06


 言葉を発することができなかったのか意図してやめたのかはわからないが、福原ふくはらさんは小さく口を開けたまま動かなくなった。

 そして、おそらく僕も同じ顔をしてしまっていたのだと思う。


めぐるくん。福原さんは……何か言ってる?」


 翠蓮すいれんの声を聞いて我に返った僕は「いえ。何も」とだけ返して口を閉じ、綺麗に光る空気の読めない夕焼けに目をやった。

 生きているうちに裁かれなかった罪。

 死後の世界にどんな法が、どんな裁きがあるのかは知らないが、案山子二号の話だけで考えるのであれば、福原さんが事故で人を死なせたことは奥さんが死ぬことで赦される。


「翠蓮。本当にそれが罪なんですか?」


 事故だと言っていたし、同じように立つ案山子のひき逃げと比べると——いや。大したことない、は違う。

 交通事故に遭って怪我をした。死んだ。

 被害を受けた側からすれば、罪の名前や重さに関わらずどちらも大したことだ。


「他に思い当たるものもないみたいだし、罪と呼んでいいのかはわからないけど……少なくとも」


 先ほどからずっと、言葉を選びながら躊躇うように話していた翠蓮は、ここで一層間を取った。


「償うべき相手は居るんだろうね」


 たとえ死んでしまっていても、か。


「どうすれば……どうすれば私が償うことができるんでしょうか。死んでしまって動くこともできない私は亡くなった方に……」


 福原さんが口に出した悲痛な言葉に対する答えを持ち合わせていない。


「……ごめんなさい。僕には」


 答えることができません。

 その言葉を込めて首を横に振った。

 奥さんに代わりに償ってもらってください。地獄で裁かれてください。

 ——どちらも言えるはずがない。


「……そうですよね」


 そして福原さんはその二択を理解した上で、償う方法を探しているのだと思う。


「ありがとうございました」

 

 痛々しい笑顔でそう言った福原さんは、そのまま目を閉じて喋ることをやめた。



   *



 曇天の下、二限の終わり、刺さる風。

 食堂に向かっていたはずの僕は昼時で賑わうその一帯を通り過ぎ、門を抜けてコンビニの前に立っていた。

 福原さんはあれから一言も喋らなかった。

 かける言葉も見つからずに帰った昨日のことを。今日、何を言うべきかを。あと何ができるのかを。

 そんなことを考えながら歩く中で、翠蓮の後ろ姿が見えたのでこうして追ってきたわけだが、店内に入ることを躊躇っているうちに会計を終えてしまったらしい。


「出待ちかな?」


 出てきた天使は意地の悪い微笑みを浮かべて目の前に寄ってきた。


「まあ、近いかもしれません」


 中で会っていた場合、「ストーカーかな?」とかそんなことを言われていたのだろうが、実際追ってきたので別にどちらを言われても不満はない。そして何となく追いかけてきただけで特に理由があったわけでもない。


