第8話 脈アリの確かめ方
十二月二十三日。一ヶ月前くらいから、一気に寒くなった気がする。白い息を吐きながら、私は教室で呆けていた。すぐに美術室に行こうと思ったのだが、明日から冬休みが始まると考えるとどうも気が抜けてしまっていた。終業式ということもあり、学校自体は午前中で終わり。教室にはまだまだたくさんの同級生たちが残っている。自然と、真ん中に群がっている人たちが目に入る。男女問わず、いろんな人が彼女の周りに集まっている。
「桜、これからカラオケ行こうよ」
「えー、前スイパラ行きたいって言ったじゃん。ほら、冬休みはいる前だし」
「ラウンドワンいかねー? 寒いし身体動かすのもいいでしょ」
「ニンニクヤサイアブラ全マシで行こう」
一人おかしな人も混じっているようだが、まぁ、そういういろんな人から好かれるのが桜だからあれもいつもの光景だ。中心の方には、前に私とちょっぴり喧嘩した女生徒が立っていた。相変わらず甲高い声で、早口で、聞いているだけで疲れてくる。桜だったら、そんなことないのに。母音だってはっきりしてて、聞き取りやすくて……ん?
「またかぁ」
最近、こういうことが増えてきたような気がする。何かあると桜と誰かを比べたりしている。人と人の優劣をつけたいとか、そういう気持ちは一切ない。なんというか、ふとした時に「桜だったら」という考えが出てきてしまう。まぁ、仲が良くなったからかな。
ふと思い出されるのは二ヶ月ほど前のことだ。中間試験直前のときに行った、海羽先輩とのお泊り勉強会。今思い出しても地獄そのものといって差し支えない学習密度だったけど、あの時の地獄のお陰で今年の私は難なくサンタのプレゼントが貰えそうだった。いい子にはそれなりのご褒美が欲しいものである。例えば、良い画材とか。美味しいご飯とか。画材だと特に嬉しい。消耗品なのに、馬鹿にならない費用がかかる。今デジタルイラストが主流なのも納得できる。
人もまばらになってきたところで、ようやく私は席を立った。桜にモデルを頼むのも無理そうだったし、今日は一人で絵を描こうかな。海羽先輩がいそうだけど。
「……え、いないんだ」
美術室に着いたものの、そこに海羽先輩の姿はなかった。美術部員が他に二名ほど。休憩中なのか、談笑していた。そのうちの一人、橘が私に気づいて近づいてくる。
「あ、秋原!」
「橘、海羽先輩は?」
「佐伯先輩? 今日来てないよ。なんか忙しいみたい」
橘は、いわゆる体育会系の体力バカ。いつも感情がその動きに表れていて、人を相手しているというよりは大きな犬を相手しているような気分になる。もちろん美術部と運動部とで兼部している異色の変人。陽キャらしい突飛で陽気な行動をしたり、たまに奥手な陰キャっぽいところを見せてきたり。美術部内でもなかなか考えていることがわからない。何も考えていなさそうではあるけど。
「あの人が美術室に来ないこととかあるんだねぇ」
「ね! いつもいるのに」
「後ろのは……山岸か」
「俺じゃ悪いかよ」
ただでさえ少ない美術部の、さらに希少な男子生徒。海羽先輩目当てでやってくる男子が多いから、段々と男子の間口が狭まっていたけれどその厳しい審査を乗りこえて入った。クールな印象が強いが、好きなことなら楽しそうに話してくれる。
「珍しい組み合わせだね。何話してたの?」
「んーとね、恋愛相談。山岸、好きな人できたんだってー」
「は」「ちょ」
私の声と山岸の声が重なる。恐る恐るといった気持ちで山岸の方を見た。
「……ちょっと待て。誤解だ」
「いやまぁ……色々言いたいことはあるけどさ……」
「いや、言いたいことはわかる」
「人選ミスじゃない?」「人選ミスだよな?」
山岸と声が重なる。そりゃ、そうだ。恋愛相談の相手がこの体力バカで、下手すれば精神年齢が小学生に近似している橘に? となる。悪口とかじゃなくていっそ褒めている。そこが橘のいいところでもあるのだから。だからといっても適材適所だ。橘にこれは向いてない。
