01話 脳裏世界/物質世界

――今から十五年前。


一人の天才的科学者によって、この秩序立った物質世界の裏側に、もう一つの世界が開かれる。



脳裏世界のうりせかい



特異点とくいてんとも呼ばれた技術『窓』の開発により、人類は精神だけが存在する世界の観測に成功。

『窓』を通して人を見ることにより、その人が持つ考えや思想を理解することが可能となった。


その成果は精神・心理学を数世代先にまで推し進めると言われ、事実として、多くの人々が抱えた問題を解決していくことになる。


精神疾患や精神哲学、そして犯罪心理を始めとした普遍的行動論理。

数々の精神学的難問と、混沌たる人間の思考に一つの解をもたらした『窓』は、”神の目”とすら呼称されるに至った。



――だが、そんな躍進も長く続くことはなかった。

栄光の軌跡は一転し、その名を惨慄さんりつの記憶として、人々の心に刻みつけていく。



きっかけは一つの研究テーマ『脳裏インターネット融合論』


SNSを代表とした、人々の精神が表面化するインターネットと、精神のみが存在する脳裏世界。

その二つを題材とした研究テーマは当時、実現不可能と目されながらも密かな関心を集めていた。


インターネット上に脳裏世界を反映させることができれば、『窓』を通さずとも観測が可能となる。

それはつまり、これまで個人への観測を限界としていたものが、不特定多数を対象に観測できるようになるということなのだ。

これまで以上に膨大な情報量が得られることは、想像に難くない。


少なくない研究支援を受けたこのテーマはその期待に答え――いや答えてしまい、インターネットと脳裏世界はついに邂逅かいこうすることとなる。



問題はすぐに浮き彫りとなった。


人々の悪意と感情がぶち撒かれるインターネットと、精神のみで完結する脳裏世界。

両者の親和性は、皮肉にも”理想的”すぎた。


脳裏世界は急速に影響力を拡大し、人々がその危険性を指摘する頃には既に、物質世界へと影響を出し始めていた。



始めは平均睡眠時間の増加という形で現れた。

しかしそれは留まるところを知らずに伸びていき、ストレス指数との相関関係を示すようになって、初めて脳裏世界の影響であることが分かった。


それと同時に行方不明者も増加。

その大多数が睡眠時間の極大化したとなった人々であることの調べがつくまで、そう多くの時間はかからなかった。



文字通りの『蒸発』



痕跡すら残さず物質世界での生が終わり、脳裏世界へと引き摺りこまれる現象に人々は恐れ、慄いた。

物質世界と表裏一体とまで成った脳裏世界は、インターネットという枠組みすらも超え、人間のストレスを糧に肥大化していってしまう。


脳裏世界の際限ない肥大化を抑止するため、人々の蒸発を防ぐため。

物質世界と脳裏世界の境界に立ち、失われた精神秩序を守る者たち。


人々は彼らのことを『脳裏清掃員』と呼ぶ。



――――――――――



懐かしい香りが鼻をくすぐり、私はゆっくりと目を開ける。



伝統的日本家屋を思わせる水墨画の描かれたふすまに、繊細な木細工を飾る虹梁こうりょう

――そして、開け放された床柱とこばしらの先には見事な日本庭園。


田舎の屋敷を思わせる少し広い間取りの部屋と庭先が、ぼんやりとかすみがかったように広がっていた。

畳敷きが放つ干し草と染土せんどの香りを鼻腔一杯に拾い上げ、ゆっくりと肩を降ろしながら深呼吸をする。


知らない家財道具、記憶にない部屋、懐かしい香り。


ちぐはぐな感覚に少し戸惑いながらも、無条件の安心感に心は落ち着いていった。



暫くぼーっと部屋を眺めていると、襖が静かに開かれ、一人の女性が入ってきた。

顔全体は白いもやが揺らめいて見えないが、それは見事な着物を着こなしている。


背丈は驚くほどの長身……いや、これは自分の目線が低いだけのようだ。


誰なのかは全く分からない。しかし、不思議とその姿には親しみを感じられた。



「■■?■■■■■■、■■■■■■■?■■■■■■■■■■■■■。」



女性の声は、深海から届くかのように分厚いフィルターがかかっており、何を話しているのか聞き取ることができない。

