第17話【王太子の間にて】
王城・西塔。
重厚な双扉の先に広がるのは、王太子直属の執務室だった。
赤と金を基調とした荘厳な空間。
壁際には王家の
窓から差し込む朝の光が、金の房飾りに反射して淡くきらめいていた。
その中央。整然と積まれた書類の向こうで、一人の男が羽根ペンを走らせている。
銀白の髪を無造作に撫で上げ、気怠げな姿勢のままも、纏う空気は確かな威を放っていた。
――王太子、カイン・アトラン。
王家の血を受け継ぐ者にして、冷静さと気まぐれを同居させた青年。
その傍らには、赤薔薇騎士団副団長アベル。
金髪に碧眼、燃えるような赤の軍装を纏いながらも、表情は氷のように静かだ。
彼は王太子の影として、誰よりも近くに控える護衛。
その静寂を破るように、扉が音もなく開いた。
「おはようございます、殿下」
穏やかで澄んだ声。
銀紫の髪が光を受けて揺れ、凛とした気配が空気を一瞬で変える。
ルミエール・イシュラウド。
青薔薇騎士団の団長にして、“戦場を駆け抜けた令嬢”。
その立ち姿は、まるで一輪の刃――美しく、そして容赦なく鋭い。
「……おや?」
羽根ペンの音が止まり、カインが顔を上げた。
口元に浮かぶのは、からかうような笑み。
「新婚初日くらい、休むかと思っていたが?」
アベルが小さく咳払いをするが、主は気にも留めない。
軽口を叩きながらも、その瞳は鋭く、彼女の表情の奥を探っていた。
ルミエールは微動だにせず、落ち着いた声で答える。
「まさか。殿下には、私の“想い人”を探していただくという――最大の恩があります。
休むなど、恐れ多いことです」
その一言に、空気がぴたりと澄んだ。
カインの笑みが、ほんのわずかに柔らかく変わる。
「……真面目なやつだな。まったく」
呆れたように言いながらも、その声音には妙な温度が混じっていた。
カインが視線を送ると、アベルは即座に察し、一礼して退室する。
扉が閉まり、二人だけの静寂が戻った。
カインは椅子にもたれ、頬杖をついて小さく笑う。
「で――新婚初夜は、もう済んだのか?」
「いいえ。そういう間柄ではありませんので」
あまりに即答すぎて、カインの眉がぴくりと動く。
「……は? じゃあどういう関係だ。仮面夫婦か?」
「命の恩人です」
わずかな間ののち、凛とした声が響く。
そこには装飾も誇張もなかった。ただ真実だけがあった。
「……恩人、ね」
カインは羽根ペンを弄びながら、どこか遠くを見るように呟いた。
やがて机脇の古書を取り上げ、ゆっくりとページをめくる。
「禁書庫で少し調べてみた。
――死の間際、己の“力”を他者に託すという記録が、古文書にあったんだ。
それも、血の繋がりのない者へ、魂の一部を渡すという例が」
ルミエールの心臓がひとつ跳ねた。
(やはり……存在していた、あの奇跡は)
――あの時、最期に見た少年の金の瞳。
自分を庇い、血に染まりながら微笑んだ彼の姿。
その瞬間、確かに何かが“流れ込んできた”。命の灯火のような、光が。
だが、口にはできない。
この秘密だけは、墓まで持っていくと決めたから。
「……ありがとうございます、殿下」
ルミエールが静かに頭を下げると、カインは手を振りつつ苦笑を浮かべた。
「礼を言われるほどのことじゃない。……クレノは、俺の“いとこ”だからな」
「……!」
ルミエールは思わず顔を上げる。
白銀の髪に、淡く光る金の瞳――。
確かに、どこかに共通する面影があった。
「おい、今、俺の顔を“クレノと似てる”と思ったろ」
「……ギクッ」
あまりに正直な反応に、カインは喉の奥で笑いを漏らした。
「冗談でも俺を重ねるなよ? ……俺はな、お前を妃に迎えられなくて落ち込んでるんだぞ」
軽口のようでいて、その瞳の奥にはほんの一瞬、翳りが宿る。
からかうような笑みの裏にある、淡い孤独。
ルミエールは小さく息をついた。
(……また殿下は、殿下自身の気持ちじゃなくて、“世間”がそう言ってたことを、自分の言葉みたいにして遊んで…。)
彼女は言葉にせず、ただ静かに目を伏せた。
「……コホン。それから、一応ではありますが――」
切り替えるように声の調子を整え、懐から分厚い封筒を取り出す。
「クレノ・バレンタインの置かれていた状況について、報告書をまとめてまいりました」
机の上にそっと封筒が置かれる。
カインはしばし視線を落とし、ため息のような息を吐いた。
「……見せてみろ」
中から現れたのは、整った筆跡で書かれた数枚の記録。
医療報告、侍医の証言、屋敷内の目撃証言――
そのどれもが、淡々としながらも、ある“闇”を示していた。
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