02


   *



 待ち合わせに限った話ではないが、決められた時間に何かをするということがあまり好きではない。遅刻をしてしまうということではなく、遅れないようにと時間を意識し過ぎてしまうのか、予定の時間までの時間も予定に含まれてしまうような何だか損をしている気持ちになる。

 それが日曜日ともなると尚更だ。

 昼前などという曖昧な設定のせいで三十分前に昨日の場所にやって来てしまったわけだが、華火はなびは一向に現れないばかりかメッセージも返してこない。


 どうせ返してこないだろうけどもう一度——いや、もういいか。


 文句を言ったところで、早く来てしまった僕が悪い。というような発言をどうせしてくるのでわざわざ言うつもりはないが、待っていた事実と多少の不満を伝えるために、ようやく姿を見せた、人波の隙間をのんびりと歩いてくる彼女を軽く睨む。


「おはようめぐる。今来たとこだよね?」


 それは待っていた側が気を遣って言う台詞だ。やはり文句はきちんと言おう。


「普通に待ってたけど」

「待ちたかったんでしょ?」

「そんなわけないだろ」


 ぱっちりとした目を、エメラルドのような透き通った緑の瞳をこちらに向けて。見上げた顔を傾けた華火は口角をゆっくり上げた。


「わかってたくせに。良かったね。ボクのことを想う時間が長くなって」


 くるっと回った華火はビルに顔を向けた。肩にかかる長さのハイトーンなグレーの髪がふわっと舞う。

 わかってたくせに——か。たしかに幼稚園からの長い付き合いなので、勿論ただの腐れ縁ではあるが、それでもそれなりに華火のことをわかっているつもりではいる。

 気分屋で自己中心的。


「返事をくれれば待たずに済んだのに」


 目の高さよりも少し下にある頭頂部に向けて投げた愚痴は当たり前のように無視された。


「まだ落ちてきてないみたいだね。そういえばつづりちゃんは?」

「綴は来ないってさ」


 客観的に見て、二人の仲が悪いと思ったことはないが良いと思ったこともない。華火の性格の所為ではなく、綴が休日に友人と遊ぶようなタイプではないというだけで——そもそも綴の親しい友人だという人物を知らないし、少なくとも僕は会ったことはない。

 

「残念。日曜だし忙しいよね。昨日も時間作って貰ってデートだったんでしょ? 何であんな綺麗な子が巡なんかと一緒にいるんだろ。不思議じゃない?」


 言いたい事はわかるが余計なお世話だ。


「僕も忙しいんだけど」

「巡は暇でしょ? 仕方ないから今日はボクがデートしてあげるよ」


 振り返って見せたこの表情で。あどけないのこの表情と愛嬌のおかげで、問題だらけの性格を周囲に許されている、のだと思っている。

 とりあえず言い返すのも面倒なのでビルを眺めることにした。


「そんなに照れなくてもいいのに」

「照れてるわけじゃない」

「長い付き合いなんだからボクだって巡のことわかってるつもりだよ。今日が楽しみで仕方なかったんだよね? ボクと過ごす休日と、それから——多分そろそろだね」


 飾り気のない腕時計から目を離した華火は、ビルの上階に顔を向けた。


「何が?」

「もう一つの楽しみが落ちてくるのが」

 

 同じように見上げた視線の先に。五階の窓、開いた窓に人影が映った。地上を覗くように上半身を外に投げ出したそれは数秒間そのまま動かなかったが、助走をつけるように一度身を引き、次の瞬間、勢いよく頭から飛び出し落下を始めた。


「ほら飛んだ。昨日と同じくらいの時間だね」


 華火の言葉が終わる前に。女性の幽霊は昨日と同じ場所で、同じように地に伏せていた。

 当然だが気分の良くなる光景ではない。

 同じ服を着た女性の頭部から流れ出る血が、同じように池になっていく。


「本当は気になってるんでしょ?」

「全然気になってない」


 というわけでもない。関わりたくはないが気になっている部分はある。


「何を探してるんだろうね?」


 四つん這いで辺りを見回している女性を見て楽しそうにそう呟いた華火は、膝と手の平を地面につけて同じポーズをとった。


「……それ何してるの?」

「真似したらわかるかなって。昨日と同じ時間に——十二時ちょっと過ぎくらいだね。同じように落ちてきて同じようにキョロキョロしてるんだから、多分毎日繰り返し飛び降りてるんだと思うよ。面白いよね? もう死んでるのに。これ以上死なないのに」


