異世界三人娘

スター☆にゅう・いっち

第1話

 都心の雑居ビルの地下二階。「アビス」と呼ばれるそのライブハウスは、雑多な地下アイドルの巣窟だった。しかし、毎週土曜の夜だけは異様な熱気に包まれる。


 お目当ては「異世界三人娘」。


 メンバーは三人。

 センターで歌い踊るのは、エルフのフィリル。銀色の長髪に、透き通るような白い肌、スレンダーな肢体。人間への擬態は完璧で、時折、耳をわずかに尖らせる仕草は、観客からは「本気のコスプレ」として称賛されていた。

 その隣で無邪気な笑顔を振りまくのは、ゴブリンのギガ。小柄で愛らしく、その天真爛漫な仕草は「ロリ枠」として絶大な人気を誇る。彼女が時折見せる緑がかった肌の色は、照明のせいか、特殊メイクの賜物か、誰も深く考えなかった。

 そして、圧倒的な歌唱力で聴衆を魅了するのは、オークのガルル。長身でグラマラスな体躯。その力強い歌声はライブハウスの空気を震わせる。擬態が解けかけたときに覗く獣じみた牙は、彼女の「ワイルドな個性」として受け入れられていた。


 彼女たちのファン、「異民(いみん)」たちは、その完成度の高い世界観と、時折見せる「素顔」に狂喜した。「異民」のリーダー格であるサラリーマンのタカシは、毎度最前列を確保し、フィリルの動き一つ一つに魂を削るような歓声を上げていた。


 ライブ後の特典会こそが、三人の本領発揮の場だった。


 フィリルとの「ハグ券」は最も高価だった。タカシは毎回それを買い求めた。


 ある日、ハグの瞬間。フィリルはそっとタカシの耳元で囁いた。

「今日のあなた、特に美味しそうだわ」

 そして、誰にも見えない一瞬、彼女は擬態を緩めた。とがった耳、そして口元に鋭い牙が覗く。彼女はタカシの首筋に優しく口づけをするフリをして、極小の牙を立てた。

「キャーッ!」とタカシは歓喜の声を上げた。まるで芝居のように痛みに顔を歪めるタカシを見て、周囲のファンは「さすが、フィリル!サービス精神が違う!」と感嘆した。

 タカシの首筋には、髪の毛に隠れて、微かな赤点が二つ。それは、吸血鬼のウイルスの静かな侵入路だった。


 ギガの特典会は「手つなぎ会」だった。彼女はファン一人ひとりと目を合わせて、屈託のない笑顔で握手をする。

「また来てね、おにいちゃん!」

 その小柄な手の中、ギガは愛らしい指先に極小の爪を立てた。握手のたび、ファンたちの手のひらに、気づかないほどの小さな傷ができる。その爪痕には、ゴブリン種の持つ恐ろしいゾンビ化細菌が宿されていた。


 ガルルの「熱唱ハイタッチ」は、ファンを熱狂させた。彼女はアンコールの際、舞台ギリギリまで出てきて、歌いながらハイタッチに応じる。

 その力強い歌声と共に、彼女は時折、意図的に唾液を飛ばした。興奮しているファンたちは、その「汗」や「唾」を「推しとの一体感」と捉え、むしろ喜んで浴びた。ガルルの唾液には、狂暴化ウイルスが満載だった。


 誰も気づかない。

 これはサービスでも、コスプレでもない。これは、「接触感染」なのだと。


 最初に異変に気づいたのは、アビスのオーナー、コウジだった。


 数週間後。タカシの行動がおかしくなった。彼はいつも肌を露出しない服装になり、照明を極度に嫌がるようになった。そして何よりも、異常に「血」を求めるようになった。ライブハウスのドリンクバーで、赤いジュースだけを貪るように飲み干す。

 そしてある夜、ライブ後。タカシは衝動を抑えきれず、通りすがりの通行人に噛みついた。その瞬間、彼の顔は蒼白に、牙は擬態を破って鋭く伸びた。

「う、美味い…」

 タカシの牙によって感染した通行人は、数日のうちにタカシと同じ吸血衝動を持つ者へと変貌した。フィリル由来の感染者、すなわちヴァンパイアの誕生と連鎖だった。


 ギガに握手されたファンたちも、ゆっくりと、しかし確実に変わっていった。彼らは身体の節々から腐敗臭を放ち始め、思考能力が低下。ただただ、他者の「肉」を求めるゾンビと化した。ある日、握手会帰りのファンが突然路上で崩れ落ち、通りかかった人間をむさぼり始めた。爪痕から忍び込んだ細菌が、彼らの生命活動を「食欲」という本能のみに変質させたのだ。


 最も目立ってしまったのが、ガルルのファンだった。彼らは理性のタガが外れ、極度の暴力性を示すようになった。ライブ中のガルルの歌に合わせて、彼らは奇声を上げ、互いを突き飛ばし、殴り合う。それは「熱狂的なファン」の一線を超え、ただの狂暴な暴徒と化した。彼らは唾液を撒き散らしながら、周囲の人々を襲い、感染を拡大させた。彼らはバーサーカーとでも呼ぶべき存在だった。


 コウジは警察に通報しようとしたが、その頃には街はもう手遅れだった。


「噛む者」「腐敗する者」「暴れる者」が、渋谷、新宿、池袋といった都心から、加速度的に感染を拡大させていった。人間同士の接触によって、三種の感染は複雑に混ざり合い、新たな変異種を生み出した。


 警察やマスコミは「新型のウィルス」「テロ組織の生物兵器」として内偵と報道を開始したが、「感染源が地下アイドルである」という事実はあまりにも荒唐無稽で、真剣に取り合われなかった。


 その頃、「異世界三人娘」は、最後の「アビス」でのライブを終えていた。

 特典会での接触、アンコールでの唾液散布。彼らの目的は、地球人類の感染による自滅だった。


「三年もすれば、人間の世界は崩壊する。人類がいなくなった頃、大規模に移住して来よう」


 フィリル、ギガ、ガルルは、地方の鍾乳洞から、異世界への転移門を開き、仲間たちの待つ世界へ帰還した。


 彼らの脳裏には、ライブハウスで熱狂していた「異民」たちの顔が浮かんでいたが、そのイメージはどれも同じだった。


「存在価値のない、気持ち悪いやつら」


 彼らにとって、地球はただの無人の土地に変えるべき「汚染された狩り場」でしかなかったのだ。


 地球には、三人のアイドルが仕掛けた「愛の毒」によって、滅亡へのカウントダウンが静かに、そして止めどなく降り注いでいた。


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異世界三人娘 スター☆にゅう・いっち @star_new_icchi

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