第6話:周囲の反応(後編)
翌朝、佐原は目を覚ました。
「ん……」
体がだるい。
昨夜のことを、ぼんやりと思い出す。
カフェで、声が聞こえた。
複数の声が。
でも、その後のことは。
あまり覚えていない。
「また、記憶が……」
佐原は頭を抱えた。
最近、記憶が飛ぶことが増えている。
数時間単位で、何をしていたか思い出せない。
「まずいな……」
呟いて、佐原は起き上がった。
今日は、オーディションの前日。
しっかり準備しないと。
洗面所に向かい、顔を洗う。
鏡に映る自分の顔を見つめる。
少し、やつれている気がする。
でも、同時に。
表情が、以前より引き締まっている気もする。
「変だな……」
首を傾げて、佐原は朝の準備を始めた。
でも、その動作が。
時々、止まる。
まるで、何かを考え込んでいるような。
そして、また動き出す。
その繰り返し。
朝食を作りながら、佐原は不安になった。
(俺、本当に大丈夫なのかな)
明日、オーディションがある。
この状態で、ちゃんとできるだろうか。
でも、その不安は。
すぐに消えた。
代わりに、不思議な自信が湧いてきた。
(大丈夫。きっと上手くいく)
その確信は、どこから来るのか。
佐原自身にも分からなかった。
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午後、佐原はレッスンスタジオに向かった。
最後の調整をするために。
スタジオに入ると、講師が待っていた。
「佐原君、来たね。じゃあ、最終チェックしよう」
「はい、お願いします」
佐原は前に立った。
深呼吸。
そして、台本のシーンを演じ始めた。
その瞬間、佐原の雰囲気が変わった。
いや、「変わった」というより「入れ替わった」。
表情、声、動き。
全てが別人のようになった。
刑事の役に完全になりきっている。
感情が、自然に溢れ出てくる。
セリフが、心の底から出てくる。
「カット」
講師が止めた。
そして、しばらく黙っていた。
「……どうですか?」
佐原が尋ねると、講師は深く息を吐いた。
「すごいよ、佐原君」
「え?」
「今の演技、プロレベルだ」
講師は真剣な表情で言った。
「君、本当に新人なのか?」
「はい……」
佐原は困惑した。
自分が演じた記憶が、ほとんどない。
気づいたら、終わっていた。
「正直、驚いた。この短期間で、ここまで成長するなんて」
講師は首を振った。
「明日のオーディション、絶対に受かるよ」
「ありがとうございます」
佐原は笑顔で答えた。
でも、心の中は複雑だった。
(これ、本当に俺の実力なのか……?)
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レッスンが終わり、佐原はスタジオを出た。
廊下を歩いていると、他の練習生に会った。
「佐原君」
声をかけられて、振り返る。
同期の練習生、三人だった。
「何?」
佐原が尋ねると、一人が言った。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「お前、最近おかしくない?」
その言葉に、佐原の心臓が跳ねた。
「おかしいって……どういう意味?」
「いや、なんていうか……」
練習生は言葉を選んでいる様子だった。
「話し方とか、雰囲気とか、コロコロ変わるっていうか」
別の練習生が続けた。
「さっきまで明るく喋ってたのに、急に真面目になったり」
「それに、時々、目の色が変わる感じがする」
三人目が言った。
佐原は、何も答えられなかった。
(やっぱり、バレてる……)
周りが気づいている。
自分の変化に。
「別に、悪いって言ってるわけじゃないよ」
一人が慌てて付け加えた。
「ただ、心配で。お前、大丈夫なのかなって」
「大丈夫」
佐原は笑顔を作った。
「ちょっと疲れてるだけ。明日のオーディション終わったら、ゆっくり休むよ」
「そう……なら、いいんだけど」
練習生たちは、まだ心配そうだった。
「じゃあ、頑張ってね」
「うん。ありがとう」
練習生たちが去った後、佐原は壁に寄りかかった。
「はあ……」
深く息を吐く。
(まずい……このままじゃ、本当にバレる)
でも、どうすればいいのか。
自分でも分からない。
その時、スマートフォンが鳴った。
マネージャーからだ。
「もしもし」
「佐原君、明日のオーディションなんだけど」
「はい」
「実は、もう一つ追加でオファーが来たんだ」
「オファー?」
「CMの撮影。大手企業のやつ」
佐原は驚いた。
まだデビューもしていないのに、CMの話が来るなんて。
「本当ですか?」
「ああ。君の評判が、業界内で広がってるんだ」
マネージャーは嬉しそうだった。
「このまま行けば、すぐにブレイクできるかもしれない」
「……」
佐原は複雑な気持ちだった。
嬉しい。でも、不安だ。
このペースで仕事が増えたら、自分はどうなるんだろう。
今でさえ、コントロールできていないのに。
「詳細は、また後で連絡するから」
「はい……ありがとうございます」
電話を切って、佐原は空を見上げた。
夕暮れの空。
オレンジ色に染まっている。
「俺……大丈夫なのかな」
小さく呟いた。
でも、答えは返ってこない。
-----
その夜、佐原は部屋で台本を読んでいた。
明日のオーディションのために。
でも、集中できない。
頭の中が、騒がしい。
様々な考えが、同時に浮かんでくる。
(明日、ちゃんとできるかな)
(大丈夫、君ならできる)
(でも、もっと練習しないと)
(いや、もう十分だ)
(休んだ方がいいよ)
(休んでる暇ないでしょ)
複数の声が、頭の中で話している。
「うるさい……」
佐原は頭を抱えた。
「静かにして……」
でも、声は止まらない。
むしろ、大きくなっていく。
