第2話 奈落の姫

 万魔の坩堝パンデモニウムの暗闇に向かって、竜二の体は真っ逆さまに落ちていく。風切り音が耳元で轟音となり、死が急速に迫ってくる。


(面倒くせえ……)


 脳裏をよぎったのは、自分を陥れたクラスメイトたちへの怒りよりも、こんな死に方をしなければならないという「面倒くささ」だった。

 だが、ここで大人しく死んでやるほど、竜二の性根は素直ではない。


(対象、「自分の体」。概念コトバ、「……フワリ、と」)


 祈りではない。ヤンキーがケンカで相手を威圧するような、強い「意志」だった。

 直後、体内の何か……おそらく「魔力」と呼ばれるものが、ごっそりと根こそぎ抜けていく感覚に襲われた。

 猛烈な虚脱感が全身を包む。しかし、それと引き換えに、死に向かって突き進んでいた落下速度が、まるで分厚いクッションに受け止められたかのように、急速に緩んだ。


「ぐっ……お、ぉぉ……!」


 完全な静止ではない。だが、これならケンカの受け身でどうにかなるレベルだ。

 竜二は即座に体を丸め、迫り来る地面に備えた。


 ドンッ! という鈍い衝撃と共に、背中と尻に激痛が走る。


「……いっ、て……クソが……」


 息が詰まるほどの痛みだったが、骨が折れた様子はない。全身打撲、といったところだろう。

 ヤンキーとして修羅場をくぐってきた経験が、土壇場で彼を生かした。  竜二はゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す。


(……マジで何も見えねえ)


 光が一切ない、完全な暗闇。上を見上げても、自分が落ちてきた縦穴の入り口は、豆粒ほどの光すら見えなかった。とんでもない深さまで落ちてきたらしい。

 ジメジメとした空気と、遠くから響く、聞いたこともない獣の咆哮。ここが「墓場」と呼ばれる「グレイヴ大迷宮」の最深部。絶望するには十分すぎる状況だ。


「……はぁ。で、どうすんだよ、これ」


 竜二はため息を一つ吐くと、制服のポケットに手を突っ込もうとして……そこが破れていることに気づいた。落下時に擦り切れたらしい。


「チッ。お気に入りの特攻服コレ……弁償させねえと気が済まねえな、あのクソ勇者ども」


 彼は不思議と、心が折れていなかった。

 恐怖よりも、「面倒ごとを押し付けられた」という苛立ちが勝っている。あの神官や兵士、そして赤松たちの顔を思い出す。


(あいつらのツラ拝むより、一人のほうがマシか)


 そう考えると、この奈落の底も悪くない気がしてくるから不思議だ。

 竜二は立ち上がり、痛む体をさすりながら、まずは状況把握のために歩き出すことにした。


(さっきの「フワリ」ってヤツ、もう一回できねえか? 今度は……光、とか)


 魔力が空っぽになった感覚がある。だが、試してみる価値はあった。

 竜二は足元に転がっていた小石を拾い上げ、意識を集中する。


 対象、「この石」。  概念コトバ、「光れ」。


 ……シーン。  何も起こらない。やはり魔力切れか。


「……だよな。面倒くせえ」


 諦めて石を手放そうとした、その時。ポゥ……と、手のひらの石が、蛍のように弱々しい光を放った。


「お、マジか」


 さっきの落下時とは比べ物にならないほど微弱な力だが、それでも暗闇の中では十分な光源だった。どうやら、魔力は少しずつ回復しているらしい。竜二はその「光る石」を懐中電灯代わりに、壁伝いにゆっくりと歩き始めた。


 


 どれくらい歩いただろうか。

 道はゴツゴツとした岩肌の洞窟だったが、明らかに人工的な意匠が目立ち始めた。崩れた柱、意味の分からない紋様が刻まれた壁。そして竜二は、その先に場違いなほど巨大で、荘厳な両開きの扉を発見した。


「……なんだ、コレ。城か?」


 万魔の坩堝パンデモニウムの底に、不釣り合いな建造物。警戒しながらも、竜二は他に選択肢もなく、その重い扉に手をかけ、ギギギ……と音を立てて押し開いた。


 中は、埃っぽいホールだった。天井は高く、シャンデリアのようなものが辛うじてぶら下がっている。そして、そのホールの奥、玉座のような豪華な椅子に、何かが座っているのが見えた。


