プロローグ(2)

豫令がなった。

つまりは8時25分ということだ。

駆け足で、雫とちはやが教室へ入ると、すでに担任の姿が教壇上にあった。

正担任の葛巻は、大体ショートホームルームが始まる8時25分の数分後に教室に入ってくる。

このように、時間にはかなり、いやとてもルーズなタイプだ。

更には、アメリカンフットボール部の顧問らしいが、クラスメートに聞いた話だが、なんと高総体にも、数時間遅れてきて、謝罪の一言もなかったのだそうだ。

そんな葛巻が、

「おい条野、高原。時間にはちゃんと間に合うようにこい。もうホームルーム始まるところだったぞ。」

と苦言を呈した際には、雫は「どの口が言ってんだよ!」と心の中で突っ込まざるおえなかった。

隣のちはやは、獰猛なドーベルマンのような表情で、葛巻を威嚇していた。


苛立つ気持ちを抑えて、教室の一番後ろ、窓際にある自席に座ると、隣の男子が少しニヤけながら話しかけてくる。

「おはよ、条野。あいつ、いつも遅れて来んのに、今日一日遅れただけの奴に説教とか、本当、どの口が言ってるんだって感じだよな」

そう笑うのは、野球部の金子だ。

そのまんまるな坊主頭と、日に焼けた健康的な小麦肌は、なんだか焼きおにぎりを連想させる。

かなり美味しそうな見た目だな、と雫は内心呟く。

「まじ笑い事じゃないから。たまに本当にストレスになるんだよね、あいつ。」

「本当、名前負けしないな、巻はさ。」

「クズ巻」とは、葛巻についたあだ名だ。あまりに酷い遅刻癖から、クラスの連中に「クズ」という名字と掛けた渾名だが、なんと踏めよ極まりない。

今年赴任してきたのにも関わらず、だ。


金子と、葛巻の陰口をコソコソと囁いていると、いつの間にか日直が「起立」と号令をかけていた。

いつの間にか、ホームルームは終わっていたようだった。

形ばかりの「礼」を終え、「さて、教科書でも取りに行くか」と雫が辺りを見回すと、一際目立つの席の光景が目に飛び込んできた。

サナの席だ。その周りにはワラワラと人が集まっている。

つい数ヶ月前まで、雫もそこに加わっていたのだが、傍観者となった今ではその集団は食べ物に群がるゴキブリのようで不快に感じる。

おそらく、サナの模試の結果を賞賛し、おだて祀っているのだろう。

「えーすごーい!校内一位で都道府県二位?とかマジで天才じゃん!」

「あたしも、そんな頭よくなりたかった〜」

「マジ流石すぎる〜」

皆、特に男子は、サナに贔屓目で見てもらおうと必死なのが遠目でもわかった。

そんな「サナ至上主義者」で構成されたカルト信者たちの中で、一際目を引く存在があった。

サナの席の真ん前で座り込み、彼女と談笑している美女。

美女とは言っても、サナには足元にも及ばない。

ここでも、いかにサナのレベルが高いかということを雫は実感させられたのだった。

座り込んでいる美女は、清原量華といった。「校内一位とか天才じゃーん!」とかいってバカっぽくゲラゲラ笑っている彼女だが、実は校内次席という実力の持ち主だ。

サナには及ばないものの、もし隣に座っていたら雫は赤っ恥をかくこと間違いなしだ。


サナを教祖、量華を最高顧問とする新興宗教、「サナ教」はこちら側にも伝播してきているようで、あちらこちらでサナを持ち上げる話題があがっていた。

「ねぇ、サナちゃん今回も校内一位だって。やばいよね」

彼女はそう言うと、綿菓子のようにふわふわな黒髪を靡かせ、雫の机に両肘をつけ、頬杖を始めた。

見上げると、量華の顔があった。

瞬間移動でもしたのかという速さでやってきた量華に、雫は少したじろいだ。

「え、うん。そうだね量華」

量華はさらさらな黒髪を指に巻き付け、ぷくっと頬を膨らませて見せ、話始める。

「なんか私さ、模試とか考査とか、どのテストとってもいっつも勝てないんだよね、サナちゃん。何か月も先取りして勉強して復習も何回も何回も何回も何回もやってもいっつも二位。」

いや相談する相手ちがうだろ、と雫は率直に思った。なんせ彼女は万年、テストの点だけでみれば毎回最下位を争うレベルなのだ。

クラスを飛び越えて学校中で一位二位の争いなんて、頭の痛い話だ。

というかアドバイスできることが何もない。

「「で」」

雫が困っていると、目の前で頬杖をつく量華が突拍子もなく目をカッと開き、迫真の表情で呟く。

「言いたいことわかるよね?」

「ど、どういうこと?」

「運動も勉強もできるし、顔もいいことは認めるわ。だからこそ、なんでこんなちっさい学校にいるわけ?転校したらもっと輝くだろうに。消えてくれないかなぁ、サナ」

量華がそれを言い放った途端、彼女と雫以外の世界が闇へ葬り去られた。

雫は、量華の言動と表情から意識を引き離すことが出来なかった。

普段は快活で誰にでも笑顔のバーゲンセールをしてる量華が、裏ではこんな風に思ってたのか、という衝撃と同時に、彼女の二面性には激しい恐怖も感じた。

でも親友を罵った、という量華に対する怒りはなぜか湧かない。

「まあ、言いたいこと分からんくもないよ。」

「でしょ?今日の模試だって、みんな結果は知ってるだろうに、わざわざ見せてくるとか冷やかしかよって」

「見せびらかしたいんでしょ、自分ができるからって」

「そ・れ・な マジで雫って話わかってるわー。てかあいつのそう言うところがやでつるむのやめたんしょ?」

「まぁ」

そして、量華と話し込むこと数分。

突然、

「「やめろ!本心じゃない、本心じゃないんだ。」」

量華の言動で抑え込まれた良心が息を吹き返し、雫は正気に戻った。


劣等感に包まれて、下層から上を妬むことしかできない自分を俯瞰して、今にも雫は心臓にナイフでも刺したい気分だった。


その途端、激しい吐き気を催し、雫はその場でお腹を丸め込む

激しい吐き気の中、掌を見ると驚きのあまり「ゔっ」と変な声が出た。

ついで、消化されかけの、昼食に食べた青椒肉絲の全てがその辺の床や机にぶちまけられる。

なんせ、それはもう人間の原型を留めておらず、肌はチャートのような赤褐色に変色し、爪は黒曜石のように固く、ドス黒い、まさに「悪魔」のものだったのだから。








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