第2話 神社の絵馬
昼休みを告げるチャイムが教室に鳴り響く。
食堂へ向かう人、購買で昼食を買う人、教室で弁当を広げる人。
生徒達が思い思いに動き始める。
俺はというと、いつも通りボケっと席に座っていればいい。
前の席の生徒が机を反転させ、勢いよく俺の机と合わせる。
その衝撃と同時に、彼が口を開いた。
「ちーちゃん、どうだって?」
「断ったってさ」
ホッと息を吐いているのは
こいつとは小、中、高と同じ学校で、月並みな表現だが、腐れ縁というやつだ。
「よかったー。お前、顔が死んでいたから、失恋したのかと思ってよ!」
「心配はうれしいが、寝不足で死にそうに見えただけだ」
俺は保冷バッグから弁当を取り出し、輪切りのゆで卵を箸で口に運ぶ。
悠太は机から身を乗り出して問いただした。
「で?」
「で、って何?」
「わかるだろ!いつ告白するのかって、聞いてんだよ!」
悠太が机を拳で軽くたたくと、衝撃で輪切りの卵がご飯へ落ちる。
「小学校からの付き合いだろう」
「違う。幼稚園、年中の9月12日からだ」
「ちーちゃん可愛いしさ」
「惜しいな、テストだと三角だ。容姿だけでなく性格もいい。俺が落ち込んだ時は笑顔で励ましてくれる。これで完答だ」
「この学年で一番モテるだろ」
「何を言っているんだ。この学校で一番な」
「もたもたしていると取られるぞ。明日にでも告白してこいよ!」
いつもの件に、俺の口は勝手に動いた。
だが、ここから先は違った。
「明日するつもりだよ……」
「お前早くしないと、って、えっ?」
悠太の目が丸くなる。
「今、なんて言った!」
「だから、明日千夏に告白するよ」
「本当か!!」
悠太は勢いよく立ち上がり、教室中に声を響かせた。
一斉に向けられる視線。俺は慌てて制した。
「静かにしてくれよ。他の人に聞かれたらどうするんだよ」
悠太は両手を合掌させて周りの生徒に謝る。
そして座って小声で話す。
「長かったぜ。この恒例行事も今日で終わりか~」
「なんでお前が俺よりテンション高いんだよ」
「全力で応援するけどよ、また急だな」
「千夏好きな人がいるらしい」
「誰なんだよ、それ?」
「聞けなかった。本当なら取られる前に伝えないと……」
そう。俺は彼女にとって、ただの幼馴染なのかもしれない。
過信はしてないさ。
「俺は、ただの幼馴染だからな」
「そんな卑下すんなって。ちーちゃんの好きな人、お前だと思うけどね」
そう言って悠太は何かを思い出したように指を鳴らした。
「あ、そうだ!お前の告白が上手くいくように、縁結びでもしたらどうだ?」
「縁結び?」
「あまり知られてない神社だけどな。絵馬のご利益で親戚の告白が成功したって話もある」
「そうか……神頼みも悪くないな」
普段は神様なんて信じていない。
だが、今日ぐらいは信じてみてもいいかもしれない。
明日の告白話に花を咲かせていると、教室の後ろ扉がガラガラと開いた。
食堂に行った連中が戻るには早い時間だ。
振り返ると、扉の向こうに、一人の少女が立っていた。
その瞬間、和やかだった教室の空気が、一気に凍りついた。
笑い声も、机のきしみも、呼吸の音も全てが消える。
扉の向こうに、ひとりの少女が立っていた。
すらりとした肢体に、澄んだ白い肌と端正な顔立ち。
黒いロングヘアが揺れ、淡い光をはじく。
その冷ややかな青の瞳は、誰も映さない。
彼女はまっすぐ自分の席に歩み寄り、短く言い放つ。
「どいて」
その全く配慮のない言葉に、席に座っていた女子は『ごめんなさい』と言って、すぐに立ち上がった。
机の横にバッグをかけ、本を取り出し、周囲と壁を作るようにページを開く。
窓から降り注ぐ陽を浴びて、ゆっくりとページをめくる姿は、終末の世界で一人生きる少女のように儚げだった。
俺は不覚にもその姿に目を奪われてしまった。
可愛いとか好きだとかそういう感情ではない。
ただ、美しかった。
凍土で眠る生き物のように、誰も触れられない存在なのだと思うと、その氷に触れてみたくなる。氷が解ければいったいそこには何があるのだろう。
好奇心と恐怖が襲うのと同時に、到底、同年代の女子に向ける感情ではないと思うと、やはり彼女はこのクラスにとって異質な存在なのだと感じる。
