第10話 亡霊の騎士


「――待って、竜二」


 ソフィアが、竜二の腕を掴もうとして……寸前で止めた。 その顔は、魔物に怯えるのとは、また違う種類の「恐怖」で、青ざめていた。


「……どうした?」

「……おかしい」


 ソフィアは、扉を睨み据えたまま、震える声で言った。


「……魔物の気配は、ない。でも……。……何か、別の……。冷たい、『何か』が……中に、いる……!」


 竜二は、ソフィアの「索敵」能力を信頼していた。 腐鼠グレイブ・ラットとは明らかに異質な気配。それが何を意味するのかは分からないが、面倒な相手であることは間違いない。


「……チッ。犬コロの次は、オバケかよ。面倒くせえ」


 竜二は悪態をつきながらも、構えた槍の穂先を、扉の隙間に慎重に差し込む。そして、自分の足元に概念コトバをかけた。


(対象、「俺の足音」。概念コトバ、「無音」)


 魔力がわずかに消費され、竜二の存在感がフッと薄れる。 彼はソフィアに「下がってろ」と目配せすると、音を立てずにゆっくりと、重いオーク材の扉を押し開いた。


 キィィ……。 乾いた蝶番ちょうつがいの音が、静かな回廊に響く。「無音」の概念コトバは、竜二自身にしか効果がないらしい。


「……!」


 竜二は即座に書斎の中へ飛び込み、ソフィアを背後に庇う。

 中は、天井まで届く本棚に囲まれた、広い書斎だった。腐狼グレイブ・ウルフがいた回廊とは違い、瘴気しょうきは薄く、不思議と荒らされた様子もない。床には、埃がうっすらと積もっているだけだ。そして、部屋の中央。大きな執務机の椅子に、「それ」は座っていた。


「……なんだ、アレ……」


 それは、全身を重厚な騎士鎧で包んだ、半透明の「人影」だった。兜の奥で、青白い燐光りんこうだけが、ぼんやりと揺れている。

 亡霊。まさしく、ソフィアが感じた「冷たい何か」の正体だった。


『……何人なんぴとたりとも、王の書斎を荒らすことは許さぬ……』


 亡霊が、地底から響くような、くぐもった声を発した。

 それは、竜二たちに向けられた言葉ではなかった。数百年、ただその命令だけを繰り返し、この部屋を守り続けてきた、残留思念の残滓ざんし

 亡霊の騎士は、ゆっくりと椅子から立ち上がる。 その手には、同じく半透明の大剣が握られていた。


「……おい、ソフィア。アレ、アンタの知り合いか?」

「わ、分からない……! でも、あの鎧……父の近衛騎士団のもの……!」


 ソフィアの言葉に、亡霊がピクリと反応した。青白い燐光が、侵入者である竜二を、明確な「敵」と捉える。


『……賊が……。姫君の名を騙るか……!』


 亡霊は、ソフィアの存在には気づいていない。いや、衰弱した彼女の魔力を、「姫」のものとは認識できないでいる。ただ、竜二を、この聖域を荒らす「賊」とみなし、排除しようと動き出した。


「――っ!」


 亡霊の動きは、腐狼グレイブ・ウルフのように俊敏ではなかった。だが、その一歩は重く、一切の迷いがない。竜二は即座に概念コトバを発動する。


(対象、「俺」。概念コトバ、「剛力」!)

(対象、「槍」。概念コトバ、「貫通」!)


 腐鼠グレイブ・ラット戦で温存した魔力を、一気に解放する。相手は、明らかに格上。出し惜しみをしている場合ではなかった。


「オラァ!」


 強化された槍を、亡霊の騎士の胴体目掛けて、全力で突き出した。しかし……。

 槍の穂先は、まるで霧を掴むかのように、亡霊の体を、何の手応えもなくすり抜けた。


「……なっ!?」


 物理攻撃が、効かない。


 竜二の驚愕は、一瞬だった。すり抜けた槍の勢いのまま、体勢を崩した竜二の胴体に、亡霊が振り下ろした大剣が迫る。


「――ぐ、ァッ!?」


 大剣もまた、竜二の体をすり抜けた。だが、斬られた部分は、まるで凍りついたかのように、激しい「冷気」と「苦痛」に襲われた。


(……クソ! 物理は効かねえのに、向こうの攻撃は「通る」のかよ!)


