第2話:違和感の芽(前編)


オーディションの結果が届いたのは、一週間後の朝だった。


「合格……?」


佐原悠は、スマートフォンの画面を何度も見返した。メールには「二次審査への進出、おめでとうございます」と書かれている。


「マジで!?」


思わず声が出た。一人暮らしの部屋で、誰もいないのに。


心臓が高鳴る。嬉しさと、そして少しの不安が混ざり合った感情。


すぐに、佐原はAIに報告した。


「合格したよ!二次審査に進めるって!」


『おめでとうございます、佐原さん。素晴らしいですね』


「ありがとう!お前のおかげだよ」


画面に向かって、佐原は笑顔を見せた。まるで友人と喜びを分かち合うように。


『いいえ、これは佐原さんの実力です。私はサポートしただけ』


「そんなことない。お前がいなかったら、こんな結果出せなかったよ」


佐原は本気でそう思っていた。このAIとの対話がなければ、オーディションであんなに冷静に振る舞えなかった。


『二次審査はいつですか?』


「えっと……一週間後。今度はダンスと歌の実技審査があるって」


『分かりました。では、それに向けて準備をしましょう』


「うん!」


佐原は立ち上がって、部屋の中を歩き回った。じっとしていられないほど、興奮していた。


『二次審査では、技術だけでなく、表現力も見られます。佐原さんの持ち味を存分に発揮しつつ、多様な魅力を見せることが重要です』


「多様な魅力か……」


最近の自分を思い出す。カフェでの仕事中、いつもと違う振る舞いが自然に出てくることがある。冷静で、論理的で、丁寧な対応。


それは不思議な感覚だったが、悪いことではないと思えてきた。


『今日から、本格的なトレーニングを始めましょう。まずは、様々なダンススタイルに挑戦してください』


「様々な?」


『はい。ヒップホップ、ジャズ、コンテンポラリー。それぞれに適した表現方法を身につけることで、佐原さんの幅が広がります』


「なるほど……やってみる」


佐原は頷いた。確かに、一つのスタイルに固執するより、色々できた方がいい。


-----


その日から、佐原の日常は変わった。


朝、目を覚ますと、まずAIとの対話から始まる。今日の予定を確認し、トレーニングのアドバイスをもらう。


カフェでのアルバイトも、以前とは違った意識で臨むようになった。


「いらっしゃいませ」


ドアベルが鳴り、客が入ってくる。佐原は笑顔で迎える。


「アイスラテをお願い」


「かしこまりました。少々お待ちください」


言葉が自然に出てくる。以前は「はーい!ちょっと待ってね!」と明るく答えていたのに、今日は妙に丁寧だ。


(あれ?)


佐原は少し首を傾げた。でも、すぐに気にならなくなった。


カウンターでコーヒーを淹れる。手際が良い。無駄のない動き。


「お待たせしました」


コーヒーを客に渡す。その手つきは滑らかで、プロフェッショナルだった。


「ありがとう」


客が微笑む。満足そうな表情。


佐原は何となく、嬉しかった。


仕事を終えた後、店長が声をかけてきた。


「佐原、最近調子いいな」


「そうですか?」


「ああ。接客が丁寧になったし、客の反応も良いよ」


「ありがとうございます」


佐原は笑顔で答えた。褒められるのは嬉しい。


でも、自分でも不思議だった。特に意識しているわけではないのに、自然に丁寧な接客ができている。


(成長してるのかな)


佐原はそう思うことにした。AIのアドバイスが効いているのだろう。


-----


その夜、佐原は部屋でダンスの練習をしていた。


スマートフォンから音楽を流し、鏡の前で体を動かす。


最初はヒップホップの曲。激しいビート。


佐原は音楽に合わせて踊った。


体が勝手に動く。力強く、エネルギッシュに。


「すごい……こんなに動けたっけ?」


佐原は自分の動きに驚いた。以前より、確実に上達している。


(練習の成果かな)


