1節2話 ベルスラ暦619年、生きている転生人生
ベルスラ暦六一九年――。
窓のカーテンの隙間から差し込む朝の日差し。優しい温もりに当てられて、少年は目を覚ました。
「〝前〟の夢か……」
夢で見たのは、まだ地球という星の日本という国、東京という街でサラリーマンをしていた頃の自分。ミニバンに轢かれて、呆気なく最期を迎えたうだつの上がらないモブ男。
少年は上体を起こし、別の自分となった己の手のひらを見つめる。
(もう〝こっち〟に〝来て〟、十五年か)
手のひらから辿るように自身の肉体に視線を這わす。一糸まとわぬ男体。くたびれた中年の身体ではなく、若々しい肉体だ。うなじの見えるすっきりした黒のフサフサな短髪、肌もツヤツヤで程よく筋肉もついており、きっと〝サラリーマン時代〟の自分がどれだけ求めても、もう手に入らないものだろう。
「ん……」
そのとき自分のものではない声が横から聞こえた。視線をそちらに向けると、自分と同じように一糸まとわぬ女体が、共同で使っていた大きめの肌掛けの下に眠っている。
「あ、おはよう、ヴァルくぅん……」
隣で寝ていた同い年の少女が未だ半ば夢現といったぽやっとした顔で、少年の名を呼んで挨拶をする。毎朝必ず最初に聞く言葉だ。
ヴァルカ・グラン。それがこの世界で授かった名前。地球にいた頃とは一文字もかすらない名前だが、さすがに十五年も付き合うとこちらが自分のものといった感覚になる。
「おはよ、リィナ。そろそろ準備しないと、学校に間に合わなくなるぞ」
ヴァルカは昨夜も激しく求めあった、愛しい恋人の名を呼んだ。
「えぇ~……もうちょっとゴロゴロしよぉ~よぉ~」
リィナ・レミーナは甘えるように、ヴァルカの腕にすがりつく。布切れも何もない直接の体温と十代の柔らかい肌が触れて、このままでは我慢できなくなりそうだった。
「だーめ。またふたり揃って遅刻なんてハメになるぜ?」
すがりつく腕を引っこ抜き、厳しめに接する。これも毎朝のやり取りだ。
「ぶー。ヴァルくんのいじわる。孤児院にいるときから、そーだったよね。部屋の片付けしなさいとか、ピーマンは残しちゃダメとか、勉強をサボるなとかさ」
さすがに目が覚めたようで、意識はっきりとリィナは頬を膨らませてこちらを睨んだ。
「いじわるしてるんじゃなくて、そうだな……教育ってとこか」
「むー。今さらヴァルくんに育てられるほど、幼くないもん……あっ、でも〝こっち〟は現在進行形でそうかも?」
ニヤニヤとイタズラっぽく笑みを浮かべて、たわわに育った胸部のふたやまの脂肪を手で持ち上げた。確かに恋人になる前よりも、バストサイズは格段に上がったように思う。でもそれは成長期だからというのが理由だろう。
「お前なぁ……朝から下ネタはやめなさい」
「はーい! ……あっ、でも下半身は正直じゃん♪ 朝からイッポンいっとく?」
「これは生理現象だ!」
――なんてやり取りをしていたら、慌てて家を出ないと間に合わない時間に。ふたりは朝食のトーストを味わう間もなく胃袋に放り込むと、学園の制服を着て街の片隅に借りた賃貸アパートから揃って飛び出した。
王都リーリス。地球ではない世界〈レヴァンディア〉にあるフェリックス王国でもっとも大きく、かつ政治的にも経済的にも中心の都市だ。外壁に囲まれた都市であるゆえか、限定された空間に住民を収容するため、石畳の通りを挟むように四階前後の背の高い木枠の石造りの建物が並ぶ。そして振り返ればヴァルカとリィナが借りているアパート。その二階の角にある小さく狭い安価な部屋がふたりの住処だ。地球でいえばワンルーム程度の広さ。建物も設備も古くて、さすがに今すぐ壊れるわけではないが、窓の建付けは悪く、木の板を張っただけの床も抜けてしまわないか常に心配である。
しかし住めば都という言葉が前世にあったが、今はもう居心地はそこまで悪くない。
地球人が一般的に〝中世西洋ファンタジー〟と聞いて思い浮かぶ景色が、今ヴァルカの視界を埋め尽くしていた。
改めて思う――。
自分はアマチュア投稿小説で読んだような、異世界転生の当事者になったのだと。
(まさか本当にこんなことが起こるなんてな……)
あの日、車に轢かれた自分が気を失い――というより死んだあと、次に目を覚ましたらこの世界で赤ん坊になっていた。しかし不運にも、生まれてすぐに片田舎の孤児院の門前に捨てられ、その施設で育つことになる。孤児院の育ての親達はとても優しい人ばかりだったので、何の不満もなく育った。
リィナはそこで出会った同い年の戦災孤児。気づけば惹かれ合って、今では恋人同士となっている。お互いが〝初めて〟の相手だった。
そして十五歳になった今年の春、この王都にある〝学園〟の試験に受かったふたりは、孤児院から自立して王都に移り住んだ。もちろん、借りたアパートで同棲中。この世界では十五歳で成人なので結婚していてもおかしくないが、今はまだ学生ということもあってしていない。特に明確にいつというのは決めていないが、こういうのは卒業後でいいだろう。今の時点でもう十分幸せなせいか、互いに先のことなんて何も考えていなかった。
(最高の異世界転生になった――)
そう思える毎日を今は過ごせている。
「ちょっと! 何ボーッとしてるの! このままじゃ、チコクチコク!」
道の先をゆくリィナが、立ち止まるヴァルカに振り返った。ポニーテールに結ってもなお、臀部まで届く長い金髪が美しく揺れる。
「おっと、そうだったぜ」
街を眺めて感慨にふけっている場合ではない。
(一秒でも多く、この〝生きている〟人生を堪能しなければ)
ヴァルカはリィナに追いつくと、右手で彼女の左手を拾った。
「んじゃ、ちょっと走るか!」
「うん!」
若きカップルは、手を繋いで朝の街を駆け出した。
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