「でもっ……聞いてくれよ俺の言い分を。ほら、考えてみろ、美術部メンバーに誰がいたのか」
「それこそ海羽先輩とか……」
「茶化してくるだろあの人なら」
「あー……」
確かに、まともに取り合ってくれるかといわれれば唸るしかない。それに、海羽先輩は天性の美貌とカリスマ性でモテてきたような人だから、参考にはならない気がする。残りは……私だったり、橘だったり。他のメンバーもいるにはいるが、参考にできるかといわれると……
「消去法で男女両方と仲が良い橘になるってことかぁ……」
「な? な? 橘しかいないだろ?」
「私がいるじゃん」
「はぁ!?」
大きい声で仰天されるほど意外だったとは。しかし心外である私とて、九月からの桜との疑似恋人関係で成長しているのだ。
「これでも私、恋人がいますから」
疑似のだけど。
「ほ、本当か? 大丈夫か、それ。というか秋原が人を好きになるものなのか? 相手は秋原を許してるのか?」
「失礼すぎるでしょ。そもそも相手から告白されたようなもんだし」
あの打診をしてきたのって桜からだったし。まぁ、見方によっては告白されたと考えることもできる。
「マジか……じゃあ、秋原に相談するのが正解だったのか……?」
「私はー?」
「橘は橘のままでいてくれたらそれでいいから」
「じゃあ改めて相談だ秋原。不承不承も承知だが、相談できる人がいないんだ。頼む」
「ふふん、任せなさい」
そこから、私と山岸の恋愛相談は始まった。私はただ調子に乗っているだけと山岸は知らずに。先程橘と山岸が座っていた席に、私と山岸が座る。近くで橘は絵を描き始めている。本人の性格からは想像もつかないような繊細なタッチの絵柄を操るから、完成が楽しみである。
「……で、その意中の相手とはどんな状況なの?」
「どんな……って?」
「ほら、何度かデートには行っているとか。どのくらい話したことがあるだとか」
「一応、何度か二人で出かけてる……」
「告白したいの?」
「そりゃ、まぁ」
ふふふ、楽しい。人の恋バナを聞くのがこんなにも楽しいとは。抑える必要もなく抑えられるとは思うが、ニヤつかないように口角に力を入れる。俗っぽいとなじられてもいい。面白いものは面白いのだ。そもそも私が今自分に求めているのは人の心のようなものだ。それを理解するために演技を通して自分を知り、演技を通して他人を知ろうとした。つまりこれは山岸の話を聞いて恋愛について他人の心を理解しようとしていること。すなわちこれ絵の練習なり。
「いい? 恋愛っていうのは最初の三ヶ月が勝負なの」
「それは、なぜ……?」
「よく聞くでしょ、最初の三ヶ月を超えると、女子は一緒にいる男子のことを友達フォルダに入れちゃうの。だから、恋愛に発展しづらい」
「で、でも、友達から恋人になるなんておかしな話じゃないだろう」
「ちっちっち、ウブだね、山岸」
そんなことを言っている私もちゃんとした恋愛はしたことがないが。
「女子はね、一回友達フォルダにいれちゃうとその人と恋愛は難しいな~って感じちゃうの。だから、勝負をするなら早いうちじゃないと」
「じゃあ……」
調子に乗って話していると、山岸がわなわなと震えだした。まずい、流石に鼻が伸びすぎただろうか。ピノキオでも引くくらいの嘘を重ねてしまっていた。いや、アドバイスはちゃんとしたものだけど。それを裏付けているものは虚偽で塗り固められている。山岸の反応は、いかに──
「じゃあどうやって世の中のカップルは成立してるんだよ!? 他人からそのまま恋人同士ってことか!? んなわけねーだろ確実にカップルと赤の他人との間にグラデーションが存在する! ならそれが友達じゃないのか!? 友達になることは避けられないのに友達フォルダには入るな!? イカれてんのか!」