でも、その聞き覚えの無い声色こわいろからは暖かさばかりが心をほだし、感情が溢れかえりそうになってしまう。


女性はそのままゆっくりと、下に向けていた右手を挙げ、人差し指を向ける。


それは私の後ろを指さしているようだった。

その先を目で追うと、背後に部屋の続きは無く、漆黒の世界が広がっていた。



漆黒の世界にはこれまた不思議なことに、一本の年季が入った右手が差し出されていた。


漆黒の世界に生えた、肘先からしかない手。


違和感しかない光景だった。

しかし、見慣れたその年季が入った右手を――私は迷いなく、がっしりと握りしめる。


細身な右手はその見た目に反してがっしりと右手を握り返し、力強く引っ張り上げる。



――その瞬間、私の内懐ないかいに堅く結ばれていた後帯うしろおびからは何かが抜け落ち、置いて行かれるような欠落を覚えた。


それと共に、低かった目線は急速な成長を始める。

一瞬の成長が終わると、欠落した感覚も嘘だったかのように、消えてなくなっていた。



年季が入った右手は、水面に浮かび上がるようなゆっくりとした速度で私を引っ張り上げる。

それは決して手離さない力強さがあり、同時に包まれるような抱擁力をも兼ね備えていた。


その安心感に私の意識は次第にまどろんでいく。


”大切だった何か”はもう遠い過去となり、あらがえない流れに意識と共に霧散していく。



――それでも、私は……



――――――――――



カチッ……カチッ……カチッ……カチッ……



今時珍しい、聞きなれた丸時計が刻む秒針の音と共に、真衣は目を覚ます。


築四十年は超えるであろう木造一軒家の天井に、涙ぐましい近代的シーリングライトとカーテンレースの装飾。

未だ目覚めない思考のまま、少ない脳のリソースが、ここを『自分の部屋だ』と認識する。



身体を起こしながら、ふとベッドの隣に目を向ける。


そこには、いつもなら無い簡素なゲーミングチェアと、座る少年。

少年はマンガ本をだらしなく膝上に脱力し、眠っているようだ。


はねた癖毛。光にさらされるとほのかにグラデーションが入る程度の赤栗毛。

――そして、少し吊り上がった生意気な目元。



「アキラ…」



小さな声に反応した少年は、「フガッ」という情けない返事漏らす。

そして起き上がった真衣を見て、驚いたように目をこすった。



「ね、ねえちゃん!!起きたのか!体調はどうだ!?待ってろ今じいちゃん呼んでくる!」



少年は一方的にそうまくし立てると、椅子を押し倒さんばかりの勢いで立ち上がる。

その小さな瞳孔どうこうで、真衣の顔をサッと一瞬だけ確かめると――次の瞬間には、「ドカンッバタンッ」という派手な音を立てながら部屋を飛び出していく。

そのままあまり厚くない壁の向こうからは、文字通りの軽いドタドタ音が遠のいていった。


あとに残されたのは、無惨にも地面へと”犬神家”することになってしまったマンガ本と――クルクル減速しながらも回り続けるゲーミングチェア。

真衣はその様子をただぼんやりと、意味もなく目で追っていた。


視線を追っているうちに、段々と霞んでいた意識は焦点を取り戻してゆく。



「私…そういえば脳裏世界で――」



――記憶がフラッシュバックのように、一瞬にして恐怖と絶望を伴って蘇る。


身体は震え、嫌な汗が滴り落ち、とめどない戦慄せんりつの記憶から無意識の内に、抱え込むような形で自分を抱きしめていた。



「フーッ……フーッ……」



恐怖によって荒くなった息が、正常な空気の循環を妨げる。


過呼吸となった身体は危機を察知して感覚が鋭敏となり、抱きしめられた腕の中から湿った温いぬるいものを見つけ出す。


それをきっかけとして、真衣は徐々に力を緩めていく。

そこには、体温によって人肌まで暖められてしまった温いおしぼりがあった。



おそらく、アキラが定期的に額へと置き、看病してくれていたのだろう。


今はもう温くなってしまったおしぼりを手に、緩い力でぎゅっと握りしめる。すると、じわっとした心地良い湿り気が、手先から全身へと駆け巡っていった。


真衣はその感覚にただ任せていると、次第に心は平静さを取り戻していった。



「私、帰ってきたんだ……」