そんな彼女につけられたあだ名は『氷姫』だ。
皆、彼女のいないところではそう呼んでいる。
たしか、名前は……
「
悠太は小声で俺に話しかける。
「お前、人の名前覚えられないのによく覚えてたな」
「ああ……それは」
俺が答えようとしたとき悠太はかぶせ気味に話す。
「あー言わんでも大体わかるわ。千夏と一文字違いだからだろう」
「そうだ。クラス分けのとき、千夏と同じクラスだと思って歓喜したけど、見間違えだった」
そりゃ間違えるだろ。一色なんて姓はかなり珍しい。
最初は誤字かと思ったが、奇跡的な確率で千夏と同じ一色姓がこの学校にいたのだ。
ちなみに、千夏に聞いたことはあるが親戚ではないらしい。
名前は似ているのに、性格はまるで違う、それが氷姫の第一印象だった。
「なんで社長出勤なんだ?」
「分からんよ」
「情報通のお前でも?」
「氷姫と話せたやつ、誰もいないんだよ」
言われてみればそうだ。
彼女の声を聞くのは、授業中に指名された時の『わかりません』か、さっきの『どいて』くらいだ。
「一応、話しかけようとしてみたけどだめだったな~」
悠太は自嘲気味に鼻を鳴らしたが、すぐに、にやけた顔を向けてくる。
「そんなに見つめて。浮気すんなよ」
「するかよ。千夏一筋だ」
「わかってるって」
そう言って、俺達はまた明日の作戦を練り始めた。
放課後。
ホームルームが終わると同時に、俺は席を立った。
絵馬を書きに行こう。
だが、扉の前には他クラスの陽キャ達がたむろしていた。
避けるのも面倒で、そのまま通り抜けようとした――そのとき。
「おい、あいつ本当にやるのか? 相手、氷姫だぞ」
「言い出しっぺが負けたんだ。仕方ねぇって」
「知らねぇぞ……あの女、マジで怖ぇからな」
烏合の衆の会話が耳に入り、足が止まる。
罰ゲーム? 何をするつもりなんだ。
リーダー格の男子生徒が、教室の隅で帰り支度をしていた氷姫へと歩み寄った。
軽薄な笑みを浮かべたその顔には、悪戯の色しかない。
「ちょっといい?」
「なに」
千冬はバッグに教科書を入れる手を止め、ゆっくりと彼を見た。
リーダー格の男子生徒は芝居がかった声で言った。
「俺さ、前からお前のことが好きだったんだ。付き合ってくれよ!」
一瞬で教室の空気が変わった。
陽キャ軍団は笑いをこらえ、スマホを構える。
「ほんとに言った……」
「動画、撮っとけよ」
烏合の衆の一人が、画面越しに薄笑いを浮かべた。
そんな囁きの中、氷姫の視線がすっと扉のほうを向く。
その瞳に、怒りと諦めが同居していた。
「――最低ね」
その一言に、男子の笑みが引きつる。
「いいじゃん、冗談だって」
男子生徒は、氷姫の前に立ちはだかり行く手を阻む。
「そこ、どいて」
「冷たいなぁ。お高くとまってんのかよ」
次の瞬間、空気が弾けるような音がした。
乾いた音が廊下まで響き、教室が凍りつく。
氷姫の掌が、男子の頬を打っていた。
男子は唖然とし、やがて怒鳴った。
「お前さ、そんな態度とって何様のつもりだよ!」
「クラスに馴染めない、空気のくせによ!」
千冬は黙って見つめ返す。
怒りも、悲しみもない。
ただ、氷のように澄んだ声で言った。
「群れてないと何もできないのね。猿から進化してないのかしら」
「……は?」
「誰かといることが価値だなんて、くだらないわ」
その声には、軽蔑よりも遠い響きがあった。
男子が詰め寄ろうとしたその瞬間――
「おい!何やってる!」
体育教師の怒鳴り声で空気が割れる。
氷姫は、男子生徒が教師に叱責されているのを見向きもせず、
淡々とバッグに教科書を詰め直した。
……くだらない、か。
その言葉に、彼女の孤独の片鱗を見た気がした。
帰り道、俺は神社へと向かい鳥居の前に着いた。
鳥居をくぐり、境内を進む。
授与所に立ち寄ると中から巫女服姿の女性が顔を出した。
巫女さんは俺を見ると嫌そうな顔をする。
なんで機嫌が悪いんだ。
感じが悪い。
事務所の時計を見ると、閉門の1分前だった。
なるほど理由はこれか。
「縁結びの絵馬を一つください」
そういうと巫女さんは授与所の奥から絵馬を取り出した。
俺は、現金と引き換えに絵馬を受け取る。