ふーっふーっ、と山岸が肩で息をする。鬼気迫る勢いに気圧されてしまったが、まぁ、概ね同意である。私も正直世の中のカップルがどのように結ばれているのか知らない。友達フォルダに入るな、と言う割には友達から遠い位置にあるナンパは敬遠される。昨今はしっかりと関係値を築いてからお互いに告白、という流れが多いように思う。……確かにどうやってそのあたりを上手くやっているのだろうか。私にはわからない。女子だし。そういうの気にする必要があまりないし。
「怒ると身体に毒だよー! 山岸」
「橘は引っ込んでろ」
「ひど! 私も良いこと教えてあげようと思ったのに!」
「……なんだ? とりあえず言ってみてくれ」
渋々と言った様子で山岸が聞くと、橘は快く答えた。
「そもそも恋愛巧者はそんなこと意識しなくてもなんとかなるし、友達フォルダに入っちゃうほど奥手なら恋愛向いてないし、友達フォルダに入れられてるのに告白するのは、相手に失礼ってもんだよ。カップルが成立してるのはそういう友達フォルダがどうこうって話の前に、もうお互いに意識し始めてるからその上で恋愛的な関係を構築するかどうかが逡巡する項目になってくるんだよ。山岸はそれ以前の問題の話をしている自覚をしよう。あとさっきの反応的にもう出会ってから三ヶ月以上経ってるよね。同じクラスなら半年以上経ってる? ヘタレ?」
「う、うぐぉぉおぉおぉぉぉぉぉぉぉおおぁぁああああ!??!」
バトル漫画みたいに山岸が弾けた。
「ちょっとまって橘。いきなり饒舌すぎるし毒舌すぎるし私怖いよ」
「秋原は怖がってるように見えない!」
いや怖いよ。こんなにのほほんとしている体力バカの天真爛漫な少女がいきなりあんな正論を焼き固めたハンマーで全力疾走の殴打をしてきたのだ。見ている方もびっくりするし、食らった方は立っていられないだろう。意識外からの強烈な一撃だった。現に山岸は胸を抑えてうずくまっている。
「だ、大丈夫。私は山岸を信じてるから……! 顔はそこそこいいし、性格は……性格は、その……ほら、ね」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
バトル漫画みたいに山岸が吹き飛んだ。
「秋原も酷いねー」
「慰めようとしたのに慰められる要素がなかった山岸が悪い」
「開き直った」
ぎゃあぎゃあと喚く山岸を横目に、私と橘は絵を描き始める。恋バナはこれで終わりだ。山岸の恋もこれで終わり。まさかとは思うが、これでも諦めずに意中の女子にアタックしたのなら、そのときは本気で尊敬するし応援したいと思う。
「ちょ、ちょっと待て……お前ら。まだ俺の話をちゃんと聞いてないだろ。俺が聞きたいのは──」
「脈アリかどうかって話?」
「ッスー……」
「まぁいいでしょー、聞くだけ聞いてあげる!」
「はい……」
いつもは無口で高圧的な山岸が完全に負けている。その光景に物珍しさを覚えながら、再度立ち上がった山岸に心で拍手を送る。強い男だ。これだけ強靭なメンタルを持っているというのなら告白の一つや二つ朝飯前のように思うが。
「行くぞ……」
「来なよ」
さながら白刃取りのような緊張感を醸し出しながら、山岸は大きく息を吸った。
「LINEの既読が早い!」
「友達が多いなら早くて当然。即レスじゃないでしょ? 会話は? 続いたの?」
「時々視線が合う!」
「好意の視線とは限らない。「何だあいつ……」という奇異の視線ってことも」
「好みが似ている!」
「それこそたまたまでしょ。山岸と知り合ってから好みが似通ったわけでもあるまいし」
「話す時よく笑う!」
「社交辞令」
「遊びに誘ったら来てくれる!」
「……ふーん」
す、すごい……ここまでその意中の相手の『脈アリなんじゃないか』ポイントを出して、その全てを叩き切られてもめげずに続けるその姿勢。とうとう橘が考え出した。まさか、本当に脈アリなのか……?
