〈7〉その寺院はやはり、野晒しに建っていました
その寺院はやはり、野晒しに建っていました
苔むす石積みに、時の流れを感じます
対を成し、競り建つ石塔の奥に
この地を鎮守する神様が
祭られていました
思っていたより
荘厳な佇まいに
身の引き締まる思いです
ボクがバリ島で知っている神様は
“バロン”“ランダ”“ガルーダ”の三柱です
其の内のどなたかであれば良いのにと思うのでした
祭壇の前に跪き、手を合わせているニョマンさんを発見
「こんばんは」
『スラマッ・ソレ』
「お邪魔でしたか?」
『夕方の祈りを』
「それは、失礼しました」
『もう、平気です』
ニョマンさんは膝を着いたまま
クルリと器用に、ボクに向き直りました
この寺院は予想より、落ち着いた佇まいですが
寝食の場に適しているとは、とても思えません、その境内に
子供の時からずっと独りで暮らしてきたかと思うと、心痛止みません
『あの』
「はい」
『明日の事でしょうか?』
そうですよね、寺院であっても、女の人の自宅に
夜更けて突然、男が訪ねて来たりしたら
どうした事かと思いますよね
『都合が、悪くなったのでしたら』
「いえ、そうではなくて」
『そうではなくて?』
すっかりノープランで来てしまった自分に慌てています
『無理でしたら』
「無理というか」
『ワタシは、構いません』
「実は、明日の事ではなくて、ですね」
『明日のことではない?』
「はい」
“明日のことではない?”と言う事は
それ以外の理由で独り暮らしの女性の自宅に
夜更けて男がズカズカ訪ねて来たと言う事になります
その行動の理由なんて、ボクにはひとつしか思い浮かばないのでした
「違うんです」
『何が、違うんです?』
「勘違いしないでください」
『何を、勘違いします?』
「そ、それはですね」
『はい』
「フ、フ、服を選んで貰えないかと思いまして」
『服を選ぶ?』
「はい」
落ち着け、ここは深呼吸だ、スゥー・ハァー
『どなたの?』
「どなたの、と言うか、サイズはだいたいアナタくらいで」
『アナタでは無くて』
「ニョ、ニョマンのサイズで」
『ワタシのサイズで?』
「はい、好みもだいたいニョマンの好みでお願いします」
『それって、もしかして』
もう、バレテしまいました
「ええ、実はこれからニョマンの服を買いに行こうかと思っていまして」
『どうして』
「それは今夜から、ニョマンはボクの部屋に泊るからです」
『どうして?』
二度目の“どうして”は、やや強い感じに発せられました
「そうなると着替えも要るかと思いまして」
そうなのです、いつもニョマンは同じ柄のバティックを着ているのでした
それで、あの朝ベッドに眠る彼女を見た時も、見覚えがあるなと思ったのでした
『服でなくて、どうしてアナタの部屋にワタシが泊るのかを聞いています』
そうですよね、やはり、そちらの方が気になりますよね
「それはですね」
『それは?』
「それはつまり、年頃の女性が野晒しの寺院で、独りで寝ているのを知った男がいて」
『男がいて?』
「その男がその年頃の女性を、そのまま独りで放って置くと思いますか?」
『エエ?』
説得しているつもりが、自らの悪巧みを独白している、犯人みたいになってしまいました
『放って置かないのなら、どうするのです?』
「どうするのでしょう」
『お気遣いには感謝しますが、ワタシはいつも神と供にいますので』
「そうなんですってね」
『はい、ですから、そこは安心して頂いて宜しいかと』
ん~
「ベッドに寝たことは?」
『あります』
「子供の頃でしょう」
『それが、なにか』
「それ以外には?」
『あの夜、アナタのとなりで』
「おお、その節はお世話になりました、本当にありがとうございました」
『どういたしまして』
そうです、このボクの“行動”はそこから発生しているのでした
なので、どうしても、ここはやり遂げなければならないのでした
「しかし、それでは物心ついてからあの夜までベッドに寝た事が無いと言う事になるのでは?」
『その事とワタシがアナタの部屋に泊まる事に何の関係があるのでしょう』
その通りです、彼女は到ってまともな事を言っています
「ベッドは嫌い?」
『嫌いではありません』
「じゃあ、いいじゃないですか」
『それとこれとは』
「話しが違う」
『はい』
ニョマンさんは本当に賢明な女性です、されど、どうにかして彼女をボクの部屋で
寝かさねばなりません、何故なら、命の恩人が野晒しの寺院で
寝起きしているのを知って、それを、放置しておくなんて
ボクのする事ではありません
「ボクが、アナタを襲ったりするように見えます?」
『ニョマンです』
「そうです、ニョマンを襲ったりするように見えます?」
『見えません』
そんなにハッキリ言わなくても
『バリニーズの女の子が髪を切らない理由を知っていますか?』
「それに、理由がある事も知りません」
『結婚の“証”として髪を切るために伸ばしているのです』
「エエ~、それでこちらの若い女性はみんなロングなのですか?」
『はい、その時が来れば切ります』
「その時が、来れば?」
『はい、つまり、その後に切るのです』
「おお、その後に髪を切るのですか」
『はい』
「しかし、それでは、みんなにバレテしまうのでは?」
『その為に切るのですから』
「なるほど」
『なるほど?』
「それで、こちらの若いバリニーズ男子は日本の若い女子を口説こうとするのですね」
『それで、と、言う意味が分かりません』
「バリニーズの女の子に手を出せば、髪を切られてしまうのでしょう?」
「それが神様に守られている“証”でありますから」
「なら、バリの女の子を口説くより、日本の女子を口説いた方が良いじゃないですか」
『何故、そうなります?』
「日本の女子は恋をすると髪を伸ばしたりするのですよ」
『そうですか、まるで逆ですね』
「まるで逆です、だから日本の女子を口説いた方が良いと思ったのではないですか?」
『どういうことです?』
「日本の女子は口説かれても髪を切らないでしょう」
『アナタが、そう言いました』
「だから、バレなくて良いのですよ」
『何故、バレない方が良いのですか』
「次々に口説けるじゃないですか」
『意味が分かりません』
「そうか、それでバリニーズの男子はボクの部屋に日本語を学びに来るのですね」
『それが、どうして“それで”に繋がるのか分かりません』
「やっと、彼らの日本語を学びたいモチベーションが理解できました」
『どう、理解されたのですか?』
「ありがとうございます」
『お礼を言われる事でしょうか』
「事ですよ、毎夜、夜毎、彼らはやって来て、朝まで帰らない理由が理解出来たのですよ」
『熱心ですね』
「そうじゃなくて」
『そうじゃなくて?』
ニョマンとボクの恋愛観の違いか?バリと日本の結婚観の違いか?
