〈6〉翌朝

翌朝


朝食の時、ニョマンさんに

「行きたいところは?」と、尋ねました

すると『ニョマン、です』と、応えました


「ニョマンに行くのですか?」

『いえ“ニョマンさん”は聞きなれないので、ニョマンと呼んで下さい』

「ああ、はい、わかりました」


しかし、ボクは女の人の名前を呼び捨てるのに、慣れません

なのに、どうしてボクは名前を呼び捨てる文化圏に来てしまったのでしょうか


『チュルックに行きたいです』

「チュルック?」

『ヤア』

「それは地名ですか」

『地名だと思います、行った事はありませんが』

「そうですか」

『無理なら構いません』

しばし、お待ちを


「ねえ、カトキチ」

(オハヨウ)

「チュルックって、知ってる?」

(チュルック、ねぇ)


“チュルック”は、地名でした

クタからバイクで2時間くらいの所のようです


「行けそうです」

『そうですか』


でも、そこには問題がひとつ

彼女のように、布一枚を身に纏っただけの女性が

バイクの後部座席に座るイメージが沸きません、カトキチに聞くと


(ウシロからギュッとダヨ、ギュッと)


と、言うので、却下して、ボクがカトキチの

後ろでしていたようにしてもらうのはどうでしょう?

しかし、それでは彼女にバイクを跨いでもらうことになります

あの、タイトな巻きでどうやってバイクを跨ぐのです?ならば

横座りにしてそのようにして貰うのはどうでしょう、それなら

足も閉じたままだし、見た目にもスマートです


「では、片方の手は荷台に、もう片方の手は、そうですねボクの腰に回してもらって横座りに」

『こうですか?』

「はい、そんな感じで」


と、ニョマンさんに伝えたところで、この言い方ではボクの忖度がちゃんと

彼女に伝わっているかどうかが怪しいままである事に気が付きました

しかし案外、そのスタイルが安定していましたので、結局

そのままの姿勢で旅立つ事になってしまいました


ぎこちないふたりを乗せたカトキチ号が

デンパサール空港を横目に進んで行きます

昼間の空港は夜の空港より小さく見えるのは、何故でしょう


市街地をしばらく進むと路面がターマックからグラベルへと変わりました

それで、ボクの運転はより慎重にならざるを得なくなったのでした

なぜなら轍を避たり、路肩の砂にタイヤを取られたり

するたび腰に当たるニョマンさんの手に

チカラが入り、それに反応したボクの

カラダが強張るからです


『落ちたくない、でも、くっつきたくない』


そんな彼女の葛藤が

バイクのサスペンションを介して

ボクの腰に伝わって来るのでした、なんて

思っているうちに、チュルックに着いていました


チュルックは銀細工の町でした、村でしたと言って

いいくらい小さな町でしたが、この町に住むほとんどの人が

銀細工に関わっているようで、町全体にある種の家族っぽさ、みたいな

温もりを感じる事が出来るのでした、そうだ、ここでニョマンさんに助けてもらった

お礼を探せば良いのではないか?と、思いましたが、ニョマンさんたら

ショーケースに立ち止まる気配もなく、ましてや商品を手にする

なんて事もせず、只、ひたすら店から店へと

渡り歩いて行くのでした


お店の人と少し話しては次の店へ

次の店の人に何か尋ねては、またその先の店へ

ショッピングの雰囲気など微塵も見せず、まるで何かに取り付かれた

かのように、チュルックとそこの住人へのコミニケイションを取り続けて行くのでした


「見つかりました?」

『はい?』

「探しものは?」

『いえ』


この場合の『いえ』は

『探しものが見つからない』の『いえ』なのか?

『探しものはしていない』の『いえ』か?