「まぁ、泥水に天然水一滴混じってたところで関係ないしね」
「くそぉぉおぉぉぉ!!」
そりゃそうか。脈ナシだろうという判定をさんざん出されて一つで覆るわけがない。満足したのか、橘はいつもの調子で山岸に話しかける。どちらが素なのか本当にわからない。
「ちなみにその相手ってどんな人なのー? どっちかっていうと私に似てる人? それとも秋原に似てる人?」
「残念ながらどっちにも似ても似つかないな」
「見る目がないね。理解度が浅いのかな?」
「橘ですぅー! どっちかって言うと橘に似ている人ですぅー!」
どうやらまだ山岸の問答に付き合ってあげる気があるのか、橘は乗り気だった。案外、面倒見が良いのかもしれない。恋愛においては橘が上手みたいだったし、ここは置いておこうかな。絵の制作もあるし。
……に、しても、まさかあの山岸が恋愛をするなんて。今日はちょっとキャラがブレブレな気がするけど、恋が彼をあそこまで動揺させているということだろうか。恋は盲目とも言うし、十分有り得そうな話だ。
私も恋をしたらあれくらい変わるのかな、なんて。擬似的な恋人関係を持っていても対して私は変わってないから、そんなこともないような気がするけれど。……じゃあ、本物の恋人関係ができたらどうなるんだろう。誰かを本気で好きになって、誰かと真剣にお付き合いする。そんなこと夢にも思わなかったけど、桜のお陰で少しだけその輪郭を掴むことはできた。手をつなぐのはあんな感じ、ハグをしたときの感触はあんな感じ、キスをしたときの胸の高鳴りはあんな感じ。それがわかるから、恋の演技も順調だ。そろそろ恋愛をテーマにした絵を描いてみるのもよさそうだ。
「ねー! 秋原もそう思うでしょ!」
「え、ごめん。聞いてない」
「ほら、秋原もああ言ってる!」
「聞いてないって言ってますけどォ!?」
……恋の演技は習得できてきた。恋する乙女がどんな仕草をするのか、今の私にはわかる。けれど、それよりも大事なことがわかっていない。桜の本心だ。あの日──二ヶ月前の海羽先輩の家に泊まったあの日。人の家であんなことをするなんて肝が冷えたけど、あの時に初めて桜の本心を見た。けれど、私にはわからなかった。単純に、まだまだ私の実力が足りなかったのだ。人の気持ちを汲む訓練。それが足りなかった。だから、今は恋の演技をする延長で色々な気持ちを教えてもらっている。
色々な気持ち……それで言うのなら、私は山岸が今持っているような人への恋情を持ってない。少し、羨ましいとも思う。それに、私が今抱えている問題でもある。……人の気持ちを網羅することはできない。途中から気づいていたが、人の気持ちは喜怒哀楽や愛憎なんて枠からはみ出て、それ以上のパターンを持っている。細やかな気持ちのブレンドで、人は無限大の気持ちを抱く。言葉にできない気持ち、というのもあるくらいだ。
(まぁ、そのあたりは都度練習するしかないのかもしれないけど)
私の欠陥は根強い。絵という現実逃避を続けた末に生まれた欠陥。だから、絵を捨てれば解決する話なのかも──いやいや、それはない。私が絵を捨てるなんて、これからどう生きていけばいいんだ。日常に溶け込んだこれを、私は引き剥がしたくないと思っている。逃避行が、心地良いと思ってしまっている。私が解決すべき最大の問題があるとするのなら、こっちなのかもしれない。私は絵を描き続けるのか否か。私にとって絵は、芸術でありそれを超越した現実逃避の手段だ。ほかでもない海羽先輩から絵の道を提示されたが、それを飲むかどうか。
「ちょっと秋原ー、山岸がうだうだうるさいー!」
「いやまて、俺は論理的に話を」
「恋愛なんてパッションの塊に論理を持ち込んでるの?」
「橘の毒舌モード怖いからやめろよォ!」
「山岸は顔がそこそこ良いから大丈夫だよ。性格は……まぁ、そうだね。沈黙は金という言葉があってね」
「お前はそれだけしか言わないなァ秋原ァ! あと黙ってろってことか!?」