ふたつの“溝”を埋めるには、もう少し時間が必要なようです
「ここはやっぱり、ニョマンにボクの部屋で寝てもらうしかないでしょう」
『その事とワタシに何の関係があります?』
「アナタがボクの部屋に居れば、バリニーズの男子達も気を使うと思うのですよ」
『気を使う?』
「さすがに、アナタが居れば朝まで居座る事はないでしょう」
『どうして、です?』
「そこまでヤツらも、野望では無いでしょう」
『ヤボ?』
「キット、察してくれるはずですよ」
『ナニを?』
「何をと言うか、居座らずに、帰ってくれると思います」
『それは、アナタが居座らないよう、言えば良いのではないですか?』
「そんな事で帰ると思います?」
『帰らないのですか?』
「帰りませんよ、だって、彼らは何処かに理性を置き忘れているのですから」
『そうなのですか?』
「そうなのですよ、ですから、もしアナタが今夜のボクの申し入れを断ったならば」
『断ったならば?』
「また今夜からボクは眠れぬ夜を過ごす事になるのですよ、それでもアナタは良いのですか」
『そう、言われましても』
「ネッ、どうかボクを助けると思って、一週間でも、一日でも、いや一晩でも構いませんから」
『いや、そんな』
「じゃぁ、ここでボクが神様に守られながら寝てアナタがコテージのベッドで寝るというのは?」
『それに、何の意味があります?』
「意味なんて後付けでいいじゃないですか、ここは一先ず行動に移す事が大事なのでは」
『プッ』
って、ニョマンが吹きました、ボクの早口の勝利です
「では、そういうことで」
『なんか、ウソっぽい』
「嘘っぽい?」
『どうして、アナタがワタシをベッドに寝かせたいのかが、分かりません』
「だって、その方が楽しいし」
『楽しい?』
「はい、アナタをここに置き去りにして、ボクがベッドでヌクヌクと寝ても楽しくないでしょう」
『それは、アナタがワタシといて楽しいと言う事ですか?』
「楽しいという事でしょうか?」
『どっちです?』
「楽しいです」
『そうですか』
「はい、だからもう、お願いしているじゃないですか、今夜だけでも、ネッ、お試しと言う事で」
ニョマンさんがコロコロと笑い出しました、もうボクの完全勝利です
『ニョマンですから』
「はい?」
『アナタがワタシの事を“ニョマン”と呼べるならアナタと一緒に寝ます』
ええ~
『どうぞ』
「ニョ、ニョ」
『さぁ』
「ニョ・マン」
『はい、よろしくお願いします』
それから、ふたりで服とかお泊まりグッズとか、クタの店でいろいろ買い求めました
シャンプーと化粧品の多さにニョマンは驚き“下着は初めて”と言うニョマンに
ボクは驚きました、しかし、なかなか楽しいショッピングのひと時となりました、部屋に
戻りベッドを離そうとしたらニョマンに“そのまま”と、言われました
「そのまま?」
『はい、ワタシも条件出していいですか?』
「どんな?」
『ワタシはずっとひとりでしたから』
「はい」
『あの夜は、アナタがとなりにいて、何だか安心でした』
おお、ニョマンたら小悪魔なんだから
『だから、ベッドはこのままで』
「いや、でも、それでは」
『このまま』
「いやぁ~」
『ネッ』
押し切られてしまいました
それからニョマンは、初めてのバスバブル
初めてのシャンプー、初めての基礎化粧品という初めて尽くしの夜を過ごしました
『それと、もうひとつ』
「はい」
『これは、お願いですが』
「どうぞ」
『これからは、ワタシと日本語で話してもらえませんか?』
「それは、どうして?」
『ワタシはアナタと日本語で話したいです』
「そうですか」
『どうでしょう?』
「では明日の朝から日本語で話すという事で」
『ありがとうございます、では、よろしくお願いします』
「こちらこそ」
遂にニョマンも、日本語で日本男子を口説く決心をしたようです
『では、明日』
「はい、明日のウルワツは、朝食の後を予定しています」
『ワタシ、朝食好きです』
「それは、良かった」
『アッ、それからもうひとつ』
「まだ、なにか?」
『コレ、取ってもいいですか?』
ニョマンがバティックの胸元からブラを引き抜きました
『慣れなくて、おやすみなさい』
「おやすみなさい」
ニョマンはスグ、眠りにつきましたが
枕元に脱ぎ置かれたブラが気になり
ボクはなかなか眠りに付く事が出来ないのでした
長い夜に
なりそうです
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます