第2話 世界で一番可愛いのは、あなたの隣にいる私

一週間が過ぎた。

天塚日向は、巨大な段ボール箱をリビングの床に置き、子供のように目を輝かせていた。その瞳に映るのは、間もなく解き放たれるであろう、新たな世界の欠片。


「つきー! 来たよ、来た! 次のの衣装!」


ソファで専門書(『Esports Nutrition: Enhancing Cognitive and Physical Performance in Competitive Gaming』(Springer, 2025) )を読んでいた月乃は、ゆっくりと顔を上げた。姉の弾むような声は、どんな難解な論文よりも、月乃の思考を心地よく揺さぶる。


日向はカッターナイフで慎重に、しかし素早くテープを切り裂き、中から丁寧に畳まれた二つの衣装を取り出した。

一つは、純白と桜色を基調とした、フリルとリボンがふんだんに使われた魔法少女のようなドレス。

もう一つは、漆黒と深紅でデザインされた、身体のラインが強調されるタイトな戦闘服。

光と影、陽と陰。まさしく、日向と月乃を体現したかのような対照的なデザインだった。


「じゃーん! 私のが、光の魔法使い『ソレイユ』! そして、つきのが闇の女剣士『ノクス』! この前のアンケートで、ファンのみんなが見たいって言ってたやつ!」


日向は自分の『ソレイユ』の衣装を身体に当て、くるりと一回転してみせる。ふわりと広がるスカートが、彼女の快活な魅力を一層引き立てた。

一方、月乃の視線は、日向が差し出したもう一つの衣装、『ノクス』に注がれていた。芸術的なカッティングが施されたそれは、胸元が大きく開き、スカートというよりは腰布に近い大胆なデザインをしている。布の面積が、極端に少ない。


「……短い」


月乃が、ぽつりと呟いた。それは感想というより、事実の確認に近い響きだった。


「そこがいいんじゃん! つきのスタイルなら、絶対に似合うもん。世界一カッコよくてセクシーな『ノクス』になれるよ!」

「…………」

「それに、私だって結構すごいんだからね? この『ソレイユ』、背中ががっつり開いてるデザインなの。可愛いでしょ?」


そう言って、日向は悪戯っぽく笑いながら衣装の背中側を月乃に見せた。月乃のガラス玉のような瞳が、ほんのわずかに、しかし確かに眇められる。その微細な変化を、日向は見逃さない。むしろ、それが見たくてやっているのだ。


「……ひなが、着たいなら」

「うん、着たい! つきと一緒に、これ着たいな。ダメ?」

「……ダメじゃない」


月乃は立ち上がると、日向の手から『ノクス』の衣装を受け取った。その指先が、ほんの一瞬、日向の指に触れる。それだけで、日向の心臓は嬉しそうに跳ねた。

月乃は衣装の質感を手で確かめながら、低い声で言った。


「でも、これは誰にも見せたくない」

「えー? みんなに見せるためのコスプレだよ?」

「……ひなのも。その背中、私以外の誰にも見せたくない」


来た。日向は心の中でガッツポーズをする。

クールな妹が時折見せる、焼けつくような独占欲。

それが、日向にとっては何よりの愛情表現であり、最高の蜜の味だった。


「ふふっ、やきもち焼いてるの? 可愛いなぁ、つきは」

「……焼いてない」

「焼いてるよー。大丈夫。私の身体も心も、ぜーんぶ、つきだけのものだから。でもね、世界中の人たちに知らしめるの。『こんなに可愛い女の子の隣にいれるのは、この天塚月乃だけなんだ』って。最高の気分でしょ?」


日向が月乃の頬に手を伸ばし、優しく撫でる。月乃は、猫のように心地よさそうに目を細めた。


「……うん。それは、悪くない」

「でしょ? だから、お願い。私のために、世界一素敵な『ノクス』になって?」

「……わかった。ひなのためなら」


その言葉だけで、十分だった。

月乃は、姉が望むなら、世界のどんな役柄にだってなってみせる。たとえそれが、自分の肌を衆目に晒すことであっても。姉がそれで喜び、自分を求めてくれるのなら、厭う理由はどこにもなかった。