山岸は顔は良いのだ、顔は。素直に評価するなら美形の部類には入る。ただその性格は美術部譲りと言うか、とにかく常人とは合わない。というか、変人まみれの美術部員からも理解されてないから、多分誰にも理解されない。悲しい生き物だ。論理的思考を持っていると言えば聞こえは良いが、その内容は屁理屈の塊だ。常に他人の斜め下を生きている謎人間。
「楽しそうだね」
入口から声がした。聞き慣れた、通りの良いきれいな声。全員の視線が自然とそちらに吸い込まれる。肩くらいまでの、ちょっと赤っぽい髪の毛に、明るい色の瞳。別クラスではあるが、橘も山岸も面識があるみたいで「あぁ、なんだ」「四条ー!」と声を上げている。
「いやめちゃくちゃタイミングがいいんじゃないか? 今この場にいるのって体力バカの橘と絵バカの秋原だし。初めてまともな意見が聞けそうだ」
「誰に聞いても結果は変わらないよ。それとも納得の行く結果をくれる人を延々と探すの? AIにでも相談してよしよししてもらったら?」
「正論が人を傷つけることはあっても救った例は有史以来存在しないんだぞ」
「すごい状況だ……」
言い合いをする山岸と橘を眺めながら、桜は遠い目をしている。
「……っていうか桜、さっきまで友達といたんじゃ」
「んー? それはほら、みのりが寂しそうに教室を出ていったから、私が一緒に居てあげないとなーって」
「別に寂しそうにしてないけど」
「つれないなぁ」
桜はいつも行動が読めない。というか本心も何もかも読めないけれど。友達より私を優先する理由ってなんだろうか。……いや、まぁ、私もその友達の一人ではあると信じたいけれど。そうだとしても周りの友達を優先するほうがクラスでの立場が良いと思うんだよなぁ。
「三人とも何してたの?」
「聞いてくれ四条。実はかくかくしかじかで」
「はーつまり、恋愛相談を橘とみのりにしていたけど、毒舌すぎて取り合ってくれないと」
「現実を見ろって私は言ってるだけだけどね!」
「お前のは現実じゃなくてマイナスの理想だ」
んー、と桜は唸ると優しく微笑んだ。
「じゃあ、今度のクリスマスその人を誘ってみたらどうかな。応じてくれるようなら絶対少なからず好意はあるし、断られそうなら、何人か誘って遊びに行けば? どさくさに紛れて二人きりになればいいし」
「……すごいな。停滞してた議論がスムーズに進んだ。どこぞの二人とは違うな」
「私は献身的だったでしょー??」
「私に聞いてくる山岸のほうが悪いよね。私に絵以外のことがわかるわけないでしょ」
そこからまたあーだこーだと言っていると、山岸が席を外した。思い立ったが吉日と言いながら、美術室を出ていく。それをバカにしようと橘も出ていってしまった。本当に、嵐のような二人である。あの二人が付き合ったら相性が良さそうだけどなぁ。そんな未来は訪れなさそうだ。ある意味で相性が良いだけで、大部分は相性が悪いのだろう。
「あの二人はあの二人で相性良さそうだけどねー」
「あれ、桜もそう思うんだ」
「橘の毒舌を受け止められる男子も貴重だし、山岸の屁理屈を受け止められる女子も貴重だと思うけどなー?」
人を見る目がある桜が言うのだから間違いないだろう。意見が一致したことに少しだけ心が軽くなったような感じを覚える。恥ずかしかったから誤魔化すように絵を描き始めた。色々あったが、今日はそのためにここに来たのだ。今日は、というか今日も、だけど。
「二人になっちゃったね」
「そうだね……?」
笑いかけてくるけど、どう反応すれば良いのかわからなかった。
「せっかく来てくれて悪いけど、今日はモデルはいいかな。もう今日描く絵を大体決めちゃったし」
「いいよいいよ、絵を描いているみのりを見るのも好きだから」
「……恥ずかしいな」
こういうことをサラッと言ってくるから桜は困る。……もしかして、恋愛経験が豊富だったりするのだろうか。桜ならそうだったとしても全く不自然じゃないけれど、そうじゃないと言われても納得できる。
