第6話


 おお――。

 おおお――……。 

 

 真っ赤な花が咲いた。

 季節はずれの花だ。

 見渡す限り一面、真っ赤な花が血の海のように綺麗で艶やかで、禍々しい。

 花の名を知らない。

 昨年は初夏に咲いていたように思う。それが今年は何故か十二月に咲いた。

 ――まぁ、いつ咲こうが一向に構わない。

 禿頭で皺だらけの着流しの男は、だらりと気怠げに縁側に座る。

 雨漏りだらけの廃寺に居住まい、見窄らしい姿の男は近くに転がった酒瓶を手にした。

 見渡す限りの墓と赤い花。

 墓の合間合間に咲き、女の口紅のよう。

 

 おお――。

 お……お――。


 いつもの死霊たちが、泳ぐように赤い花の間を左に行き右に行き彷徨う。

 それを肴に酒を飲むのが日頃の楽しみだったが、生憎今日は酒を切らしていた。

 

 おお――。

 おおお――。


「相変わらずだな」

 じゃり――と足音を鳴らしやって来たのは、上等なスーツを着た煙管を持った男。

 煙管から煙が揺蕩う。

「あんたか」

 禿頭の男は、余裕綽々な煙管の男が嫌いだ。

 見窄らしい姿の禿頭の男を見透かす男は、幾度となく訪れては傲慢に嘲笑う。

「見事に咲いたな」

 ――死霊が全く見えないのか。

「あんたは見えんのか」

「何がだ」

 お互い名を知らない。

 名乗ったことがない。

「この、夥しい死霊の数が見えんのか」

「死霊、か」

 口から煙を吐き出す。

「それがどうした。私に死霊が見えようが見えまいが関係ない」

 これはお前の死霊たちだからな――抑揚のない声。

 

 おおお――。

 おおおお――。

 

「そうか。これは儂の死霊たちなのか。だからお前には見えない」

「そうだ。ここにいるのは全てお前の死霊だ。この季節はずれの花もお前がここにいるから、こうして咲き、散る」

 勿体ない、スーツの男のよく通る声がすうっと耳に届いた。

 

 おおお――。

 おおおお――。

 

「だがな、お前には到底扱いが出来ぬ代物よ」

 にたりと白い歯を見せ、スーツの男は左手に持っていた瓶を持ち上げた。

 酒だ。

 丁度切らしていた。

 禿頭の男はまるで宝物を見つけたように薄汚れた両の目を輝かせた。

「儂にくれるのか――そうかそうか、儂にくれるのか」

 風で赤い花が大きく揺れる。

 

 おおおお――。

 おおおお――。


「酒をやる代わりに、一つ頼みたいことがある」

「まだ、おうて数度の儂に頼みたいこととな。随分信頼されておるようだ」

 世嫌いの儂に、とゲラゲラ下品に嗤った。

 禿頭の男の嗤いに呼応して死霊たちがわらわら近寄っては離れ、大きく動く。

 

 おおおお――。

 おおおお――。


「信頼なんぞしておらぬ。勘違いするな。お前が拒もうが必ず実行してもらう」

 

 おおおおおお――……。

 おおおおおお――……。

 

「ほう」

 風が騒ぐ。

 赤い花が女の腰のように左右に揺れ、私を見て、と囁いている。

 誰も来ない朽ちかけた墓の間、幾人もの花に化けた女と死霊たちがスイングダンスする。

「して、頼み事とは?」

 縁の欠けた茶碗に酒をなみなみ注いで、ぐいっと一気に飲み干した。

 

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