どちらにでも取れる『いえ』なのでした


とあるショップで

ボクらは店の奥へと招かれました

渦高く積まれた資材の間を縫うように進むと

通路の突き当りにパティオがありました、その四角い中庭の

真ん中辺りに白い花をつけた木が一本立っていて、その枝ぶりの下に

椅子とテーブルのセットが置いてありました、そこで、お店の人が用意してくれた

ジャスミンティーを頂きながら、しばし歓談、ボクもお相伴に預かりましたが、会話が

途中から“バリ語”になりましたので、みなさんが何を話しているのか、ボクにはまったくの

チンプンカンプンでした、されど、木漏れ日と花の香りとジャスミンティーの、素敵な午後の

ひと時を過ごす事が出来たのでした、お店の人に別れを告げ、店を出ると

ニョマンさんは、誰とも話さなくなり、どの店にも立ち寄らなくなりました


「あの」

『はい』

「用事は?」

『だいたい』

「そうですか」


少し、元気がありません


「疲れました?」

『いえ』

「帰ります?」

『はい』


そのままバイクに乗り、来た道を戻りました、しかし

途中で雨が降りだしたので、どうしたものかと思いました

スコールは毎日のように見ていましたが、バイクに乗っている時の

スコールは初めてでした、最初、顔に当たる雨粒は暖かくて、シャツを

濡らす頃には冷たくなります、それがスニーカーまで来ると、もう、グジョグジョです

口を開けると雨粒が、溺れるくらいに入って来ますが、それも慣れると楽しくて

叩きつける雨粒は、まるで地面から逆さまに降って来るようです


おっと、いけません、後ろに乗っている

人のことをすっかり忘れていました


「元気ですか~」

雨音に言葉が掻き消されます

「平気ですか~」

暴風に反応が揉み消されます


しかし、このまま風邪を引かせても何ですし

道も定かに、見えていませんでしたので、なんとか

見つけた大樹の傘下へ、カトキチ号ごと潜り込みました


「濡れましたね」

『はい』


カトキチ号を降りたニョマンさんの輪郭が

いつもより“ハッキリ”と見えています


「何処でしょう、此処は?」

『それは、ワタシにも』

「もう、ボク達は迷子ですか?」

『どうでしょう』


雨脚は激しくなる一方でしたが

幸いな事にふたりに降りかかる雨粒は

大樹の枝振りと木の葉が防いでくれています

しかしそれも限界を迎えようとしているのか、強い横風に

煽られた雨脚が、白いオーロラのような蛇行を始めてしまいました

ポトリポトリ、ボクらの処までスコールが迫りつつあります、音も

“ビュービュー”と“ザァーザァー”です、ふと見ると

ニョマンさんの肩が震えていました


「寒いですか?」

『サムい?』


拭くものがあれば良かったのですが

生憎と持ち合わせがありません、彼女は

膝を抱え込むようにして、蹲ってしまいました


「どうしました」

『大丈夫です』

「とても、大丈夫には見えませんが」

『こんなに濡れたのは初めてなので』

「バティックがもう、タトゥーみたいですよ」


彼女が身に付けていたバティックの柄が

そのまま肌に描かれたみたいに張り付いています


『フフッ』

フフッ?