日向は満足そうに微笑み、月乃の唇に、ちゅ、と軽いキスを落とした。ご褒美のキス。月乃は、その甘さを静かに受け止めていた。


---


撮影スタジオは、白い光で満ちていた。

レフ板、アンブレラ、ソフトボックス。無機質な機材が並ぶ空間で、しかし二人の存在は、それらすべてを背景に変えてしまうほどの圧倒的なオーラを放っていた。


「はい、ひなたさん、最高に可愛いです! そのまま、ちょっと首を傾けてみましょうか!」

「はーい! こんな感じですか?」


カメラマンの指示に、日向は完璧な笑顔で応える。光の魔法使い『ソレイユ』になりきった彼女は、まさしく太陽そのものだった。その一挙手一投足が、周囲のスタッフたちの心を明るく照らしていく。

対照的に、月乃の周りだけは、空気が凛と張り詰めていた。闇の女剣士『ノクス』。その衣装は月乃の白い肌と完璧なプロポーションを惜しげもなく晒しているが、いやらしさは微塵も感じさせない。むしろ、触れることすら許さないような、神聖なまでの美しさと孤高の雰囲気を纏っていた。


「月乃さん、素晴らしい……! 目線、もう少しだけレンズから外してください! そう、完璧です!」


月乃は言葉を発しない。ただ、カメラマンの指示に従って、僅かに視線を動かすだけ。しかし、その瞳にはキャラクターの持つ哀しみや覚悟といった、複雑な感情が宿っているように見えた。

天才プロゲーマーが見せる、もう一つの才能。それは、完全な『憑依』。

二人が並んでポーズを取ると、スタジオの誰もが息を呑んだ。

光と闇。柔と剛。笑顔と無表情。

すべてが対照的なのに、これ以上ないほど完璧に調和している。二人が見つめ合うだけで、そこに一つの物語が生まれる。二人が手を取り合うだけで、世界が完成する。


「すごい……なんだ、この双子……」


アシスタントが、思わず漏らした感嘆の声。

撮影は、驚くほどスムーズに進んでいった。


「OKです! 素晴らしい! 一度、10分ほど休憩を挟みましょう!」


カメラマンの声がかかると、日向は「お疲れ様でーす!」と元気よくスタッフに会釈し、月乃の手を引いて更衣室へと向かった。

扉が閉まり、二人きりの空間になった瞬間。

今まで完璧な『ソレイユ』を演じていた日向は、ふぅ、と小さく息を吐いて壁に寄りかかった。そして、それまで完璧な『ノクス』だった月乃は、一切の躊躇なく、その姉の身体に正面から抱きついた。


