第12話 概念の大剣

「……はぁ。やっと、動けるようには、なったか……」


 床に大の字になってから、十分ほどだろうか。竜二は、完全に枯渇していた魔力が、細胞の一つ一つでゆっくりと再生産されていくのを感じながら、重い体をようやく起こした。

 ガス欠の症状はキツいが、聖水を飲んで無理やり回復させた時とは違う、確かな「自力」での回復だった。


「竜二っ! 大丈夫?」


 声変わり前の少年のような、高い声。振り返ると、そこには、先ほどまでの衰弱した姿が嘘のように、魔力の光をみなぎらせたソフィアが立っていた。

 彼女は、竜二が倒れている間も、警戒を怠らずに書斎の入り口を見張り続けていたらしい。その赤い瞳には、もう「怯え」の色はなかった。


「……ああ。アンタこそ、随分と元気になったじゃねえか。……別人みてえだ」

「うん。魔石のおかげ。……体が、軽い。それに……」


 ソフィアは、自分の手のひらを見つめた。

 彼女が意識を集中させると、その白い手のひらの上に、一滴の「血」が浮かび上がる。その血は、みるみるうちに形を変え、鋭い「針」のような形状になった。


「……私の、血の魔術ブラッド・アーツ。まだ、ほんの少しだけど、戻ってきた。……これなら、腐鼠グレイブ・ラットコアくらいなら、貫ける」


 それは、吸血鬼ヴァンパイアの本領である、血液を自在に操る戦闘技術の片鱗だった。聖水で敵を浄化するしか能がなかった彼女が、ついに「攻撃手段」を手に入れたのだ。


「……へえ。そりゃ、頼もしいな」


 竜二は、立ち上がると、亡霊の騎士が残していった「大剣」へと歩み寄った。

 床に落ちたそれは、竜二の「実体化」の概念コトバによって、半透明の霧から、確かな質量を持つ「くろがね」へと変貌していた。竜二がこれまで使っていた「粗末な槍」とは、放つ「格」が違う。


「……よっ、と」


 竜二は、その柄を握り、持ち上げようとして……顔をしかめた。


「……クソ、重すぎだろ……!」


 「剛力」の概念コトバを使っていない素の腕力では、持ち上げるのがやっと。振り回すことなど到底できそうにない。亡霊の騎士が、いかに強力な存在だったかを物語っていた。


「……竜二、無茶しちゃだめ。それは、近衛騎士団の中でも、特にちからのある者だけが扱えた、特別な大剣……」

「……ああ、分かってる」


 竜二は、その重い大剣を床に突き立て、ニヤリと笑った。


「……だがな、ソフィア。俺の職業ジョブ、忘れたか?」


 竜二は、回復したばかりの魔力を、その大剣に注ぎ込む。


(対象、「この大剣」。概念コトバ、「軽量化」!)


 グン、と魔力が吸われる。だが、その消費量は、先ほどの「実体化」や「貫通」に比べれば、遥かに少ない。そして、竜二の手の中にある大剣の「重さ」が、フッと、まるで羽のように軽くなった。


「……おお」


 竜二は、その大剣を、今度は片手で軽々と振り回してみせた。ブン、と風切り音が響く。


「……すげえ。さっきまでの重さが嘘みてえだ」

「そ、そんな……! 物質の『重さ』まで、上書きしたの!?」


 ソフィアが、驚愕に目を見開く。


「……これだけじゃねえ」


 竜二は、この新しい「相棒」の可能性に、笑みが止まらなかった。「粗末な槍」では受け止めきれなかった概念コトバも、この「格」の高い大剣なら、間違いなく受け止める。


(対象、「この大剣」。概念コトバ、「魔力伝導、最大」!)


 竜二の魔力が、大剣の刀身を駆け巡る。見た目に変化はない。だが、竜二には分かった。この大剣は、今や、彼の魔力を最も効率よく「通す」、最高の「杖」であり「剣」となった。