『アハハハッ』

ニョマンさんが笑い出しました

『アハハッ、ウフフッ』


肩を震わせ、身を捩らせ笑っています、どうやら

彼女が耐えていたのは“寒さ”では無く“笑い”の方だったようです


『あ~、面白い』

「面白いですか」

『ダッテ、ワタシ、こんなにずぶ濡れ、フハハハッ』


コロコロとカワイイです、しかし、これ以上彼女に関わると

ボクのお節介が目を覚ましてしまいそうです


「アノ~」

『はい』

「どうして、チュルックに行こうとしたのです」

『どうして?』

「探しものでも?」

『いえ、別に』

「そうですか」


ダメです、これ以上は“お節介を超えた迷惑だ”と

ボクの“何か”がボクの耳元で囁いています


「スゴイ、雨ですね」

『そうですね』


ヤメタほうがイイです、今迄ボクがお節介を焼いて上手くいった試しなんて

これっぽっちもありませんから、なのに、もう、ボクが止まらなくて


「話せば気持ちが晴れる事もあると言っていましたよ」

『気持ちが晴れる?』

「はい、わが師“イスマイル・ナジール”の言葉です」

『スマイル?』

「イスマイルです」

『フフッ』


慣れない事をして、ボクは彼女を困らせているのかも知れません

ほら、ニョマンさんも作り笑いをしているじゃありませんか


『ワタシは孤児です』

「コジ?」

『はい』


どうしましょう、想像以上の言葉が返って来ました


『バリの内戦は知っていますか』

「少し、知識としては」

プロフェッサーの授業で教わった気がします

『小学校に入る前にワタシは家族を亡くしました』

「それは、それは」

『水を運んだり、お花を集めたりして今日まで何とか』

「ご苦労様です」

こんな時の言葉を、ボクは持っていません


『幼い頃の記憶にあの町の名前があったので』

「はい」

『行けば何か分かる事があるのかもと思い、連れて行ってもらいました』

「そうだったのですか」

『あの町では無かったようです』

「なにが?」


と、聞きかけて、ボクの“囁き”がボクを思い留まらせました


『今日はチュルックに行けて嬉しかったです』

「お役に立てなくて申し訳ありませんでした」

『そんな事はありません、感謝しかありません』

「いえ、いえ、どういたしまして」

もう、言葉がありません


ボクは踏み入れてはイケない処に足を踏み入れてしまったのかも知れません

それとも、ギリのところで踏み留まっているのでしょうか?


どちらにしても想像以上の事が起きています

これ以上進むとボクが引き返せなくなってしまいます

しかし、それでは結果的に彼女をこの場に置き去りにしてしまう事に

なってしまうのではないでしょうか?濡れたカラダに薄布を巻いただけの

ニョマンさんが、不躾なボクの質問にも笑顔で答えてくれているというのに

でも、そんな彼女にこれからのボクが、何を出来ると言うのでしょう?

この先のボクが、どんな期待に応えられると言うのでしょう?


「あの」

『はい』

「もう少し探してみるとか?」

『もう少し、何を?』

「アナタが探しているものを」

『ワタシの探しているものを?』

「はい」

『どうして?』

どうして?


「どうしてかは分かりませんが」

『どうしてかは分からないのに探すのですか?』

「だって、人生の半分は探し物をしていると言うでしょう」

『それは、初耳です』

「初耳でしたか」


あ~、どうすればいい


「楽しそうだし」

『楽しそう?』

「はい」

『アナタは、ワタシと居て楽しいですか?』

「楽しいです」

『そうですか』

「ニョマンさんがボクと一緒にいて楽しいかどうかは知りませんが」

『ニョマンです』

「はい?」

『ワタシは“ニョマンさん”ではなく“ニョマン”です』


また、注意されてしまいました、ニョマン、ニョマン、ニョマン


「それでは、ニョ・マン」

『はい』

「行ってみたい処は?」

『行ってみたいところ?』

「何処かありません?」

『ありません』


う~ん、頑張れボク!もう、ひと押し!


「これは、ボクを助けてくれたアナタへのお礼です」

『お礼?』

「はい、アナタの探しているものが見つかるまで、ボクはアナタを探します」

『ワタシを探す?』

「いえ、アナタと探します」

『ですから、ニョマンです』

え~“アナタ”もダメですか?


『ワタシは“ニョマンさん”でも“アナタ”でも無く“ニョマン”です』

「はい、では、ニョマン」

『はい』

「明日は何処へ?」

『・・・』


無言ですか?ボクの

お節介が彼女を怒らせてしまったのですか?

確かに、言い方が強引だったかも知れません、彼女の

問題にボクが口を挟んでいるかも知れません、ええ、それはもちろん

ボクはアナタの問題に口を挟んでいますが、そんなの、ボクには慣れっこです

ボクはアナタの返事を待っています、さあ、どうする?どうするニョマン?


