


 そこから入ってきたのは、一人の女性のアバターだった。


 息を呑むほど、美しかった。


 長い銀髪。透き通るような白い肌。深い青の瞳。白いドレスは私のものと似ているが、どこか優雅で、気品がある。


 彼女はゆっくりと歩いてくる。


 そして、祭壇の前で立ち止まった。


 健司のアバターを見つめている。


 その瞳から、一筋の涙が流れた。


「え...」


 アバターが泣く?


 メタバース空間で、涙なんて流せるの?


 銀髪の女性は、静かに手を合わせた。そして――


 私の方を見た。


 視線が合う。


 彼女の青い瞳が、じっと私を見つめている。


 何か言いたげな表情。でも、口を開かない。


 私は息が詰まりそうだった。


 彼女は誰? 健司の知り合い? 会社の人?


 でも、このアバター、見覚えがある気がする。いや、見覚えがあるはずがない。初めて見る顔なのに。


 葬儀が進む。


 誰かが弔辞を読んでいる。でも、私の耳には入ってこない。


 ずっと、あの銀髪の女性が気になっている。


 彼女は祭壇の横に立ち、健司のアバターを見つめ続けている。まるで、私よりも深く悲しんでいるように。


 葬儀が終わった。


 参加者が次々とログアウトしていく。アバターが光に包まれて、消えていく。


 私も帰ろうとした。


 そのとき――


「あの」


 声をかけられた。


 振り返ると、銀髪の女性が立っていた。


 近くで見ると、さらに美しい。そして、どこか悲しげだ。


「はい...?」


 私は警戒しながら答えた。


 彼女は少し躊躇ってから、口を開いた。


「あなたは...健司の奥様ですか?」


「ええ、そうですけど...」


 私は頷いた。


 すると、彼女はゆっくりと微笑んだ。


 悲しそうな、それでいてどこか安心したような笑顔。


 そして――


「私も、そうなんです」


 世界が、止まった。


 私も、そうなんです。


 私も、そうなんです。


 私も――


「え...?」


 声が震えた。


 彼女は静かに続けた。


「私、ルナって言います。健司さんの...妻です」


 視界が歪む。


 息ができない。


 ルナと名乗った女性は、悲しそうに私を見つめている。


「ごめんなさい。でも、あなたには知る権利があると思って」


「ちょっと待って。待って。どういうこと?」


 私は混乱していた。


 妻? もう一人の妻?


 健司に、愛人がいた?


 いや、でも――これはメタバース空間だ。アバターだ。現実じゃない。


 ルナは一歩近づいてきた。


「健司さんと私、三年間一緒にいたんです。ここで。メタバースで」


「三年...?」


「ええ。毎晩、ここでログインして。一緒に暮らしてました」


 暮らす? メタバースで?


「嘘でしょ...」


「嘘じゃありません。証拠もあります。もしよければ、明日、もう一度ここに来てください。健司さんが残したもの、全部お見せします」


 ルナはそう言って、私に手を差し出した。


 その手には、小さな光る鍵が握られていた。


「これ、健司さんの家の鍵です。メタバース内の、私たちの家。あなたにも、見る権利があります」


 私は震える手で、その鍵を受け取った。


 ルナは悲しそうに微笑んだ。


「ごめんなさい。でも、知らないまま


でいるのは、もっと残酷だと思ったから」


 そして彼女は、光に包まれて消えた。


---


 気づくと、私は現実に戻っていた。


 VRゴーグルを外す。


 部屋は暗い。時計を見ると、午前三時。


 私は震えていた。


 手の中には、スマホがある。


 画面には、メッセージが届いていた。


『ルナから座標が送信されました。明日午後八時、メタバース内でお待ちしています』


 座標。


 健司の、もう一つの家。


 私は膝から崩れ落ちた。


「健司...あなた、何をしてたの?」


 答えは返ってこない。


 ただ、スマホの通知音だけが、静かに鳴り続けていた。


---


<第1話終わり>


次回:第2話「仮想の家族」

健司が毎晩通っていた「家」。そこで亜紀が見たものとは――




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