「……これなら、『剛力』や『貫通』を使っても、さっきみてえな無様なガス欠にはならねえ。……もっと、効率よく魔力を乗せられる」

「……竜二。あなたって、本当に……型破り……」


 ソフィアが、呆れたように、しかし、嬉しそうに呟いた。

 ハズレ職の元ヤンキーと、回復したての吸血姫。二人は、この万魔の坩堝パンデモニウムの底で、確実に「戦力」と呼べるだけの力を手に入れていた。


「よし。武器も手に入った。……ソフィア、魔石箱以外に、何か使えそうなモンはねえか? 地図とか、この城の『設計図』みたいなモンが欲しい」

「あ! うん、それなら……!」


 ソフィアは、亡霊が守っていた執務机とは別の、壁際の本棚へと駆け寄った。彼女は、背伸びをしながら、膨大な蔵書の中から、一冊の分厚い革表紙の書物を引きずり出す。


「……あった! これは、父が使っていた、この城……『アーベントロート城』の地図と、周辺の万魔の坩堝パンデモニウムの……簡易的な地図!」

「……上等だ。それも、いただくぞ」


 魔石によるソフィアの強化。 言霊付与ワード・エンチャントに適した、新しい大剣。 そして、この絶望の迷宮を歩くための「地図」。「書斎」への偵察は、危険リスクを遥かに上回る報酬リターンをもたらした。


「……さて。長居は無用だ。拠点アジトに戻るぞ」


 竜二は、ソフィアから地図を受け取ると、大剣を肩に担ぐ。その姿は、もはや「ハズレ職の高校生」ではなく、歴戦の傭兵(ようへい)のような風格すら漂わせていた。


「うん!」


 二人は、亡霊の騎士が消え去った書斎に短く黙祷を捧げると、元来た回廊へと引き返し始めた。往路で苦戦した腐鼠グレイブ・ラットの気配を、ソフィアが再び察知する。


「……竜二、二匹。左から来る!」

「……おうよ」


 竜二は、もう焦らない。 彼は、概念コトバを「軽量化」した大剣に、最小限の魔力コストで「鋭利」だけを付与した。


「――チィ!」


 飛び出してきた腐鼠グレイブ・ラットを、竜二は「剛力」なしの、純粋な剣技……いや、ケンカ殺法で迎え撃つ。「鋭利」の概念コトバが乗った大剣は、腐鼠グレイブ・ラットの硬い毛皮を、紙のように易々と切り裂いた。


「……チ……」


 一撃。 二匹の魔物は、声も出せずに絶命し、小さな魔石へと変わる。


「……はっ。スゲーな、この切れ味」

「……竜二、すごい……! 魔力、ほとんど使ってない……!」


 ソフィアが、興奮したように声を上げる。「燃費最悪」だった竜二の力が、武器の「格」が上がったことで、恐ろしく「効率化」されたのだ。


「……ああ。こいつは、マジで『おあつらえ向き』だ」


 竜二は、大剣についた汚れを振り払うと、ソフィアが集めた魔石を彼女に渡す。

 ソフィアがそれを喰らい、さらに魔力を回復させる。強い武器で、効率よく敵を倒す。倒した敵の魔石で、ソフィアが強くなる。ソフィアが強くなれば、竜二は自分の魔力を温存できる。


 二人の「共生」は、奈落の底で、完璧な「戦闘サイクル」へと進化していた。


 拠点アジトである聖域の泉に戻った二人は、バリケードをしっかりと閉じると、ようやく人心地ついた。竜二は、聖水をがぶ飲みし、書斎の戦闘で消耗した魔力を完全に回復させる。


「……ふぅ。やっぱ、ここの水は最高だな」

「うん。……ねえ、竜二。地図、見よう」


 ソフィアが、興奮冷めやらぬ様子で、持ち帰った古地図を床に広げた。そこには、この広大な『アーベントロート城』の全体図と、ソフィアが言っていた「宝物庫」の位置が、明確に記されていた。


「……ここだわ、『宝物庫』。……やっぱり、地下の……一番、深いところ」

「……遠いな。書斎とは比べモンにならねえ」


 竜二は、地図に描かれた、いくつもの危険地帯を指でなぞる。


「だが、ここを落とせば、アンタは完全に『復活』できるんだろ?」

「……うん。あそこには、父が備蓄していた、膨大な魔石があるはず。……それさえあれば、私の力は……」

「……決まりだな」


 竜二は、かたわらに置いた大剣を、ガチン、と床に突き立てた。


「次のカチコミ先は、『宝物庫』だ。……シマ荒らしてる魔物ヤロウども、一人残らず叩き出して、アンタの城、取り返してやるよ」

「……! うん!」


 ハズレ職の元ヤンキーと、復活を遂げた吸血姫。坩堝るつぼの底からの「反撃」が、今、本格的に幕を開けた。



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