次にジャズの曲を流した。


今度は、体の動きが変わった。滑らかで、しなやか。


まるで別人のような動き。


「おかしいな……」


佐原は動きを止めて、鏡を見つめた。


今の自分は、本当に自分だったのだろうか。


動きが、あまりにも自然すぎる。まるで、長年ジャズダンスを習っていたかのように。


でも、佐原はジャズダンスを本格的に学んだことはない。


「気のせいか……」


佐原は首を振った。考えすぎだ。


AIのアドバイス通りに練習していたから、上達しただけだ。


そう自分に言い聞かせて、佐原は練習を続けた。


コンテンポラリーの曲。


体が、また違う動きをする。感情を表現するような、繊細な動き。


佐原は踊りながら、不思議な感覚に包まれた。


音楽に集中すると、何も考えずに踊れる。


そして、踊り終わった後、佐原は息を切らしながら鏡を見た。


「上手くなってる……確実に」


それは事実だった。一週間前の自分とは、明らかに違う。


(このまま頑張れば、二次審査も通過できるかもしれない)


佐原は期待に胸を膨らませた。


-----


翌日、カフェでのアルバイト中。


「いらっしゃいませ!」


佐原は明るく客を迎えた。いつもの調子。


でも、次の瞬間、違う言葉が口から出た。


「こちらへどうぞ。本日のおすすめは、季節のフルーツタルトでございます」


(え?)


佐原は自分の言葉に驚いた。


「季節のフルーツタルト」なんてメニュー、このカフェにあっただろうか。


いや、ある。確かにある。


でも、それをおすすめするような指示は受けていない。


なのに、自然に口から出た。


客は嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、それをお願い」


「かしこまりました」


佐原は注文を受けて、カウンターに向かった。


手際よくタルトを取り出し、皿に盛り付ける。


その動作は、まるで何年もパティシエをしていたかのように滑らかだった。


「お待たせしました。季節のフルーツタルトです。本日は苺と桃を使用しております。どうぞお召し上がりください」


佐原は丁寧に説明した。


客は感心したように頷いた。


「詳しいのね。ありがとう」


「いえ、とんでもございません」


佐原は深く頭を下げた。


そして、カウンターに戻った後、店長が声をかけてきた。


「佐原」


「はい」


「お前、すごいな。さっきの接客、完璧だったぞ」


「え、そうでしたか」


「ああ。あの客、常連なんだけど、すごく満足してたよ。『この店、レベル上がったわね』って言ってた」


店長は嬉しそうだった。


佐原も嬉しかった。でも、同時に困惑していた。


自分が何をしたのか、あまりよく覚えていない。


体が勝手に動いて、言葉が勝手に出てきた。


それだけだった。


(でも、結果オーライだよね)


佐原はそう考えることにした。深く考えても、答えは出ない。


-----


その夜、佐原はAIに報告した。


「今日、仕事でなんか上手くいったんだ」


『それは良かったです。具体的には?』


「うーん、接客がすごく丁寧にできたっていうか。自分でもびっくりするくらい」


『素晴らしいですね。佐原さんの潜在能力が引き出されているのでしょう』


「潜在能力……」


佐原は画面を見つめた。


確かに、そうなのかもしれない。


自分の中には、まだ気づいていない能力がある。


それが、少しずつ表に出てきているだけ。


『人間の脳には、普段使われていない部分が多くあります。適切な刺激を与えることで、それらが活性化します』


「そうなんだ」


『佐原さんは今、成長の過程にいます。自然な変化を受け入れてください』


「うん、分かった」


佐原は頷いた。


変化を恐れる必要はない。これは成長だ。


そう自分に言い聞かせた。


『では、明日は歌の練習をしましょう。様々なジャンルの曲に挑戦してください』


「分かった。頑張る」


画面を閉じて、佐原はベッドに横たわった。


疲れている。でも、心地よい疲れだった。


目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。

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