6節8話 VSインフィルトレーター
「え……? リィ……ナ……?」
不覚――――。
思わず解放への詠唱をやめてしまう。
〈インフィルトレーター〉が、メーア先生からリィナ・レミーナに〝変身〟したのだ。
頭ではわかっていた。やつは彼女も捕食したのだ。メーア先生に変身できるのなら、リィナにも変身ができるという可能性を、しっかり認識していたつもりである。あのときリィナは確かに死んだ。だから今目の前で変身能力を持った〈インフィルトレーター〉がいくら見た目を真似ようとも、それは本人ではないことくらいわかっていた。
なのに。
なのに、
ヴァルカは一瞬だけ、
躊躇ってしまった。
「……!」
気付けば〈インフィルトレーター〉の触手が一本、やつを掴もうと伸ばした銀色の左腕に螺旋状に絡みついていた。
(しまっ……!)
致命的な不覚。
今の一瞬の思考停止が、回避の〈シフト〉の発動もワンテンポ遅らせてしまったのだ。
ガシャン――――!
締め付ける触手が、圧力だけで〈スペムノンハベット〉を握り潰した。
「くっ……!」
「その腕、何か秘策を詰め込んでたみたいだね」
〈インフィルトレーター〉は、リィナの声と顔と体で〝リィナ〟を再現する。
「あいつの声で喋るな……!!」
頭に血が上る。感情が思考より前に立とうと挟まってくる。
「ヴァルカ!!」
しかしそこで、背後から飛んできたドリス博士のこちらを案ずる声。それによって、はっと我に返る機会を得たヴァルカは、ようやく落ち着いた思考で、
「〈シフト〉」
と、丁寧に唱えた。その身は〈インフィルトレーター〉から距離を空けて、追撃せんと追ってくる触手群をかわしながら、連続転移でドリス博士達のいる後方に戻る。
それを確認して、すかさずヴァルカのフォローにアルフォンスが飛び出した。
「兄貴を返してもらうぞ!! あんな壁に埋め込みやがって!!」
「もう、そんな怖い顔しないでよ~!」
まるで旧知の仲と他愛ないやり取りでもするかのような態度で、〈インフィルトレーター〉は十本の触手の殺意を、今度は素早く飛び込んでくる剣士に差し向けた。
一方でヴァルカは、地面に両膝と右手を突いている。
「くっ……すまない」
ドリス博士とエステルのもとへ戻ったヴァルカは、自己嫌悪に苛まれていた。
「冷静を欠いて向かっていった挙げ句、ここぞというところで躊躇ってしまった……! 何より……」
破壊され、失ってしまった切り札の銀腕に、悔しそうに目を向ける。
「ヴァルカさん……」
エステルは何とも返せなかった。何かを言おうとしても気遣ってか、言葉が出てこない。
「お主があれだけ感情的になるとはの……」
ヴァルカはあまり他人に詳しく過去を話さない。ドリス博士には魔獣への憎しみを伝えてはいたが、その詳細まで語ったことはなかった。彼女も気遣ってか何も聞かなかった。
「……今変身している金髪の女は、私の恋人……だった人だ」
「じゃが、あれは……」
「わかってる。頭ではわかってるんだ……。でも心が……心が、躊躇ってしまう。傷つけたくないと、身体が逆らってしまう」
エステルが自分をこのパーティーに誘ったのは、〝意志の力〟だと言っていた。しかし実際に仇を目の前にしたらこの体たらく。なんと情けないことだろうか。
「ヴァルカ……」
ドリス博士もこれ以上は責めなかった。それどころか哀れむように、目を伏せる。
一方その頃、アルフォンスはドリス博士から受けた強化魔道の効果も相まって、〈インフィルトレーター〉のすべての攻撃に見事に反応しながら、徐々にその距離を詰めていた。身を傾け、跳び、しゃがみ、スライディング。避けきれないものは剣で薙ぎ払い、敵のもとへと接近して行く。
「兄貴を……! 捕まった人達を解放しろ!」
「解放……? ここから出すと死ぬけど、いいの?」
「なに……!」
「ここにいる人達、下半身と両腕前腕部を切り落として、ダンジョンと〝繋げて〟いるの。繋がることで生きてるんだから、引き剥がせば当然死ぬでしょ。まあ、そもそもすでに、脳の機能は止めたから――死んでるも同然だけどね」
家族生存の希望を断ち切られたアルフォンスの絶望は、すぐさま怒りと憎しみと殺意へと変換された。
「てめぇだけは許さねえ!! みんなをよくも!!」
躱した触手はすぐにも軌道を変え、薙ぎ払わった触手も即座に再生して、獲物を再度追いかける。しかしアルフォンスの反応速度には追いつけない。
「ねぇ、貴方もあの壁に加わってみない? 痩せ細ってるけど、みんな見た目はずっと同じでしょ! この子とひとつになれば、死ぬまで若い姿を維持してあげる!」
「誰がっ……!」
アルフォンスはついに懐に飛び込んだ。そして腰を低くして下段の構えで剣を構える。
「……!」
〈インフィルトレーター〉の反応が追いついた頃には、すでに刃をその肉体にめり込ませ始めていた。その速度は〈ポーン〉のウインドカッターを遥かに超える。それを躱すには、鈍足な肉体は追いつかないだろう。
とっさに肉体の硬化を試みるも――――。
「うぉおおおおりゃぁああああああああ――――――――!!」
中途半端に硬化してゼリー状の質感となったリィナの形の塊を、アルフォンスの剣が腰付近で横一閃に斬り裂く。
それをしかと視界に認めた彼は、
「よし……!」
と手応えを確信して、口角を上げる。
――が、なぜか〝似たような顔〟を、〈インフィルトレーター〉もしていた。
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