〈3〉翌朝、カトキッチャンが部屋に来ました
翌朝、カトキッチャンが部屋に来ました
この“カトキッチャン”は“マデ”です、あの
ツインをダブルに替えてくれない“マデ”の方です
彼は幾つかのニックネームの中から
“カトキッチャン”を選びました
(バイク借りてきた)
「トゥリマ・カッシィ」
そして、この“バイク”はインドネシア語の
“オー・ケイ”を意味する“バイク”ではなく
モーターサイクルを意味する方の“バイク”です
健康状態を取り戻しつつあったボクは、この先の
バリ島に於ける移動手段についてマデに相談しました
彼曰く、この島の公共交通機関に鉄道はなく、バスも
僅かな路線で、時刻表に頼らない運行をしているのだそうです
(カトキッチャン、ネ)
「はい?」
(マデじゃなく、ボクは“カトキッチャン”だから」
「ハイ、ハイ」
カトキッチャンは既に、片言の日本語を話すのでした
(クルマはお勧め出来ないネ)
「それは、どうして?」
(アレは、運転手が必要な乗り物だから)
「そうなの?」
(そうなの)
移動中は快適ですが、エアコンが効くまでの車内が、ヒートショック!なのだ、そうです
(水も掛けられないしね)
「車に水を掛けちゃダメでしょう」
(カトキッチャンをヤトウか?)
「どうしてアンタを雇うの?」
(トリリンガルだし)
「ミー・ツーだよ」
(いい、ドライバーだし)
「コテージの仕事はどうするの?」
(う~ん、じゃ、バイクにするか)
「バイク?」
(ヤァ)
バイクねぇ
(バイクがアレバ、バイク!)
と、いう事で、バイクを借りることになりました
「しかし、そこには問題がひとつ」
(ナニ、ナニ?)
「ボクはバリ島のライセンスを持っていない」
(じゃ、トロウ)
「トロウ?何を?」
(ライセンス)
「どうやって?」
(アシタ)
「なんで?」
と、言うのが昨夜の会話で
今朝にはもうコテージのエントランスに
カッコイイ・バイクが、ボクを待ち構えていたのでした
オフロードタイプの、なかなかマッチョなスタイルです
「オオ~」
先に乗ったマデが、ボクを手招きしています
(カトキッチャンね)
カトキッチャンが手招きしました
(イクヨ!)
「ちょっと待って」
ボクはシートとベルトの隙間に右手を差し込むと
左手で荷台のアルミフレームを掴みました
それから、引き出したステップに
両足を踏ん張って
「バイク」
と、言いました
“ドゥルルルルルルーン”
ツーストロークにしては低めの排気音です
驚いた極楽鳥が、椰子の林を飛び発ちました
バイクは周りの音を掻き消しながら進んで行きます
走り出してすぐにカトキッチャンが何か言いましたが
聞き取れませんでした、耳も慣れターマックに
出たところで「ナニ?」と、聞き返しました
バイクを停め、エンジンを
切ったカトキッチャンが
(ナニ?)と、言いました
「さっき、何か言った?」
(練習しますか)と
(イった)
「練習?」
(ソウ)
「します」
やって来たのは公園のようなところ
と、言っても遊具とか、そういう物が置かれているわけでは無く
草の生えている所と生えていない所がある
なんとなく公園みたいなところ
バイクを降りたカトキッチャンが
キィーとグローブを渡し、ボクに
練習方法を教えてくれました
(あそこに“8の字”が見えるでしょう)
「見えるような、見えないような」
(2速ノークラで時計回りに2周回ね)
「エッ、もう一度」
(ゴーッ)
スパルタです、でも
ここは“習うより、慣れよ”と言う事でしょうか
ボクは受け取ったキィーをイグニッションに差し込むと
右に回転させ、エンジンを始動しました
“ドゥルルルルルルーン”
一発で掛かりました
(ダメダメ、キックでカケルの)
そういうことは、最初に言って
ボクはイグニッションを切り、もう一度、キィーを
オンの位置にターンしてから、キックペダルを踏み込みました
“ドゥルルルルルルーン”
おお、これも一発で掛かりました、ありがとうバイクくん、ボクは
ギヤを一速に入れ、クラッチをミートしました
後輪が砂煙を巻き上げました
“ザザザザザー”
オー、走っている、ボクはバイクでバリ島を走っている
(ターン!)
カトキッチャンが何か叫んでいます
(ターン!ターン!)
そうでした、この草の無いところを時計回りに廻るのでしたね
アレ“時計周り”って、どっちでしたっけ?
(オポージット・ウェイ)
どうして、そこ、英語?