その言葉は実感を持って自分の耳へと届いた。


ピンッと張り続けていた緊張の糸は一気に緩み始め、移り変わった安心が涙腺を刺激する。

とめどない安堵の感情に小さな嗚咽おえつを堪えることができず――真衣はただ、その場で静かにうなだれるばかりだった。



――――――――――



そうこうしていると、それほど厚くない壁の向こうから、今度は重厚なドタドタ音が近づきだす。


その音を聞いて素早く涙を拭い去ると同時に、「ドガンッ」というまたも大きな音と共にドアが開け放たれた。



「ン無事かねぃ!!??ジミィっくぅ~~~~~ん!!」



そこにはタコがいた。

涙痕が少し残ったヘナヘナな目元と、恐らく「くぅ~ん」のまま限界まで突き出されたカサカサの唇。


白髪はくはつのショートポニーテールを後ろに纏め、白髭しろひげすらも携えた老年のジジィが、ルパン三世もビックリする程の見事な空中平泳ぎ姿勢のまま突進してくる。

その姿とを聞かされた真衣は、先ほどまであった涙腺すらもどこへやら――


怒りの鬼神が目覚めようとしていた。



「だぁれがジミィじゃ!クソジジイィ!!」



真衣はその鬼神が趣くおもむくままに右足を振り上げ、その不愉快な顔面の進行方向へと突き出す。


既に方向修正不可能となっていた平泳ぎ艦隊は、目の前の”足裏”という岩礁に為す術はなく、見事脆弱な船首部位から座礁。

代償として真っ赤な足裏マークを顔面に刻み込み――そのまま垂直落下する形で海底へと撃沈した。



「ぶぉっふぁ……げ、元気そうで何より…だぁ。真衣ぃ……」



最後の力を振り絞った沈没船はそう言葉を言い残しながら、痛々しい赤いマークを半分見せて右親指をサムズアップ。

全てを出し切ったタイタニック号はそれを最後に、”ガクッ”という擬音が付きそうなほど見事な脱力を見せ、以降浮上することはないのであった……



その一連が終わってようやく、顔を見せるアキラ。

先ほど出て行く時の様子とは打って変わり、冷静な小走りで部屋へと入ってきた。


――たぶん、慌てる人間が他にいるとなんか冷静になる。とかいうやつだろう。



「あ~ぁあ。だ~から言ったのに。ねえちゃんもねえちゃんだぜ?ねえちゃんを助けたのはじいちゃんだってのによ~。」


「あ!ごめん。つい…」



アキラに指摘され、ようやくそのことに思い至る。

確かに、あの状況から助け出せるような人は、真衣の知る限り”博士”しかいない。



(…でもさ?それを差し引いてもさっきのは許せないじゃんね?普通にセクハラだし。)



真衣が自分との協議を進めている間にも、アキラは「お~い。じいちゃ~ん。無事かぁ」とやる気なさげな掛け声と共に肩を揺さぶっている。


それでやっと活力を戻したのか、老年はハッと目を覚ますと、年齢を感じさせぬ軽やかさで立ち上がった。


そのまま家柄の良い紳士のように、軽く品の良い所作で身なりを整えていく。


――だが、残念ながら鼻血が出ていては締まりがない。


一歩及ばずパントマイム役者に成り下がったジジィは、噴き出た鼻血を人差し指でこすり、わざとらしい吐息を吐き出した。



「ふぃ~。危ない危ない。もう少しで三途の向こうにいるばあさんに手を取られるところじゃった。」


「「いやあんた生涯独身だろ」」



面白くもない、分かりきったボケには姉弟揃ってのツッコミが炸裂。

すると暫定認知症気味のジジィはわざとらしく「タハァ」という吐息を漏らし、自分のおでこをはたいてみせた。


コッテコテの茶番に付き合わされた真衣達は揃って特大の溜息をつき、諦観の意を共有することになってしまうのだった。



(これはほっといたら夜までやりかねんぞ…コイツ)



真衣はさっさと話題を変えるべく、次のボケが入る前に話しを始めることにした。



「博士。ありがとうございました。脳裏世界から助けて頂いたみたいで。」


「うん?あ~まぁ確かに?儂も今回ちょ~っと頑張っちゃってはみたけどさ~?まぁ~でも今回はアキラの功績の方が大きいと思うよ~?」


「アキラが?」



疑問を感じた表情そのままにアキラを見やると、そこには少し斜め上に視線をズラす少年。

なんだか顔が赤いような気もするが気のせいだろうか?



