第22話
緊迫した状況が続いている。
拳銃を持った高木、かたや丸腰の和人たち。
高木が本気を出してしまえば、一溜りもないであろう。
既に和人は左肩に銃弾を受けて負傷してしまっている。左肩がドクドクと脈打ち熱を帯びて、体力を奪っていった。
宗次郎と若井が鶴子を救助したが、高木はもう興味を無くしたのか元々興味は無いのか、宗次郎たちに見向きもしなかった。
依然、銃口は和人の眉間にある。
和人と高木は睨みあった。
「――……」
どれ位経ったろうか、口火を切ったのは高木だ。
「大した証拠もなく、ここに行き着いたんだろ? この地下の洞窟に辿り着いたのは褒めてやるが、白石晃殺害の物的証拠は石塚晋二郎にはないし、私にも証拠は一切無い。勿論目撃情報なんて皆無だろ?」
「――……」
「どうした? 黙っていても何も始まらんぞ」
それとも――。
「このまま水城の元へ連れて行ってやろうか? 青二才が」
和人の背中がゾゾゾ――と震えた。
――この男は、どこまで――……。
顔を歪ませる。
反対に。
高木は笑った。
大きく口を広げ――。
笑った。
嘲笑った。
ぐるぐる――和人の頭の中が脳が回転するような、気持ちの悪い感覚。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
地面が揺れ、身体が抵抗出来ず傾く。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
――いつもの発作か。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐるぐる。
自分が厭になる。
脳が脳脊髄液の中で小刻みに震え、大きく揺れ、吐き気を覚えた。
「和! 逃げるぞ!」
宗次郎が和人の肩を掴んだ。
「?」
地面が揺れ、頭上から岩や土が降って来た。
地震だ。
縦に大きな揺れが長く続いている。
立っていられなくなって、片膝をついた。
さすがの高木も和人同様に膝をついている。
鶴子を背負った若井は壁に手を付きながら脱出を試み、宗次郎は和人を立たせ逃げようと必死だ。
このままではこの地下の洞窟は落盤しかねない。
気が急いだ。
地鳴りがし地面が揺れ、四方から大小の岩石が転がって来る。
「和、立て!」
「あ、ああ――」
なんとか立ち上がり、宗次郎に引き摺られながら階段の下まで辿り着いた。
背後を振り向く。
高木が来ない。
通路は落盤した岩石で埋まり掛けている。
「高木さん!」
「無理だ、戻るな」
和人を先に階段を上がらせた。
「先生、先生! 建物から離れてください。崩れかけています!」
朽ち掛けた本堂は地震の影響で、やっと立っていた柱も奥の内陣も大きく傾き倒壊寸前だった。
「宗次郎、急げ!」
階段を見下ろすと、まだ宗次郎は階段の下で立っていた。
「ああ」
高木が来るのを待っていたのだろうが、来る気配はない。このまま待っていては宗次郎が危険になる。
「宗次郎!」
仕方なく、宗次郎は足早に階段を登った。
「高木さんは来ていたか?」
「いや、姿は見えなかった」
二人は屋外に退避していた若井の元へすぐさま移動し――と、背後の廃寺は甲高い悲鳴を上げ、唯一残っていた建物の一部は崩れ、土埃と共に廃寺の原型すら消え去った。
地下へ繋がる入口は瓦礫に埋もれた。そこから地上に出ることは出来ないだろう。
「――……」
あの狭い空間に他の出入り口はないのではないか。だからと言って、高木が素直に崩落する洞窟に残ったままとは考えられない。
――あり得ない。
あの高木が素直に崩落に埋もれるとは、この場にいる人間誰もが思っている。
「和……人さん?」
若井に背負われた鶴子が目を覚ました。
「橋本さん!」
背から下ろされた鶴子は頭を抱えふらつき、足元が覚束ない。
「良かった! 大丈夫ですか? どこかお怪我をされてないですか?」
すかさず和人は支えたが、どうにも様子がおかしい。小刻みに身体が震えている。
「あ、あの、私、何か――薬を飲まされたみたいで――」
「薬を?」
「ええ、動けなくさせる、とかで……」
「動けなくさせる? もしやアヘンか?」
宗次郎は和人を見た。
「いや、分からない」
鶴子を心配気に見るが、これは和人には範疇外だ。
「すぐ病院へ行こう。和、お前も銃弾が肩に入っているから、早く取り除かんと」
ズキズキと鈍く痛む左肩を忘れていた。それほどに怒涛の展開で動揺をしたのだ。血も大分流れてしまっている。
「先生、お顔の色が悪いです。橋本さんはこちらでお預かりするので」
若井が支えるのを代わってくれ、そのまま門前の車両まで案内された。
「宗次郎、高木さんのこと」
「洞窟の中を捜索する――この状態だと、まず助からねぇだろうが」
