6節9話 英雄アルフォンス

「ふふ、〝やった〟と思った?」


 そう〈インフィルトレーター〉が嗤う。

 気づけば緑色の淡い光に包まれて、切り離されたはずの上半身に、もうすでに下半身から触手が伸びて接続し始めていた。


「なっ……!」


「コアまで狙わないといけないの、イラついて忘れてたでしょ?」


 そしてあっという間に、切り傷すらなく元通りになる。


「あるいはムラついて、それどころじゃなかった? 今はこぉ~こ♪」


 と悪戯っぽく微笑んで、下腹部のあたりを両手で擦った。まるでからかうように。


「てめぇ!」


 いくら見た目が女性でも赤の他人、しかも魔獣相手に発情なんてしない。明らかな挑発に冷静を欠く。

 そうして今度こそはコアごと斬ってやろうと、剣を下腹部に突き刺した。

 しかし――――。


「ハッ、ズレー! 今はここだよん」


 そう言って、人でいう心臓付近の位置、左胸を左手で揉み上げた。


「ごめんね、動かしちゃった♪」


「くっ……!」


 アルフォンスは刃を引き抜こうと力を入れる。しかしどれだけ込めても、微動だにしない。ドリス博士の強化魔道の効果が、まだ継続しているにもかかわらずだ。


「なっ!?」


「まだ抜いちゃダーメ。ヴァルくんならもーっと、連戦できたよ? もう朝までクタクタになるくらい――」


 すると言い切るまでに、剣を諦めた剣士の拳が左胸に向かって飛ぶ。

 ぐにゅり、と手が胸の中に〝めり込んだ〟。まるでヘドロの中に沈むように。


「くそっ、抜けない……!」


「学習しないな~。今さっき剣抜けなくなってたじゃん! あ、もしかして、胸触りたかったの? あははっ、そーゆーとこ、ヴァルくんと一緒だね~!」


直後、触手が右足首に巻き付いていることに気づいて、アルフォンスは焦りを募らせる。


「くっ……!」


「アルフォンスさん!」


 心配したエステルの声が届くが、返事する余裕はなかった。次々と彼の四肢を触手が掴んでいく。振り払おうと暴れるも、ドリス博士の強化魔道がかかった状態ですらすべて無駄に終わった。


「ふふ……」


 〈インフィルトレーター〉が余裕に満ちた笑みを浮かべた。

 同時に人間の形をしていた〈インフィルトレーター〉の下半身が、突如白半透明の人ならざる肉質へと変異し、リィナの臀部や両脚といった各パーツがドロリと液状に一緒くたに混ざって、本来の状態に戻っていく。それからはまるで、鳥かごパニエを穿いたドレススカートのようなシルエットへと膨張した。

 一体何をしようとしているのか。

 捕縛の〝その後〟を知るヴァルカは、一瞬で悟った。

 捕食するつもりなのだと。


「〈ウインドカッター〉!!」


 ドリス博士が慣れない攻撃魔道を放った。風の刃はアルフォンスを繋ぐ触手を、次々と切断したが、すぐにも再生されてしまう。どさくさ紛れに本体に向けるも、攻撃魔道の魔力コントロールが苦手ゆえに精度・威力不足。少し凹ませる程度で、すぐに自己回復してしまった。


「ちっ、ワシの攻撃魔道じゃダメじゃ!」


(〈オーバードライブ〉状態なら、触れた他人を転移させて助けることも難しくないが……)


 今それができない。しかしここで彼を助け出せるのは、消去法で自分しかいない。


「私がいく。助け出す程度なら……」


 そう言って飛び出そうとしたヴァルカを、ドリス博士が黒マントを掴んで制止した。


「ダメじゃ! お主の〈ファイヤーボール〉と、水分の多いやつの肉体は相性最悪……! 〈オーバードライブ〉なしじゃ、近づいたところで二次被害を招くだけじゃ!」


「だが……!」


 反論しようとすると、そこにアルフォンスのほうからこちらを呼ぶ声。


「ヴァルカさん、来ちゃダメだ!」


 それは助けを求めるものではなかった。


「あんたは最後の戦力だ……! 俺のためにうかつなことはしないでくれ!」


 〝最後の戦力〟。どう考えても、自分を換算していない言葉。


「でも私に、そいつは――」


 〝殺せない〟。そういった敗北宣言を、彼は言い切る前に叫んでかき消した。


「思い出せ!! あんたは何のために、ここまで来たんだ!!」


「――!」


彼は触手に引き込まれ、少しずつ〈インフィルトレーター〉の水槽に取り込まれていく。


「いただきまぁす!」


 それを彼は可能な限り身を捩って抗い、時間稼ぎをした。


「過去に何があったのかは知らねえ! でも戦場にいるってことは、相応の想いがあったんだろ! 本当は逃げて戦わなくても、よかったはずだ! なのにあんたはそうしなかった!!」


 下半身が飲まれていくさなかも、必死に訴える。アルフォンスまで巻き込むことを恐れて、ドリス博士も下手にもう魔道を撃てない。しかしこのままでは捕食されてしまうジレンマに、苦々しく表情を歪めていた。


「前にあんたの戦いを見て、思ったんだ! 〝英雄〟って形にばっかこだわっても、それは本物じゃねぇって!」


 気づけばもう上半身も胸元まで取り込まれており、しかしそれでもなお彼の顔には、一切恐怖が浮かんでいなかった。それよりもひとつでも言葉を託さんと、声を張り上げる。


「だからあんたも、目先のモンばっかに……ハリボテなんかに騙されるな! 今見るべきものは、今まで〝背負ってきた〟みんなと――――あんた自身の本当の想いだ!!」


(本当の想い……)


 そして最期に、こちらに向けた少年剣士の顔は、余裕の笑みに満ちていた。


「ぶつけてやれ! 今まで溜め込んできたモンを――理不尽を! 全部そっくりそのまま叩き返してやれ!!」


それはかつてのリィナの最期を――勇気を失わせまいとする〝強さ〟を思い出させる。昔彼女と読んだおとぎ話の英雄も、文面から浮かんだ想像の中で同じ表情をしていた。


「頼んだぜ、世界の英雄」


「アルフォォオオオオオオオオオオオオオオオオンス!!」


 ヴァルカのその声がすでに音として届こうとする頃には、抵抗も虚しく彼の全身は飲み込まれてしまっていた。

 そして――――。

 ブク――ブクブクブク――――――――。

 あっという間に、〝助けの間に合わない〟状態にされてしまうのだった。

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