「いや、それがね?儂もびっくりしたのよ。電話口から急にアキラが出たかと思ったら、べ~っしょべしょな声で『ねえちゃんが~』って…」


「ちょぉい!じいちゃん!!ねえちゃんには言わないって約束したじゃん!てかそんな情けない声出してねぇっての!」



少々誇張も入っているのであろう、博士の演技がかった言葉。

それを真っ赤な顔にしたアキラが取っ組み合いを挑み、否定する。


アキラの必死な様子を見た博士は、ここぞとばかりにより演技がかった声と共にで煽り、同時に取っ組み合いをも器用にいなしていた。


打つ手なしのアキラは更に沸騰した顔を突き付けながら、無謀にも弱小なパンチを振りかざしていた。



――いつもからあった、何気ない日常の一コマ。


そんな二人の様子を眺めていた真衣は、段々と笑いが込み上げ、堪えきれず小さな笑い声をあげてしまった。


真衣の珍しい姿に二人は争いの手を止め、キョトンとした顔を見合わせる。


一人の笑い声だけが響くようになった部屋の中で、二人は柔らかい、安堵した表情を浮かべるのだった。



――――――――――



ひとしきり笑いきると、冷静な脳の部分では今回の件を整理し始めていた。



「そういえば博士。今回の依頼対象はやっぱり、自我崩壊じがほうかいを起こしてしまったんでしょうか?」



その言葉に先ほどまでの飄々ひょうひょうとしたジジィの雰囲気はなりを潜め、少しだけ真面目な科学者としての博士が顔を覗かせた。



「うむ…儂もアキラの連絡を受けてから十分程で駆け付けたが、その時既に心象は崩れ去って依頼対象は蒸発。脳裏心象体のみが居座っておったの。まだ生まれたてで『管理者権限』も支配されきっておらんかったから助かったわい。」



博士から突き付けられる『蒸発』という現実。

それはつまり、依頼に失敗し、男の子を助けられなかったことに他ならない。


少しの沈黙が重苦しい空気を作り、まるで真衣を攻め立てるかのように重圧としてのしかかる。

罪悪感に胸が支配されかけたところで、ふと、小さな疑問が沸いてきた。



「ん?十分で来れたんですか?事務所からはどう頑張っても三十分はかかると思ってましたけど。」


「え、あ~うん。お、おほん。あ~ほら、真衣に任せたとはいえちょっとばかし心配でな?まぁ儂も手が空いたところだったし近場に散歩しておったわけよ。」



――珍しい。



真衣に任せられる仕事は、博士が事前調査を行い、危険度の低かったものを見繕ってもらっている。

だからこそ、今まで『任せた仕事が心配になった』なんて聞いたこともなかった。


確かに今回、イレギュラー的な重度の統合失調症と心象生物が現れたことで、多少危険度はいつもより高かったかもしれない。

だがそれでも、今までの業務範疇内から漏れる程のものではない。



――ただ一点、心象切除後に自我崩壊が起きてしまった、最大のイレギュラーを除けば。



いくら博士と言えど、自我崩壊の時期を完全に予見できるわけではないはず。

そもそも事前調査の段階でその”僅かな可能性”でもあったのならば、真衣に任せてくるはずもない。



「でもほんと、じいちゃん近くに居なかったら割とマジで危なかったよな~。ねえちゃんの精神が完全に沈んじゃった後じゃ、引き上げることなんてできないし。」


「いや~ほんまそれな?じいちゃんの冴え渡る勘ってやつよなぁ。まぁ日頃から徳積んどるおかげか、ばあさんからの啓示があったってぇわけよ…」



またもやおちゃらけ始めた博士が南無のポーズをしながら、居もしない架空のばあさんに向かって感謝を告げ始めた。

その姿はなんともいい角度で、鏡に反射した室内灯が後光のように差し込み――なんだか言いようのない”イラッ”を感じさせてくる。



――怪しい。



この事件には何か隠された真実があると、家政婦仕込みの血が騒ぎだす。

こんなズボラな男の徳なんかより、余程女の勘の方が宛になる。


丁度その時、南無ポーズのままブツクサ喋っていたジジィの姿に飽きてきたのか、アキラが口火を切ることとなった。



「でもさ~。じいちゃんが診断ミスるなんて初めて見たよな~。」



その言葉に、博士は南無ポーズのままビクッと肩をはねさせ、動きが止まる。

アキラが言葉を繋ぐ一瞬しかない合間にも、博士の額からは滝のような汗が滴り始める。



(ん?これは図星か?)


