第31話【誤解の恋】

翌朝――。


朝食を終えたルミエールとクレノは、柔らかな陽光に包まれたイシュラウド邸の庭園を並んで歩いていた。


芝生には朝露がきらめき、花壇の花々が光を受けてゆっくりと顔を上げる。

小鳥のさえずりが枝の間をくぐり、淡い風が薔薇の香りを運んでくる。

その穏やかな空気の中で、ふたりの足取りも自然とゆるやかになっていた。


ルミエールはふと、白薔薇のアーチの前で立ち止まる。

枝越しに空を仰ぐようにして、隣にいるクレノへ静かに声をかけた。


「クレノ、二年前に……昨日と同じような花で、花束を作ったことはあるか?」


不意の問いに、クレノは一瞬ぽかんとした表情を見せる。

けれどすぐに、記憶の糸をたぐり寄せるように目を細めた。


「二年前、ですか……? えっと……あぁ、そうだ。兄上が……」


思い出すように唇へ指を添える。その仕草がどこか無垢で、ルミエールの視線を引き寄せた。


「その日、兄上がどなたかと……たぶん“デート”だったと思います。

夕方になる前に帰ってきて、僕に花の入ったバスケットを渡してくれたんです。

それで、僕が花束にして……兄上に差し上げました」


「……そうか」


ルミエールは小さくつぶやき、風に揺れる薔薇に目を落とす。


(――回帰前の16歳のデビュタント。あの日、私が受け取った花束……)


回帰前の記憶が、静かに呼び覚まされる。

父の死を知った直後、涙を堪えて出席したデビュタントの夜会。

会場の片隅で一人、嗚咽を噛み殺していた自分の前に現れた青年――クレハ。


無言のまま、ひらりと花束を手から落とした。


紫陽花、白薔薇、カンパニュラ。

淡い香りが胸を包み、その時の私は――愚かにも思ったのだ。


(きっと、これは……不器用な“慰め”なのだと)


冷たい態度の裏に、優しさが隠れているのだと。

それが、クレハを好きになった最初の理由だった。


けれど今ならはっきりわかる。

あれは――ただ、捨てられた花束だった。

何の想いも込められてはいなかったのだ。


そして――私の心を癒してくれたのは、あの男ではなく。

この子だった。


目の前で笑う、白い髪の青年。

彼の指先が、確かにあの時の花を編み、私の涙を知らぬまま救ってくれたのだ。


「……どうかされましたか?」


心配そうに覗き込む声に、ルミエールはすぐに微笑んだ。

その表情は、痛みを覆うように穏やかで。


「いや。クレノの作ったものは……なんでも欲しいと思っただけだ」


その一言に、クレノの頬がみるみるうちに赤く染まる。

耳の先まで真っ赤になり、目を泳がせながら俯いた。


「っ……!」


声にならない息がこぼれる。

その可愛らしい反応に、ルミエールは思わず笑みをこぼした。


「ふふ……どうした?」


「……い、いえ……その……」


俯いたまま、クレノは指先をきゅっと胸の前で握りしめ、

小さな声で囁くように言った。


「……いつでも……お作りします……」


その控えめな響きに、ルミエールの胸がふっと温かく満たされる。


「そうか。……じゃあ、いつでも作ってくれ」


「はいっ!」


ぱっと顔を上げたクレノの瞳が、朝陽を反射して宝石のように輝いた。

笑顔が弾け、庭園の花々さえ息をのむように静まる。

まるで彼自身が、咲き誇る一輪の花のようだった。


その瞬間――


「お嬢様!」


中庭の方から、青と白の礼装を纏った騎士団員が駆けてきた。

胸元にはイシュラウド家の紋章が燦然と刻まれ、陽光を受けて光る。


彼は立ち止まると、きりりと背筋を伸ばし、一礼した。


「準備が整いました!」


「……わかった」


ルミエールは小さく頷き、そっとクレノの方へ視線を向ける。

その瞳に宿る光は、どこか凛として――けれど、優しい。


「クレノ」


差し出された手は、騎士のそれであり、同時に師の手でもあった。


「そろそろ、剣術の稽古をしようか」


その声には、どこか楽しげな響きが混ざっていた。

風が彼女の銀髪を撫で、朝の光がその横顔をやわらかく照らす。


クレノの瞳がぱっと見開かれる。

昨日までの不安や戸惑いが、すべて吹き飛んだかのようだった。


「はいっ!」


迷いのない、まっすぐな返事。

その声が空に放たれると、鳥たちが羽ばたき、光が芝を滑った。


花に囲まれた庭園の真ん中で、ふたりは向かい合う。

新しい朝の始まり。

まだ知らぬ未来への第一歩が、確かにそこにあった。


ルミエールの唇がわずかに笑みを描く。


(――そうだ。君が進みたいと思うなら、私はその道を照らそう)

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