「それでも。高木さんはこんな簡単に死を選んだりはしないと思います」
「ああ、なんとしても逮捕しなければならん人間だ」
「ええ」
被害者が増える前に、今回のうちに逮捕しなければならない。高木の過去が筆舌に尽くしがたい悲惨な経験をしていようとも、それからの行いは容認出来るものではないのだから。
赤い花は崩れた廃寺を囲むように咲いていた。雨はすっかり止んでいて、花弁や葉に浮いている雨の雫が宝石のように輝いている。
地震なんて無かったかのように、周辺を静寂が漂っていた。
病院に向かう和人と鶴子は若井に任せ、宗次郎は一人残り崩れた本堂を慎重に渡り歩く。崩れた木材は相当に脆く、踏むとバキッと音を立てた。
舌打ちをして、地下道へ続く入口があった場所を探す。泥と瓦礫との格闘だ。
「ここら辺か?」
瓦礫をどかすと、木枠の入口が現れた。
中を覗くと完全に泥が侵食し崩壊していて、ここからでは残念だが入れない。
「重機を入れるか、もしくは手掘りか――」
手についた泥をはたいて、周辺を見回した。
完全に廃寺は倒壊してしまっている。ただ立っているのは、赤い花と朽ち掛けの墓石。
夕暮れが近付いて来ていた。
風が強く吹く。
赤い花が大きく揺れ、まるで亡霊が左右に揺れてダンスを踊っているように宗次郎は幻覚を見た。
目眩で足元がふらつく。
――この空間は良くない。
宗次郎は直感的に感じ取り、一度門前まで戻って深呼吸を繰り返した。
振り返ると沈みかけた太陽が墓地を真っ赤に染め上げ、一層不気味さを醸し出している。
宗次郎は、ハッと息を飲んだ。
墓石は赤く、元々赤かった花はどす黒い。
そのどす黒い花が揺れている。怪しく亡霊の如く。ここが地の果てか、もしくは地獄への入り口か――どちらにしろ、人間を不安にさせるには充分なシチュエーションだろう。
どの道。
――ここに一人留まっていては気がおかしくなりそうだ……。
石塚晋二郎もここに一人で何年何十年と隠れていた。
よくこんな場所に隠れていたものだな――嫌な汗を袖で拭った。
こんな所で孤独に暮らしていれば、石塚のように妄言を吐くようになってしまっても無理もない。周辺の聞き込みによると、石塚や高木の目撃は無い。石塚の衣食住の食はどうなっているのか、男の肉体は殆どが骨と皮で出来ていた。
廃寺に閉じ籠もり、酒だけで日々を過ごしていたのか。
――それにだ。
誰が最初に赤い花を植えたのかは今になっては探しようもない。石塚晋二郎か高木誠の二人のうちのどちらかであろうが、石塚は留置場で、高木はこの状態、生きて助かったのか崩落に巻き込まれたか。
耄碌でもしたのか石塚の発言は、亡霊がどうとか女がどうとかばかりで的を得ない。これだと刑法三九条の規定(心神喪失・心神耗弱者の扱い)に石塚は該当するのだろう。アヘン中毒者だと分かれば、また違った判決結果になる。
墓地を背後にトレンチコートの内ポケットに仕舞ったハイライトを取り出し、マッチに火を点けた。ラムの薫りが肺一杯に広がり、ささやかな至福を得る。
煙草のおかげで、気分が和らいだ。
ハイライトを口に咥え、墓地をチラリと見た。
あまり見たくはない。
気持ちがざわつく。
――こんな現場初めてかもしれん。
多くの現場を見てきた宗次郎だが、霊感なんてものは持ち合わせてないにも関わらず、殺人現場でもない朽ちた廃寺がこんなにも奇妙な空間として存在していることに、一種異様な気配を感じてならなかった。
ジジッとハイライトが鳴いた。
肺を大きく膨らませ思い切りラムの薫りを吸い込み、吸い殻を地面に捨て足で踏み潰す。
遠くでサイレンの音が聞こえる。
「やっと来たか」
地下洞窟の入り口を数人がかりで調査したが、地震の影響で元々脆かった階段から下の手掘りの通路と高木と相対した広間は、地盤沈下で完全に埋もれてしまったようだ。
結局、高木の生死は不明のまま、今日の捜索は終わった。
宗次郎は和人と鶴子が収容された病院に行くと、二人ともに入院することに鳴り和人は肩から銃弾を取り出す手術が終わった所であった。
病室に入ると、麻酔から覚めた和人がぼんやりと天井を見ていた。
「和、起きたか」
「ああ――宗次郎、お疲れ様」
スツールに座った。
「悪いな、高木誠は見つからなかった」
現場の状況を簡潔に説明した。
「あんな状況では仕方ないですよ」
――仕方ないです……。
小さな声で自分に言い聞かせるように繰り返し、窓の外を見た。
冬の憂鬱な夜空は曇天、明日の予報は明けの雪。
ブルリと身体を震わせ宗次郎はコートの前を掻き合わせた。
「今日はもう休め」
「ああ、ありがとう」
和人はゆっくりと両の目を閉じた。
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