 昔からこうなので特に驚きはしないが呆れてはいる。興味を持つと真っ直ぐ進んでいくのは長所でもあるのだろうが、人が多いこんな場所で急にそんなことをするのであれば短所の面が強すぎる。


「他人のフリしてもいい? というかする」

「酷いね。昔の巡なら同じことしてただろうに。それって大人のフリ?」


 自分以外にも幽霊が見える人がいる。誰も信じてくれなかった幽霊の存在を信じてくれる相手がいる。子どもの頃はそれがとにかく嬉しくて、華火と出会ってから中学生になるくらいまでずっと二人で遊んでいた。

 おそらく当時、彼女も同じ気持ちだったのだと思う。幽霊を見つけて二人で騒いで。たしかにあの頃の僕なら同じことをしていたかもしれない。が、もう大学生だ。


「フリじゃなくて大人になっていってるんだよ。少しずつ」

「まあ、何でもいいよ。ボクはボクだし。とりあえずあの女性ひとは死んだまま居るタイプだろうね。あそこで死んでそのまま。あれは何を見てるんだろ」


 立ち上がって一階のガラスの扉を眺める女性を見て同じように立ち上がった華火は、「よし。声をかけよう」と、キラキラした目をこちらに向けた。


「僕はいいよ。華火一人で行ってきて」

「か弱い女の子を一人で行かせるの?」

「どこにいるんだよ。か弱い女の子が」

 

 返事を聞かずに歩き始めた華火をそのまま見送ろうかとも思ったが、何となくそれは自分の中で許せないし、華火がこれ以上の奇行に走らないかと心配なので追うことにした。

 ——ついて行くだけだ。


「こんにちは。あなた何をしてるの? 何を探してるの? 何を見てるの?」


 明らかに年上であろう女性の幽霊にフランクに声をかけた華火は、敬語を使えないというわけではない。実際、翠蓮すいれんと話す時はしっかり敬語を使っている。


「……私が見えるの?」

「見えてるよ。ボクもこっちの巡もしっかり」


 驚いたように目を見開いた女性はしばらく固まっていたが、「なんで」と溢してこちらを睨んだ。


「見えてるならなんで二人とも心配してくれないの? 私飛び降りたんだよ? 死んだんだよ? 大事件でしょ? 頭悪いの? 寄り添って声をかけてくれるものなんじゃないの? 可哀想じゃないの? あ、そうだ。それにこういう時は写真とか動画とか撮るんじゃないの? 皆、前はそうしてたよ? 撮らないの? 投稿しないの?」


 ——酷い。幽霊らしい幽霊。絶対に面倒だ。

 個人的な見解だが、質問をいくつも重ねて喋る奴は返答を求めていないし聞く気もない。

 ひとまず僕は喋らないことを心に決めた。


「名前だけ聞いてもいい? 呼びにくいから」


 冷静に、平静を装っている華火が名前を尋ねると、「清水しみずだけど。そんなことどうでもいいでしょ?」と、女性は、清水さんは不機嫌そうに言った。


「清水ね。わかった。えっと、何だっけ? ボクの質問への答えは、私は承認欲求に似たよくわからない何かを満たしたいから毎日毎日飛び降りて撮影してくれる人を探してるけど誰も構ってくれないから寂しいんです、でいいんだっけ? 心配するわけないよね? だって清水、一度死んでるし。二回目以降の飛び降りは自殺じゃなくて趣味でしょ? 紐なしバンジーって楽しいの?」


 忘れていたわけではないが、こちらも、華火も負けず劣らず相当酷い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る