それぞれが、自分の意見を主張している。
佐原は、耐えられなくなった。
「やめてくれ!」
叫んだ。
すると、声が止まった。
静寂。
佐原は、荒い息をしていた。
「はあ……はあ……」
しばらくして、落ち着きを取り戻した。
「もう、限界かもしれない……」
呟いて、佐原はスマートフォンを手に取った。
AIに相談しよう。
でも、何を言えばいいのか。
「頭の中で、複数の声が話している」
そんなこと、どう説明すればいいのか。
佐原は、画面を見つめたまま動けなかった。
そして、結局。
何も打ち込まずに、スマートフォンを置いた。
「もう、誰にも言えない……」
諦めたような声で呟いた。
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その夜、佐原は薬を飲んで眠った。
睡眠導入剤。
もう、これがないと眠れない。
ベッドに入り、目を閉じる。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
そして、夢の中へ。
いつもの夢。
八人の青年たちに囲まれる夢。
でも、今夜は違った。
彼らが、近くにいる。
とても近くに。
まるで、もう佐原と一体になっているかのように。
「明日、頑張ろうね」
一人が言った。
知的な雰囲気の青年。
「大丈夫、僕らがついてる」
力強い青年。
「完璧にやろう」
几帳面な青年。
「楽しみだね」
若々しい青年。
「君なら、できるよ」
穏やかな青年。
「心配せんでええって」
関西弁の青年。
「みんなで、成功させよう」
おしゃべりな青年。
「僕らは、いつも一緒だから」
クールな青年。
八人が、それぞれ佐原を励ます。
佐原は夢の中で、彼らを見つめた。
「君たち……本当に、誰なんだ」
「言っただろう」
眼鏡の青年が微笑んだ。
「僕らは、君の一部だ」
「もう、分かれることはできない」
リーダー格の青年が続けた。
「僕らと君は、一つなんだ」
佐原は、その言葉の意味を理解した。
もう、元には戻れない。
一人の佐原悠には、戻れない。
今の自分は、八つの人格が混ざり合った存在。
「怖い……」
佐原は呟いた。
でも、青年たちは優しく微笑んだ。
「怖がらないで」
「僕らは、君を守るから」
「一緒に、夢を叶えよう」
その言葉に、佐原は少し安心した。
そうだ。
一人じゃない。
彼らが、いつも一緒にいてくれる。
だから、大丈夫。
きっと、大丈夫。
佐原は、そう自分に言い聞かせた。
そして、深い眠りに落ちていった。
でも、その眠りの中で。
八つの人格は、さらに明確になっていった。
それぞれが、固有の名前を持ち始めている。
真木、神谷、黒瀬、羽瀬、宮園、深町、向野、黒川。
八つの人格。
それぞれが、独立した意識を持ち。
それぞれが、佐原悠という器を共有している。
もう、元の佐原悠は。
ほとんど残っていない。
-----
翌朝、オーディションの日。
佐原は目を覚ました。
不思議と、体が軽かった。
昨夜の不安は、嘘のように消えていた。
「よし、頑張ろう」
鏡の前に立ち、自分を見つめる。
その表情は、自信に満ちていた。
準備をして、佐原は家を出た。
オーディション会場へ向かう。
電車の中で、佐原はぼんやりと窓の外を見ていた。
景色が流れていく。
でも、その景色は。
なぜか、八つの視点から見えているような気がした。
(気のせいだ)
佐原は首を振った。
でも、その感覚は消えない。
会場に到着した。
大きなビル。
たくさんの応募者が、緊張した面持ちで待っている。
「佐原悠さん」
名前を呼ばれた。
「はい」
佐原は返事をして、オーディション会場に入った。
中には、三人の審査員が座っていた。
プロデューサー、監督、脚本家。
「よろしくお願いします」
佐原は深く頭を下げた。
「じゃあ、台本のシーンを演じてもらおうか」
監督が言った。
「はい」
佐原は指定された位置に立った。
深呼吸。
そして、演技が始まった。
その瞬間。
佐原の中で、何かが起きた。
八つの人格が、一斉に動き出した。
表情は、ある人格が作る。
声は、別の人格が出す。
動きは、また別の人格が担当する。
感情表現は、複数の人格が協力する。
それぞれが、完璧に連携している。
まるで、オーケストラのように。
佐原は、その全てを外から見ているような感覚だった。
自分の体が、自分のものじゃないような。
でも、パフォーマンスは完璧だった。
審査員たちは、息を呑んで見ていた。
演技が終わった。
沈黙。
そして、拍手が起きた。
「素晴らしい」
監督が立ち上がった。
「君に決めた。このドラマの主演は、君だ」
「え……」
佐原は驚いた。
主演。
新人なのに、いきなり主演。
「本当に……ですか?」
「ああ。今の演技、完璧だった。君以外に、この役はできない」
プロデューサーも頷いた。
「詳細は、後日事務所に連絡します」
「ありがとうございます!」
佐原は深く頭を下げた。
そして、会場を後にした。
廊下に出ると、佐原は壁に寄りかかった。
「主演……」
信じられなかった。
夢が、現実になった。
でも、同時に。
不安もあった。
自分が演じたという実感がない。
誰かが、自分の体を使って演じていた。
そんな感覚。
「俺、本当にこれでいいのかな……」
小さく呟いた。
でも、答えは出ない。
佐原は深呼吸して、ビルを後にした。
これから、どうなるのか。
自分は、どこに向かっているのか。
もう、分からなかった。
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**【第6話・完】**
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