(ノー・クラッチ)
「2速に入れるのに?」
(ネバー・タッチ)
「だって」
(ネバ~)
周回を重ねるうちに、2速発進のコツも掴み
なんとか、カトキチ先生の(オー・ケイ)も頂き
ボク達は、8の字公園を後にする事が出来たのでした
試験場には既に沢山の受験者が集まっていました、受付を
済ませた順に列に並び、自分が呼ばれるのを待ちます
先ずは、実技試験からのようです
ボクの入ったグループの試験官は
かなり大柄の女性で、組んだ腕の上に
重そうな胸を乗せ、その隙間から指で器用に
受験者を試験場に呼び込むのでした
制服からは警官のように見えます
⦅ネクスト⦆
彼女に呼ばれ
試験場入りした受験者は
自分の乗ってきたバイクでも
試験場に用意されていたバイクでも
どちらでも試験を受ける事が出来るのでした
そうして、ボクのようにガイドに連れて来てもらっている
ツーリストもいれば、明らかに自分の家からバイクに乗って来て
試験場入りしたであろうバリニーズもいました、果たして彼らに、今更
バイクの免許を取る必要があるのだろうか?そう、思うのはボクだけでしょうか?
⦅ネクスト⦆
試験管に呼ばれた人は、まず、バイクのエンジンを掛けます、しかし
その時に“セル・モーター”を使った者は失格です、即刻
腕組み試験官から⦅アウト⦆の声が掛かります
そして、少しでも周回中にクラッチに指を掛けた者
もしくは、その素振りを見せた者も全員⦅アウト⦆
です、ありがとう、カトキチ先生、キビシクしてくれて
⦅ネクスト⦆
ボクの前の人が呼ばれたようです
〈イェーイ!〉
と、激しく答えたその人はおそらく
バリでは“オージー”と呼ばれている
オーストラリアからのツーリストでしょう
なかなか、陽気な青年とお見受けしました
⦅セット⦆
バイクはボクと同じオフロードタイプでしたので
ボクは彼のトライアルを参考にしようと、目を
見開き、スタートの時を待ったのでした
⦅ゴォー!⦆
腕組み試験管の声に彼は
〈ライッ〉と、鋭く反応!
シートに立ち上がるとその勢いの全てを
左足のキックペダルへと伝えたのでした
“ドゥルルルルルルーン”
爆音と共にエンジンが始動
しかし、彼がクラッチをミートさせたタイミングで
前輪が浮き、バイクが立ち上がってしまったのでした、おっと
大変、ウイリーです、されど彼は少しも慌てず、その前輪の高さを
キープしたまま、後輪だけで器用に試験場コースを周回し始めたのでした
まるでロデオのように手を振り、嬌声をあげ、観客を煽り、盛り上げ盛り上げ、見事
2周回、コースを走り切りました、試技を終え腕組み胸乗せ試験管の前に戻って来た
オージーの彼はウイリーの態勢を保ったまま、左手親指を天に突き上げ、雄叫んだのでした
〈イェーイ!〉
⦅アウッ!⦆
試験管は静かに結果を告げました、されどそんな事では引き下がらない彼は
〈ワッラ・ヘッラ・バッウイッ!〉
とか、言って食い下がったのでした、恐らくそれは汚い言葉だったのでしょう、腕組み
胸乗せ試験管は、その腕を解くと腰に備えていたホルダーからコン棒を
引き抜き、その切っ先をオージーの鼻先に突き付けながら
⦅ゲッ・ラウッ・ヒヤ!⦆
と、強く言い渡したのでした、されど、されどオージーは
まだまだ引き下がりません、そのコン棒を突き付けられた鼻先で
コン棒を押し返し、まるで親の仇を見るような目で試験管を睨みつけ
サムズアップしていた左手親指を“ガツン”と地面に振り下ろしたのでした
⦅ネクスト⦆
オージーに興味を無くしたのか、それともまだ、沢山いる受験者に、一々
構っていられないと思ったのか、腕組み胸乗せ試験管は、次の
受験者であるボクを試験会場に呼び込んだのでした、しかし
明らかに今までのトーンとは声の低さが違います
もしかして彼女は怒っているのでしょうか?