「ほら、じいちゃん今回軽度な統合失調症って話だったじゃん?ねえちゃんも心象の中で言ってたけど、結構重度っぽかったんだぜ?大変だったんだからなぁ?…ってあれ。じいちゃん、聞いてる?」



少しのをおいても返答がなかったことで、「聞いてなかった」という最後の堤防すらもアキラによって取り壊された。

そうしてようやく観念したのか、そのウザったらしい南無ポーズをやめるとそのまま揉み手ポーズへと移行したジジィ。

そいつは情けない声を出しながらも、聞き捨てならない言い訳をこぼし始めた。



「あ、いやぁ~ね?ほら儂、最近政府の依頼入っちゃって~手が離せなかったじゃぁないの。ね?それで~その依頼日程が重なっちゃって。現地調査する前に依頼日程になっちゃってたんだよねぇうん。あ、だから実はそれ、依頼主からの聴き取りだけで作った調査ほ……」


「「それを先に言わんかい!!!」」


二人の声が重なり、次の瞬間には鈍い衝撃音が部屋に響いた。


もはや言い訳の余地すらも必要なかろう。

判決は有罪。執行も即日。


姉弟のダブルキックがジジィの華奢きゃしゃな身体を同時に打ち抜き、吹っ飛んだ老体は空を舞っていた。


その威力は申し分なく、まるでギャグマンガのような吹っ飛び方をした博士は『面目めんぼくない~』という声の尾を吹き飛んだ軌跡に乗せ――開け放たれたままだったドアの外へと見事な身体からだンクシュートを決めることとなった。


それを見送ったアキラは「フンッ!」という荒々しい鼻息を吐き、ドアを乱暴に閉め出す。

これにて、元凶となった”罪人ジジィ”は島流しの刑執行完了である。


直後、情けない「あぁあぁぁ…」というか細い声と共に、非常に控えめなノック音が響いた。

だがアキラはプイッとそこから顔を背け、仁王立ちで”罪人の帰還”を許さずにいた。


そんな弟の姿に、真衣の溜飲りゅういんはほんの少しだけ、下がることとなったのだった。



「アキラ。」


「ん?どうしたの?」



未だ仁王立ちを続けるアキラが少し身体を傾け、首だけでこちらを見やる。


博士は兎も角――今回はこんな小さな身体が必死になってくれたおかげで助かったのだ。

少しばかり、日頃からも伝えられていない感謝を告げたって、バチは当たらないだろう。



「ありがとね。私を助けてくれて。これからも頼りにしてる。」



しばらくの間、アキラはポカンとした顔のままこちらを眺めていた。

だが、その意味が次第に溶け込んできたのだろう。


先ほど博士と取っ組み合いをしていた時にも負けず劣らずな赤面沸騰を見せ、わなわなと口は言葉を探し、小さな瞳孔どうこうを泳がせる。



「わ、ば!んな!ば、ばばバッカじゃねーの!!こんなの大したことしてねーし!!いやぜんっぜん!そうぜんっぜんねえちゃんの事心配してたとか!そんなことねぇし!!」



こちらに向き直りながら差した指をぷるぷると震えさせ、可愛らしいほど茹った深紅で少年はその頬を染め上げる。



「へ、へーんだ!その様子ならもう元気そうじゃん。ったく人騒がせなねーちゃんだなぁ!あー、マジで。マジで!時間無駄にした~!」



少年はそのまま捨て台詞を吐きながら乱暴にドアをあけ、後ろ向きに舌をベーッと突き出しながらこちらを威嚇してきた。



――あぁ、本当に。本当に素直じゃなく、生意気たらしい愚弟愛する家族だ。



同じ血は通っておらずとも、この不器用で不完全な弟に――棣鄂ていがくの情を捧げ続けると、ここに誓おう。


……そう。

唐突に開いたドアの隙間から顔だけを覗かせ、こちらの様子を伺うような”邪気の塊”とは違って。



ドア枠の端には、まるでムンクの叫びから抜け出したかのような妖怪が、こちらをガン見していた。


愛弟あいていと入れ替わるように、その邪老シェラオは入室の機会を虎視眈々と狙っている。

そして幸運にも、タイミングを見つけ出してしまい――ヌルリと、その軟体に堕ちた身体を滑り込ませようとしてきた。


だが、その望みは儚くも潰える。

義父の存在など露ほども気づかなかった息子の手によって、開かれたドアが「バシンッ」と叩き閉じられたのだ。


静かになった部屋の外では、扉に張り付いたままの”気配”が残り続けている。



(……うん。あいつはもう少し。反省させることにしよう。)



心に確固たる決意をした真衣は、未だ気配残る”扉の向こう”を意識の外へと追いやり、久方ぶりの惰眠へと身を沈めるのだった。

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