「んっ……つき?」


驚く日向の肩口に、月乃はぐりぐりと顔を埋める。まるで、母親に甘える子供のようだった。


「……ひな」

「どうしたの、急に甘えんぼモード?」

「……ひなが、可愛すぎた」


くぐもった、しかし熱のこもった声。日向は、その声色だけで月乃の感情を正確に読み取った。

甘えているんじゃない。これは、飢えているのだ。


「ふふ、知ってる。今日の私、最高に可愛いでしょ? つきも、最高にカッコよかったよ」

「……あの男のレンズが、ひなをずっと見てた」

「カメラマンさんのこと?  それがお仕事でしょ?」

「スタッフの男たちも、みんなひなを見てた。……許せない」


月乃の腕に、力がこもる。日向の華奢な身体を、閉じ込めるように、縛り付けるように。

日向は、その痛みすら快感として受け入れていた。月乃の嫉妬は、自分への愛の深さに他ならないから。


「じゃあ、どうしてほしいの? 私の『ノクス』様」


日向がわざとキャラクターを演じるように囁くと、月乃は顔を上げ、至近距離からその潤んだ瞳をじっと見つめた。その瞳の奥で、黒い炎が揺らめいている。


「連れて帰りたい。今すぐ。この衣装も、メイクも、全部剥ぎ取って、私の知らないひなを全部消して、私だけのひなを、この腕の中に閉じ込めておきたい」

「……ん」


日向は喉を鳴らした。ぞくぞくする。これだ。私が欲しかったのは、この言葉だ。

誰にも見せたくない。自分だけのものにしたい。世界中の誰からも隠してしまいたい。

その狂おしいほどの独占欲を、月乃の瞳に見るたびに、日向は自分が世界で一番愛されていることを実感するのだ。


「……もっと言って」

「え?」

「もっと言って、つき。私が、どれだけつきだけのものなのか、言葉で教えて」


ねだるように、懇願するように。

月乃は一瞬だけ躊躇うように目を伏せたが、再び日向の瞳を捉えると、その唇をゆっくりと開いた。


「ひなは、私のもの」

「うん」

「その髪も、瞳も、唇も、声も、笑顔も、涙も、全部、私のもの」

「うん……」

「今日のこの衣装は、奴らに見せてやる。でも、今夜、それを脱がす権利があるのは、世界で私だけ」

「……っ!」


日向は、とろけそうな表情で月乃の首に腕を回した。

もう、何もいらない。この腕と、この言葉と、この瞳があれば、私はどこまでも満たされる。


「愛してる、つき……。私、つきにめちゃくちゃに愛されるために生まれてきたんだ」

「知ってる。私も、ひなを愛するためだけに生まれてきた」


休憩終了を告げるスタッフの声が、遠くに聞こえる。

二人は名残惜しそうに身体を離し、再び完璧な『ソレイユ』と『ノクス』の仮面を被る。

しかし、その仮面の下で燃え盛る互いへの執着と愛情は、先ほどよりもさらに熱く、激しくなっていた。


---


その夜。

撮影は無事に、そして大成功のうちに終わった。

マンションに帰るなり、二人は約束通り、互いの衣装を互いの手で剥ぎ取り、心ゆくまで求め合った。

今は、柔らかなバスローブを纏い、リビングのソファで寄り添いながらタブレットの画面を眺めている。


日向が、厳選したオフショットの一枚をSNSに投稿した。

それは、休憩中に撮られたもの。光の魔法使いと闇の女剣士が、役柄を忘れたように穏やかな表情で、そっと手を繋いでいる写真。


『つきと一緒の撮影、楽しかった! みんな、完成データ楽しみにしててね! #天塚姉妹 #ひなつき #てぇてぇ双子』


投稿ボタンを押した瞬間から、凄まじい勢いで通知が鳴り響く。

いいね、リツイート、コメント。その数は秒単位で増えていき、あっという間に日本のトレンドランキングに「#てぇてぇ双子」の文字が躍り出る。


「すごいね、つき! みんな、私たちのことが大好きなんだって!」

「……みんなじゃない。私が、ひなを一番好き」

「知ってる。私も、つきが宇宙で一番好きだよ」


ソファの上でくすくすと笑い合いながら、二人は勝利の美酒に酔いしれていた。自分たちの関係が、自分たちの愛の形が、世界に受け入れられ、賞賛されている。これ以上の幸福があるだろうか。

日向は、殺到する賞賛のコメントを一つ一つ、愛おしそうに眺めていた。

その、時だった。


ピコン。


通常の通知とは違う、控えめな電子音が鳴った。

画面の最上部に、ポップアップが表示される。

ダイレクトメッセージの受信通知。

しかし、その送り主の名前を見て、日向の笑顔がぴたりと、止まった。


『Aegis North America』


北米を拠点とする、世界最大手のeスポーツチーム。月乃がいるチームの、最大のライバル。

その公式アカウントから、なぜ自分に?


月乃は、日向の表情の微かな変化を見逃さなかった。腕の中にいる半身の体温が、ほんの少しだけ下がったのを、肌で感じ取った。


「どうしたの、ひな」


月乃の声は低く、静かだった。

自分たちの完璧な世界に侵入しようとする、不審な気配を察知した獣の声。


「……ううん、なんでもない。迷惑DMかな」


日向は、平静を装ってその通知をスワイプして消そうとした。

だが、月乃の指が、それを制する。

月乃は無言のまま、日向の手からタブレットを取り上げると、そのDMを開いた。


そこに表示されていたのは、簡潔な英語の文章だった。


『Dear Hinata Amatsuka,

We have a message for your sister, the player known as 'Tsuki'.』

(天塚日向様へ。あなたの妹、"Tsuki"選手にお伝えしたいことがあります)


月乃の瞳が、すうっと細くなる。

部屋の温度が、まるで数度下がったかのような錯覚。

日向は、ゴクリと喉を鳴らした。


私たちの完璧な世界に、ノイズが混じり始めている。

その事実を、二人は同時に、しかし異なる感情で理解していた。


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