「福原さんのところに行くの?」

「……そうですね。このあと時間あるので」

「なら私も一緒に行こうかな」


 これから食堂に戻る気分にもなれないし、昼食は福原さんと会ってから家で食べることにしよう。


「デートみたいだね」

「田んぼですけどね」

「綺麗だし良い場所だと思うよ?」


 デートでも何でもいいからとにかく少し離れて欲しい。腕が触れる距離で歩かれると周囲の視線が痛い。学生が多いこの時間帯は特に。


 お互い口を開かないまま小道を抜けて、田んぼ沿いに。福原さんが立つ通りに出てすぐに異変に気がついた。


「なんか賑やかだね」


 普段と違い人の声が騒がしいこの状況。翠蓮にも聞こえているようなので、とりあえず幽霊の声というわけではなさそうだ。

 ほんの少しだけ歩幅を大きくして、正面を眺める福原さんの元に向かった。


「何があったんですか?」


 福原さんの視線の先には、住宅街の中に止まっている救急車と数える程度の野次馬らしき人だかりが見える。


「事故です。車が壁にぶつかって。運転していた、多分女の人が救急車の中に運ばれて……無事だといいんですけど……」


 丁度、案山子二号が立っていた辺りに——二号の姿が消えている。


「巡くん。もしかして、女の人が事故を起こして二人目の案山子が消えてる?」


 本当に助かる。僕の視線と様子で察してくれたのだろう。


「はい」

「ならあの人は大丈夫だね。きっと」


 走り去る救急車を眺めながら、翠蓮は笑顔でそう言った。大丈夫、か。とは言っていたが、程度はわからないのでは——


「勘ですか?」

「そうだね。それに、夕夏ゆかが言ってたでしょ? 少し入院したけど元気になったって」


 夕夏さんが言っていた。と言われてすぐにはピンとこなかったが、そういえば予知夢の話の流れでそんな話をしていた気がする。


「助けようとした男の子ですか?」

「うん。多分」


 翠蓮が言うならきっとそうなのだろう。

 とにかく、案山子二号が消えているということは、事故を起こした人が奥さんだと考えて良いだろう。でなければ場所もタイミングも都合が良過ぎる。


「赦された、ってことですかね」

「そうなのかもね」


 心にかかった薄いもやが晴れる気がしない。ただ、それは当事者でないからなのだろう、とも思う。


「一日考えてみましたが、どう償えばいいのか見当もつきませんでした」


 福原さんが口を開いた。


「謝ってどうにかなる話でもないですが、謝罪の言葉を届ける相手も亡くなっていて。あの世むこうで会えればいいのですが、きっとそれも叶わないのでしょう。私が地獄に行くのであれば叶わない方がいいんですけどね」


 昨日と同じ笑顔を浮かべている福原さんに、僕はまた何も言えず。


「せっかくここに居るのに、この世に居るのに、花を供えることも額を地面に付けることもできず」


 それでも、目は逸らさずに聞いていた。


「こうして時が過ぎるのを待つことしか」

「福原さん」


 そこに翠蓮が割って入った。聞こえていないので本人からすればそうは思って——いや。福原さんが喋っていることが想像できているのかもしれない。そんな表情に見える。


「きっとあっちの案山子さんと同じように、奥様はここで。何らかの原因で亡くなるのだと思います」


 彼女にとっては何もない、稲穂の並ぶ交差点を見つめながら、ゆっくりと言葉を並べていく。


「ただ、止めることもできるんだと思います。昨日、福原さんが声をかけなければ……眠ったままだったら、奥様は事故で亡くなっていたのかもしれせん」


 その場合、僕たちはどうなっていたのだろうか。一瞬その考えが頭に浮かんだが、選ばれなかった未来のことを考える意味などないか、とすぐに掻き消した。それに、翠蓮が大丈夫と言っていたのでおそらく大丈夫だったのだろう。


「赦される術を昨日手放したのかもしれませんし、残りの時間でその機会が訪れるのかもしれません」


 あと一日。明日消えるまでの間にその機会が訪れた場合、色々と知ってしまった福原さんはどうするのだろうか。


「どうすべきかはわかりません。私にも、多分巡くんにも。でも、できれば……」


 次の言葉を待っていた。言ってくれるのを、ただ待っていた——自分で自分をずるいと思った。


「いえ。これは良くないですね。忘れてください」


 結局言わずに、翠蓮は悲しそうに笑った。

 それに安堵した自分がいる。

 これは多分、やっぱり、おそらく。少なくとも僕たちが言っていいことではない。


「大丈夫ですよ」


 そう言って優しく笑った福原さんに僕が言えることは。言っておきたいことは二つしかない。


「……今度はちゃんと聞いてくださいね」

「何をですか?」

あの世あっちでは、聞けば色々教えてくれるみたいなので。幽霊は……福原さんはもう少しお喋りでもいいのかもしれません」


 目を丸くした福原さんはしばらく固まったあと、空を見上げて大声で笑った。


「そうですね。今度はしっかり聞いてみようと思います」



   *



 朝焼けとともに鳴るさえずりが、案山子の不在を耳に届ける。当然、目にも映っていない。

 一週間。あの案山子が言っていた通り、福原さんの姿は交差点から消えていた。まだ収穫前なのに、と職務怠慢を心の中で指摘してみる。


 結果どうなったのかはわからない。


 流石に人が亡くなっていれば大騒ぎになっているだろうが、そんな様子は今はないし、わざわざ調べるつもりもない。わからないことは好きに勝手に想像しておく方が良い。

 知る術がないというのは時に良いことなのだと思う。


「来年は邪魔しないでくださいね」


 綺麗な黄金こがねの稲穂に向かって。

 逃げた幸せがどこへ行くのか知らないが、大きく大きくため息をついた。




— [友引]かかしのはなし END —



▼作者より

お読みいただきありがとうございます。

飛んで喜んでいます。

次話タイトルとは真逆ですね。

引き続きお楽しみいただければなと思います。



— NEXT [赤口]とんでもない —


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