「そう言えば、そろそろクリスマスだけどみのりは予定あるの?」
「ないよ。毎年ないけど」
悲しいとも思わない。いつだって私にとってのクリスマスは絵を描く日だった。SNSでクリスマスに因んだイラストを投稿するのもマーケティングのひとつなのだ。名を売れる日に売っておかないと。……ん? 有名になってどうするんだ? 別にまだ、その道に生きると決まったわけじゃないのに。
「じゃ、私と一緒にデートしようか。私たち、恋人だもんね?」
「疑似の、だけどね。ま、いいけど」
二ヶ月前のお泊まり会から、少しだけ桜は変わった気がする。私に対して柔らかくなったと言うか、壁みたいなものが少しなくなったと言うか。一度本心を見せてくれた影響だと思う。まだまだ全部その演技を取っ払うことはできないけど、少し進歩したと考えると喜ばしいものだ。
「……というか、私をクリスマスに誘うなんて、もしかして脈アリかな?」
「ん? んー、どうだろうねー。脈ナシってことはないと思うけどー?」
む、なんか、いつもと反応が違う。いつもだったらもっと、キレのある返しが富んできているところなんだけど。なんか、歯切れの悪い感じがする。「いつだって脈アリですとも」とか「みのりちゃんもそういうのを気にするようになったのかー、しみじみ」なんて言ってきそうなところなんだけど。
「ハグでもしてあげようか?」
「へぁっ……!? ど、どうしたのいきなり」
「なんか元気ないかなーって。いつもよりキレがない返事だったし」
「いやいや、いつも通りいつも通り」
「全然いつも通りじゃない……」
お互いに許せることを増やしていこう──ってあの時誓ったから。たまにこうやってハグを誘ってみたりするんだけど、なかなか応じてくれない。まだ許してくれないってことかな。……でも、あの頃ってキスとかしてたし。最近はしてないけど、何が違うんだろう。
「そう言えば、最近キスしてないよね」
「ん、ぐ……そうだね」
「なにか理由でもあるの?」
「な、いけど? もしかしてみのりちゃんはキスしたいのかなー?」
「桜がしたいと思うなら」
「…………」
私は、演技とか絵とか、そういうのも大事だけど……今の桜はそういうの抜きで、とにかく本心を知りたい。本心を知って、触れて、彼女の本当を知りたい。そのためなら、別にキスくらいいいかなと思っている自分がいる。初めてのときに少し驚いたくらいだし。一回しちゃったから同じ人となら何回してもあんまり大きな差はないと思うんだよなぁ。……あれ、大丈夫か私の倫理観。これだといろんな人とキスをする痴女になるんじゃ。
隣にいる桜を見てみると、完全にフリーズしている。どうしたのだろう。そう思って近づいてみるが、逃げられてしまった。
「桜?」
呼んでみるけど反応がない。それに、彼女の感情がわからない。演技ができていない。本心だ。
「大丈夫? なんか今日──」
「大丈夫大丈夫」
そうは言っているが表情がくしゃくしゃだ。何の感情が入り混じっているのかもわからない。演技がないまぜになっている。もう一歩近づくと、桜も美術室を飛び出してしまった。橘にも劣らないその健脚ですっ飛んで言ってしまうものだから、追いかけようにもできない。
「なんだったんだろ……」
その時、スマホの通知が鳴った。確認してみると「明日昼に集合!」とだけ。なんだ、やっぱりクリスマスは一緒に過ごすんだな。少しだけ安心しながら、私はメッセージを返した。
『楽しみ』
私の口角が、少しだけ上がっていた。演技をしたつもりはないけれど、自然とできるようになってきていた。もしかしたら、私も──なんて、ありえない妄想をしてみる。……私が普通の人に追いつけることなんて、もうないのに。
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