急いで机に移動すると、卓上のマジックペンを手に取る。
うーん、何と書くべきか。
俺は悩みながら、マジックペンの太い方のキャップを外す。
普通に『一色千夏と結ばれますように』でいいか。
ペン先を絵馬につけようとしたとき、手が止まる。
――振られたら、どうなってしまうのだろうか。
どんな結末を迎えたとしても、あの路で会えば、彼女はきっと変わらずに、挨拶をしてくれるし、笑顔だって向けてくれる。
だけど、その笑顔は誰にでも向けるもので、もう俺だけのものじゃない。
きっと彼氏にはもっと別の顔をするのだろう。
そんなの、耐えられない。
だめだ。もっと真剣に神様にお願いしないと……。
マジックペンの太い方にキャップをはめ、細い方のキャップを外す。
そして、細かく丁寧に書く。
『このたび、真剣な想いを神様に正しくお伝えするため、以下のとおり記入いたします』
『現在、私は特定の女子に対して強い恋愛感情を抱いております』
『浮気や裏切りといった行為に及ぶ意思は一切なく、その気持ちに嘘をつかずに生きていく所存です』
『下記の人物と交際関係を築けますよう、どうかお助けください』
『お願いしたい相手』
『学校名:桜ヶ丘高校』
『学年:第二学年』
『氏名:一色 千』
あと一文字のところだった。
背後から声をかけられ、絵馬とペン先が離れる。
「あの、閉門の時間とっくに過ぎてるんですけど」
「ああ、すみません」
もう少し優しく言えばいいのに、と思ったが、その通りだ。
続きを書こうとペン先を絵馬につけたとき、巫女さんの目が誰かに似ている気がした。
ペン先から目を離し、後ろで授与所を閉める支度をしている巫女さんを見る。
その目はどこか冷たかった。
胸の奥がざわつき、脳裏に誰かが思い浮かびそうになる。
ああ、この目を俺は知ってる。
誰だっけな……
昼休み、扉を開けた彼女の、誰をも映さない目、それに似ていた。
あっ、氷姫だ。
もちろん、巫女さんと氷姫は別人だ。
けれど、目の奥にあの氷のような静けさがあった。
絵馬を見ずに感覚でペン先を走らせて、残りの一文字を書き終える。
ペン先を絵馬から離すと、絵馬に視線を向け、上から順に見直そうとする。
だが、巫女さんはこちらを一瞥すると同時に、それを止めるように言い放った。
「あの、そろそろ追い出しますよ」
振り返ってみると、我慢の限界なのか彼女の眉間に皺が寄っていた。
「ああ!すみません!」
本当は見直したかったが、いいか。
そうして急いで絵馬掛に絵馬をかけた。
そのまま帰ろうとしたが、せっかく書いたのだから写真を撮ってスマホに保存したほうが縁起は良さそうだ。
俺は急いで写真を撮ると神社を後にした。
翌日の放課後。
俺は住宅街に囲まれた公園のベンチに腰を下ろしていた。
あと、数分で千夏が来る。
これから一時間もしないうちに俺の運命が決まるのだと思うと、だめだ、緊張で落ち着かない。
数秒ごとにスマホのロックの解除と施錠を繰り返すも、時刻は全然変わらない。
そうだ。少しでも気持ちを前向きにするために悠太にメッセージを送ろう。
『告白頑張ってくる!』と打った後、昨日撮った絵馬の写真を貼り付けた。
これで良し。
数分後、遠くの道を一人の女子高生が歩いてくるのが見えた。
千夏だ。
彼女の影が徐々に近づき、公園の入り口を抜けると、小走りでこちらへ向かってくる。
俺の隣に腰を下ろした千夏は、いつもなら顔を見るだけで笑ってくれるのに、今日はどこか緊張した面持ちだった。
意を決して口を開く。
「ここに来るの久しぶりだな」
「小学校卒業してから来なくなっちゃったね」
「笑っちゃうよな、まさか俺の家の前で学区が引かれるなんてね」
「私の中学、途中で転校した人がいたから、代わりに来ればよかったのに」
「無茶言うなって」
こうして公園を眺めると、至る所に小学生の千夏がいる。
「千夏と、これから先も一緒にいられるのかな」
「いられるでしょ!いたくないの?」
「いたいよ。でも、気持ちだけじゃどうにもならないって、分かったんだ」
千夏が小首を傾げる。
「中学の時に離れ離れになって気づいたんだ。当たり前の様に一緒にいたのに、少し環境が違っただけでお互い新しい場所を見つけて、忘れていってしまう」