『ウルワツ』

「ウルワツ?」

『はい、ワタシ、ウルワツに行ってみたいです』

「それは、地名ですか?」

『そうだと思います』


前進したのか?


「行き方はクタに戻ってマデに聞けば良いですかね」

『カトキチです』

「ああ、はい、カトキチに聞けば良いですよね」


やはりボクは、人の名前を呼び捨てるのに慣れません


「では、明日はウルワツということで」

『よろしくお願いします』


何とか、明日の約束を得る事が出来ました

そして、その言葉を待っていたかのように

突然のスコールが、突然止みました

青空に雲が、カケッコを始めました

幹に二度目の雨を降らせている

この大樹にボクは感謝します


帰り道、クタに出来たばかりと言う

フライドチキンのお店で遅めのランチを取りました

馴染みの味でしたが、思っていたより美味しかったのは

冷房が効いていたのと、チキンが地鶏だったからでしょうか?


「どれが美味しかった?」

と、ニョマンに聞くと

『ゆで卵に衣をつけて揚げたコロッケみたいなの』

と、言いました、ボクも、それが一番美味しかったと思いました


彼女を送った後、カトキチを問い詰めると、ニョマンさんはやはり

内戦孤児で、今は近くの寺院に住んでいるのだそうです

朝のフルーツを配ったり、お供えの花を集めたりして

なんとか今日まで、生き延びてきたそうです


「それで」

(ソレで?)

「それで、朝早くフルーツを配っていてボクを見つけたんだね」

(プールのソコでね)

「そしてそれを、カトキチに伝えてくれたんだ」

(プールサイドにアゲタのもニョマンだよ)

「そうなの?」

(マウストゥマウスはカトキチだけど)

「エ~、そうなの」

(ウソ、ウソ)


どれが、ウソ?


(イキテて、ヨカッタね)

「ありがとう、感謝しかないよ」

(ドウイタシマシテ)

「そうだ、お礼は何がいい?」

(おレイ?)

「助けてくれたお礼だよ、何でも言って、常識の範囲内で」

(イラナイよ)

「要らないって、なんで?」

(だって、カゾクとトモダチにはオレイはシナイ、だろ)


んっ?


「聞いていたの?」

(ダカラ、イラナイ)

「そうですか」


なんだか、気恥ずかしいです


「アレ、なんだっけ?」

(ナンダッケ?)

「何か、気になることを言ってなかった?」

(ダレが?)

「カトキチが」

(イツ?)

「さっき」

(そう?)


そうだ


「ニョマンさんが寺院に住んでいるとか言わなかった?」

(イッタかな)

「言った、寺院、て、そこの?」

(ソウ、ソコの)


このコテージの近くにも寺院が用意されていました

“日に四度の祈り”と“沐浴の場”として使われているのでした


(ソコにイルとオモウよ)


カトキチがその方向を指差しました


「あそこに、屋根はありましたか?」

(ヤネはナイでしょう)

「屋根が無いって、どうして?しかも、ひとりって」

(シンパイ?)

「心配より、危険でしょう」

(キケン?)

「何時から彼女はアソコに独りで住んでいるの?」

(ズット)

「ずっと?」

(カゾクがイナクなれば、ヒトリでしょう)


それは、そうだろうけど


「助けてくれる人はいないの?」

(タクサンいます)

「そう、それは良かった」

(ソウ、ジャナクテ)

「そうじゃなくて?」

(コジがイッパイいます)

「そうなの?」

(センソウしたからね)


そうでした


「でも、やっぱり、危険だよね」

(ナニガ?)

「そんなところで、ひとりで暮らすなんて」

(ダイジョウブだよ)

「何が大丈夫なの?」

(バロンにマモラレテいるから)


「それって、神頼みと言う事?」

(ソウ)

「ちょっと、行って来る」

(ドコへ?)

「ちょっと」

(イッテラシャイ!)


カトキチはボクを止めませんでした

止められてもボクは行っていましたけど

それくらいボクのお節介は、もう

止まらなくなっていたのでした

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