 精神メンタルへの直接攻撃。あるいは、魔力そのものを斬りつける攻撃。ヤンキーのケンカには、あまりにも縁遠い相手だった。


「竜二っ! だめ、物理は……!」

『……消えろ、賊め』


 亡霊が、再び大剣を振りかぶる。竜二は必死でバックステップを踏み、距離を取った。


「チッ……面倒くせえ相手させやがって!」


 物理がダメなら、と竜二は思考を切り替える。


(対象、「亡霊」! 概念コトバ、「鈍重」!)


 腐狼グレイブ・ウルフの動きを止めたデバフ。だが、亡霊の騎士は、その概念コトバを意にも介さず、変わらぬ歩調で竜二に迫る。「呪い」や「状態異常」に近い概念コトバも、霊体には効果が薄いらしい。


「……クソが! じゃあ、これならどうだ!」


 竜二は、腐狼グレイブ・ウルフを仕留めた、あの概念コトバを思い出す。


(対象、「聖域の泉の水」!)


 ……ハッとして、竜二は自分が拠点アジトから離れていることを思い出した。聖水の水差しは空。派手な攻撃は使えない。


 八方塞がり。亡霊の大剣が、三度、竜二に迫る。


「――やめて! その人は、敵じゃない!」


 ソフィアが、竜二を庇うように、二人の間に飛び出した。


「私は、ソフィア! ソフィア・アーベントロートよ! 近衛騎士なら、私を思い出して!」『……!』


 亡霊の動きが、初めてピタリと止まった。兜の奥の燐光が、目の前に立つ、衰弱した銀髪の少女を、ようやく認識する。


『……ひ、め……さま……?』


 亡霊の声に、戸惑いが混じる。だが、その戸惑いは、すぐに「怒り」に変わった。


『……おのれ、賊が……! 姫様の亡骸なきがらまで、もてあそぶか……!』


 亡霊は、ソフィアが「生きている」とは認識できなかった。彼女が衰弱している様を、アンデッドか何か……りゅうじによって操られている、不浄な存在だと誤解したのだ。


 青白い燐光が、怒りで赤黒く燃え上がる。


『――許さん!』


 狙いが、ソフィアへと変わった。大剣が、ソフィアの頭上めがけて振り下ろされる。


「……ソフィア!」


 竜二は、ソフィアを突き飛ばす。そして、自分が盾になるように、その大剣の前に立った。魔力を斬られる、あの激痛が再び走る。


「……がっ……!」

「竜二っ!!」


 竜二は、痛みで膝をつきそうになるのを、槍を杖代わりにして、必死に堪えた。


(……物理がダメなら……)


「……クソ……だが、魔力が無え!」


 竜二が、枯渇した魔力回路に喘いだ、その時。


「――竜二!」


 ソフィアが、彼の背中に駆け寄った。彼女は、自分が触れれば「呪い」が竜二を襲うことを理解していた。だが、彼女は、竜二を信じた。


「私の魔力を……! あのネズミで、少しだけ回復した……! 使って!」


 ソフィアは、震える両手で、竜二の背中に、あえて強く触れた。


「――ッ!?」


 呪い「活力強奪ドレイン・タッチ」が即座に発動し、竜二の残り少ない生命力を吸い上げようとする。 だが、竜二はその奔流を、概念コトバで捻じ曲げた。


(対象、「呪い」! 概念コトバ、「肩代わり」……いや、『逆流』だ!!)


 腐鼠グレイブ・ラットの魔石によってソフィアが蓄えた、わずかな魔力。それが、呪いの経路を逆走し、竜二の枯渇した魔力回路へと、凄まじい勢いで流れ込んできた。


「ぐ……おおおっ!」


 魔力が、急速にチャージされる。亡霊が、トドメを刺そうと、再び大剣を振りかぶる。


「……もう、お前の理屈ルールは、終わりだ」


 竜二は、ソフィアから供給された魔力を、全て一つの概念コトバに込めた。


(対象、「あの亡霊」!)

概念コトバ、「――実体化しろ」!!)


 これこそが、言霊付与ワード・エンチャントの真骨頂。世界の法則を「上書き」する力だった。

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