中学時代に感じた縁というものの脆さ、手綱の様に強固だと思っていたが
実際は、蜘蛛の糸のように脆いのかもしれない。
「だから、小学生の頃みたいにはいられない。そんな簡単じゃなくなってしまった」
千夏は静かにうなずいた。
「それ、よくわかるよ。気づけば違う友達ができていた。それは悪いことじゃないけど、佳君と過ごす時間がなくなったのは、ちょっと寂しかった」
俺は千夏の瞳の奥を覗くように、まっすぐと見つめる。
「だからさ……」
視線が重なった瞬間、世界が静止したようだった。
千夏の顔が、近い。
怒った顔も、泣いた顔も、笑った顔も、全部が一気に胸の奥に蘇る。
「千夏……」
俺は肩に手を伸ばし、そっと彼女をこちらへ向けた。
その瞳を見ていると、何でも受け止めてくれる気がした。
「俺は千夏のことが――」
ああ、やっと言える。
この気持ちを、ようやく……。
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
――その瞬間、時が止まった。
静寂を破ろうとしても、それができない。
なぜなら……
――声が出ない。
『好きだ。付き合ってくれ』
頭の中では、何度も何度も声を出しているのに音にならない。
まるで声帯がなくなってしまったようだった。
俺は喉に手を当て、必死に言葉を吐き出そうとする。
「佳君?どうしたの?」
「ごめん……なんか、変だ……俺」
昨日の動画で見た脳梗塞の前兆が一瞬頭をよぎり、手を開いたり握ったりしてみる。
問題ない。
緊張してるだけ。きっと。
それでも数分、何度試しても声は出なかった。
おかしい。
どうしたんだよ俺。
あと少しなんだ。
声に出して気持ちを伝えたい。
だが、これ以上千夏を待たせるのも悪い。
こんなことしたくはないが、スマホのメモ帳に文字を書いて見せよう。
『俺は』
そう打とうとした瞬間、金縛りのように指が動かなくなった。
『千夏のことが好きだ』
打ち込みたくても、指が動かない。
それから幾度となく指を動かそうとするもできなかった。
俯いて頭を抱える俺を千夏は心配そうに見つめていた。
何度やってもダメだ。
くそ。あと一歩なのに――。
そのとき、千夏の表情が変わった。
心配から、真剣に。
「佳君、私から話したいことがあるの」
「私が言ってた気になる人はね……」
「佳君だよ」
「だから」
千夏は手を差し出す。
「私と、付き合ってください」
胸の奥が熱くなる。
彼女も同じ気持ちだった。
嬉しい。
俺も同じ気持ちだ。
あとは彼女の手を取るだけだ。
ゆっくりと手を握ろうとする瞬間。
乾いた音が公園に響き渡り、同時に俺の手が痛んだ。
目の前の千夏の目が大きく見開かれる。
それと同時に、自分が何をしたのかを理解した。
差し出された手を、叩いて拒否したのだ。
何をしている、俺。
「佳君……」
「俺は、千夏のことを友達としか思ってない」
勝手に口が動いた。
例えでもなんでもなく、無意識に。
そんなこと思っていない。思うわけない。
「違う、これはその……違うんだ!」
千夏の目に涙が溢れた。
大粒の雫が、ぽたりと地面に落ちる。
俺は千夏を泣かせてしまったのか。最低だ……
触れたいのに、触れられない。
思いを伝えたいのに、伝えられない。
早く言葉を訂正したい。
涙は一つ、また一つと落ちていき乾いた地面を潤していく。
「そうだよね。私じゃ、だめだよね……」
袖で涙をぬぐい、千夏は立ち上がる。
「ごめんね……」
そして、公園の外へと駆け出した。
「千夏待って!」
俺は立ち上がり、呼び止めようとするも、千夏は止まらない。
その影は遠くへ動き、やがて見えなくなってしまう。
そして、公園に俺だけが残された。
何をしているんだ、俺は。
膝に力が入らなくなり、体が地面へと落ちる。
その瞬間、手から力が抜け、持っていたスマホは数回地面でバウンドするも表向きに落ちた。
静かな公園に、むなしく通知音が鳴り響く。
画面に映し出された文字は、事の発端を告げていた。
『お前、千夏を千冬と間違えているぞ!』
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