⦅セット⦆
オージーがウイリーを決めたまま試験会場を
走り去りました、もうボクに躊躇う時間は残されて
いないのでした、ボクは出来るだけ速くバイクに跨がり
出来るだけ迅速にキックペダルを地面へと、踏み抜きました
“ドゥルルルルルルーン”
オー、ありがとうカトキチ号、一発で掛かってくれて
ボクはキミを信じるから、キミもボクを信じて
この困難を一緒に乗り越えようでは
ありませんか
⦅ゴーッ!⦆
試験管の合図に合わせ
ボクは2速に入れたカトキチ号のギヤを
ミートさせました、ノークラ、時計回りに2周回、ボクと
カトキチ号は試験場の8の字コースを実にスムーズにトレースして
行ったのでした、おお、あの8の字公園の特訓が蘇ります
厳しかったカトキッチャンの顔が、声が
走馬灯のようにボクの脳裏を
駆け巡るのでした
⦅ストップ!⦆
腕組み胸乗せ試験管の声に
目覚めたボクとカトキチ号は、彼女の前に
バイクを停めると、静かに審判の時を待ちました
彼女は手にしていたコン棒を腰の黒革ホルダーに戻し
その、大きな手でボクの肩を鷲掴にし、口角に
不気味な笑顔を浮かべながら
⦅グッド⦆
と、言いました
やりました、合格です
次は、学科試験です
学科試験も実技試験と同様
合格した人から順に部屋に通され
定員が満ちれば用紙が配られ試験が開始
出来た人から回答を教官のいるテーブルに提出し
随時退出という“トコロテン方式”が採用されているようでした
問題は4問、合格点は1問が25点なら75点、それとも満点が必要か?
問題の内容はどれも交通安全に関する出題であるのは明らかなのですが、ボクの
語学力では“正しくないものを選ぶな”みたいな読解力を必要とした設問であった場合
全問不正解!なんて可能性も無きにしも非ズ、なんて考えている内にボクの肩越しに
後ろから問題を覗き見していたカトキッチャンが、ボクの手から奪い取ったボール
ペンで、勝手に答案用紙に〇×〇×を記入、とっとと提出してしまったのでした
オイオイ、何をしてくれるんやと、思いましたが時すでに遅シ、まるで
何事も無かったかのように教官はその回答用紙に“受領”の
印を押し、その半券をカトキッチャンに渡したのでした
カトキッチャンはその半券を受け取ると
(アトはマツダケ)と、言って
ヒラヒラ、部屋を出て行きました
バリ島の南中時間、そう言えば
“セミ”の声を聞かないね、とか思いながら
軒下の僅かな影を奪い合うように尻の位置を
ずらしていると、唐突にカトキッチャンがボクに
(ニホンのアソビ、オシエテ)と、言いました
「日本の遊び?」
(そう、退屈しのぎに)
今から君の名を“マデ”に戻します
あの、オフロードバイクがカトキチです
(ナニカ、ナイノ?)
何か無いの?と、言われましても、今、ここに有るのは
南国の日差しとキミとボクだけ、そしてこれだけの
材料で遊べるものと言えば、そうね
「アッチ向いて・ホイッ!かな」
(アッチ・ムイテ・ホイッ?)
「先ずはジャンケンから」
(ジャンケンて、ナニ?)
「ジャンケン、知らないの?」
(タベタコトナイ)
「グー・チョキ・パーね」
なんて、やりながらも
“アッチ向いてホイッ”と
“ジャンケン”の方法をマデに教えました
はいはい、楽勝です、ボクが教えたルールでボクが勝つ
当たり前と言えば当然ですが、これほど
愉快な事はありません
ワッハッハッハ―
そのうち、それを見ていた周りの人たちも
見様見真似で“ホイッ・ホイッ”やり出しました、けれども
ジャンケンが出来ていなかったり、二人とも“ホイッ・ホイッ”していたり
なんとも愉快な人たちです、とか、なんとかやっている内に
中庭に試験結果が張り出されたのでした
(コングラチュレーション)
「ありがとう」
無事に試験に合格しました
これをマデのおかげと言って良いのか
ボクの実力と誇れば良いのか、どちらにしても結果
オーライでしょう、続いては写真撮影とライセンスの授与です
“パシャ”
まるで、指名手配された犯人の様な大男に写った
ボクの免許証が出来上がりました
「どうして免許証の写真はこうなるのかな」
(コオって?)
「撮り直して貰おうかな」
(ムリダね)
これで、免許証の写真は
グローバルスタンダードに
ブサイクである事が証明されました
帰りはボクの運転でカトキチが後ろです
(オイワイしなきゃネ)
と、カトキチが言うので、してもらうことにしました
(コンヤはマッシュルーム・パーリーダァー)
「パーリー?」
バイクの免許が取れたら、コテージを出るつもりでしたが
まさか、一日で取れるとは思いませんでしたので
どうしようかの思案中です
今のボクの荷物なら、バイクの後ろに
振り分けて載せる事の出来る、サドルバッグとか
あれば、バリ島一周も可能ではないかと思われるのでした
タープとランタンでキャンプしながらの、ツーリングも楽しそうです
知らない場所で知らない人に会い、知らない夢を見る
バリ島もボクがやって来るのを、首を長くして
待ってくれていることでしょう
しかし、その時ボクは
まだ、カトキチの言っていた
(マッシュルーム・パーリー)の
意味をちゃんと理解して
いないのでした
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