「……誰か、いんのか?」


 竜二は「光る石」をそちらに向ける。

 光に照らされたのは、一人の少女だった。長く、手入れもされていないであろう銀色の髪。血の気のない白い肌。人形のように整った顔立ちだが、その瞳は深く淀み、生気が感じられない。  まるで、何百年も前からそこにいるかのような……。


「……だれ……?」


 少女が、かすれた声で呟いた。久しぶりに声帯を使ったかのように、ひどく弱々しい。


「あ? ……鬼塚 竜二だ。アンタこそ、こんなトコで何してんだ。コスプレか?」


 竜二が土足でホールに踏み込むと、少女はビクッと体を震わせた。


「……来ないで。触らないで……死ぬわ」

「あ?」

「私に触れた者は、みんな死ぬの。……『呪い』なのよ」


 少女は怯えたように、自らを抱きしめる。


活力強奪ドレイン・タッチ……私は、触れた相手の生命力を、吸い尽くしてしまう」


 その言葉に、竜二は足を止めた。

 呪い? 活力強奪? ファンタジーな単語がポンポン飛び出してくる。だが、目の前の少女が嘘を言っているようには見えなかった。彼女自身が、その「呪い」に心底怯え、絶望しているのが伝わってくる。


(……面倒な話だな)


 竜二はガシガシと頭を掻いた。普通なら、関わらないのが正解だろう。ハズレ職の自分がどうにかできる問題じゃない。しかし、彼はヤンキーだった。目の前で女が弱っている。しかも、明らかに「助けて」と言えない状況で震えている。


「……ふぅん。で、アンタはいいのかよ、それで」

「え……?」

「一生そこで、誰にも触れられねえで死ぬのを待つってか。上等な趣味だな」


 竜二は、少女の警告を無視して、ズカズカと玉座に近づいていく。


「だ、だめ! 来ないで! 死にたくないなら……!」


 少女が悲鳴を上げる。竜二は玉座の目の前で止まると、その怯えた顔をじっと見下ろした。


「……俺を頼ってきたヤツを見捨てる趣味はねえんだよ」

「た、頼んでない……!」

「そうかよ」


 竜二はニヤリと笑うと、躊躇ちゅうちょなく、少女の冷たい頬に、そっと手を伸ばした。


「――ッ!?」


 少女の目が見開かれる。

 触れた瞬間、竜二の体から、凄まじい勢いで「何か」が吸い上げられていくのが分かった。それは、さっき「フワリ」と自分に付与した時の魔力流出とは比べ物にならない、生命そのものが抜けていくような、強烈な感覚。


(……ヤベえ、かもな、コレ)


 意識が遠のきかける。だが、その瞬間。竜二のハズレ職、「付与術師」が、主の危機に反応し、勝手に起動した。


 対象、「少女の呪い」。  概念コトバ、「――肩代わり」。


 竜二の体が、淡い光を放つ。彼の手のひらを通じて、少女から流れ込もうとしていた「呪い」の奔流が、竜二の「付与術師」の力によって捻じ曲げられ、その性質を変えていく。

 生命力を奪うのではなく、竜二の持つ潜在的な魔力を対価として、「呪い」そのものを竜二が一時的に引き受ける形に。


「……あ……れ……?」


 竜二は、よろけそうになった体を踏みとどまる。まだ力は抜けていくが、さっきまでの「死」の感覚は薄れていた。


「なんで……なんで、死なないの……?」


 少女が、信じられないものを見る目で竜二を見つめている。彼女がこの奈落に封印されて数百年。初めてだった。自分に触れて、生きている人間は。


「知るかよ。……どうやら俺の職業コレ、アンタの呪いと相性がいいらしいぜ」


 竜二は、まだ少女の頬に手を当てたまま、ぶっきらぼうに言った。


「それより、アンタ、名前は? 俺は竜二。鬼塚 竜二だ」

「……ソフィア。……ソフィア・アーベントロート」

「ソフィア、な」


 竜二がその名を呼んだ時、ソフィアの赤い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、数百年ぶりに触れた、他人の温かさだった。

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