第53話
「……は?」
恋人じゃなかった? いや、いきなり何の話だ?
「悪い、その……ざっくりしすぎて具体的な話が見えてこないんだが、えっと、その……誰と誰が?」
「俺と、アルが」
「はい?」
「だから、俺とアルが、だ。君には恋人同士だったと話したが、俺たちは、本当はただの友人同士で……なのに俺は、君がアルの記憶を持たなかったのをいいことに、恋人だったと、嘘をついた」
「……」
マジか。
いや、やけに深刻顔で切り出すから、エグい打ち明け話が来るのかなと身構えてはいたのだ(最悪なパターンでは、実は俺も転生者でした系のやつ)。
ただ、さすがにこのパターンは想定外だった。
と、いうより、自明の話として定着しすぎていて、疑うという発想にすら至れなかったと言っていい。
初めてウェリナの屋敷で事情を明かされたとき、こいつは言った。アルとは恋人同士だったと。恋人としてあれやこれやを経験し愛を重ねたものの、アルの記憶喪失――正しくは俺の異世界転生により、せっかく重ねた愛がリセットされてしまったと。
だからウェリナは苦しんでいたのだと、そう思っていた。
恋人と重ねた想い出を失い、愛を失って、だから必死にアルとの関係を取り戻そうと足掻いていたのだと。そんなウェリナを、だが俺は拒んだ。誰の代わりにもなりたくない、誰かの代わりじゃなく俺自身を愛してほしいと。
それは、当然ながら罪悪感を伴う感情でもあった。
俺は、アルの愛を押しのけてウェリナを求めたのだと。ウェリナに対してもそうだ。俺は俺のエゴを通すかわりに、アルへの愛を諦めさせた。あまりにも横暴で、身勝手な情動。俺は何度も後悔したし、心の中で二人に謝った。
だから二人が、実は恋人ではなかったと聞かされて、正直に言えば、少し……いや、かなり、腹が立った。俺の今までの悩みは、じゃあ何だったんだって。
でも。
それ以上に俺は、ほっとしていた。よかった。俺のエゴで傷ついた奴はいなかったんだって。
「確かに……とんだお人好しだ」
「えっ?」
「いや、こっちの話。……要するに、お前の片思いだったわけだ。アルに対しては。えっ告白は? したんだろ告白。するよなぁ男なら?」
するとウェリナは、拗ねたようにくちびるを尖らせる。あはは。確かにちょっとからかいすぎた。
「するわけないだろ。脈がないのはとっくに気づいてた。彼にとって、俺はあくまでも友人にすぎなかったんだ。だから俺も、友人として振舞った。……失いたくなかったんだ。彼の信頼や、友情を」
その気持ちは、正直、痛いほどわかる。まして相手は同性だ。俺が逆の立場でも、友人と思っていた相手に性欲を向けられていた、なんて知ったら、やっぱりショックを受けるかもしれない。ウェリナもそれをわかっていたから、アルの前では気持ちを隠していたのだ。
その矢先、当のアルが記憶を失ってしまう。
突如強いられた関係性のリセットは、ウェリナにとっては不幸でもあったが、同時に、チャンスでもあったのだ。
そしてウェリナは、それをチャンスとして活かすことにした。
ウェリナが俺の寝顔に謝ったのは、これから自分のすることが、エゴに基づいた身勝手なものだとわかっていたから。
「それでも俺は、どうしても手に入れたかった。馬鹿な話さ。本当は、とっくに俺の手の届かない場所へと旅立っていたのにな。いつもそうだった。アルは、俺のことなど振り返りもせずに、自分の行きたい場所へ行ってしまう。ピエロの件は、そんな彼をどうにか手元に留めておきたくて言い出した、悪あがきみたいなものだった。どんな口実でも構わない、とにかく、彼と共犯関係でいたかったんだ」
「ふーん。好きだったんだな、本当に」
そう口にする俺の中に、アルへの嫉妬の念がないことに俺はほっとする。俺にとっては過去の話だし、ウェリナもそのつもりで打ち明けているのだとわかる。
「ああ。アルはいつだって自由で、まっすぐだった。魑魅魍魎ひしめく王宮の中にあって、彼の存在はまさに奇跡だったんだよ……太陽だった。翳ることのない輝き。事実、俺がダブルだと知った後でさえ彼は笑いかけてくれた」
それは惚れても仕方ないな。ダブルとしての自分の生まれや血を恥じ、否定するウェリナにとって、アルが与えた無条件の肯定は、どんな名誉や勲章よりも嬉しかったはずだ。
「だから君と出会って、俺は困った」
「は? なんでだよ」
「君もまた、俺を肯定したからだ。それだけじゃない。君は、俺を叱ってもくれた。人の価値を決めるのは血じゃない、生き様だと。……その言葉に俺は、思ったんだ。俺は、俺を唯一肯定してくれた人間に、ただ縋っていたかっただけなんじゃないかって。俺に本当に必要だったのはアルの愛じゃなく、まずは俺が俺自身を認めることだったんじゃないか、って」
そういえば、そんなことも言ったな。あの時は、一方的に他人の血を蔑むマリーにムカついて、つい口走ったんだった。
そんな言葉でも、ウェリナの中で響いていたのなら素直に嬉しい。
「で、肯定できたのか? 自分を」
答えのかわりにウェリナは寂しげに笑むと、力尽きたようにソファにかけ直す。
確かに、愚問だった。
肯定できずにいるからこいつは、自分を捨てて王になれと俺に言っているのだ。自分など誰かに想われる価値はないと。こんなに完璧で、ヒーローとしては申し分ない男なのにな。
――ねぇ、僕のヒーローさん。
――彼のことも、抱きしめてあげて。ああ見えて、とても寂しがりやだから。
ふと、俺の脳裏を声がよぎる。聞き覚えがあるようで、ないような、少なくとも俺以外の誰かの声。
俺は立ち上がり、両腕を大きく広げる。
「ん」
「な、何だ、アルカディア。急に」
「抱きしめてやる。お前は、相変わらずバカだ。大バカだ」
するとウェリナは、またしてもくちびるを尖らせてすねる。
「あ、ああバカだよ。わかってる……けど、だから何だ」
「わかってない。お前は、自分が本当は何を求めているのか、わかってないんだよ。お前が欲しいのは、ハグだ」
「ハグ? いや、俺は……」
「うるせぇ。実際そうなんだよ。お前は、ただ寂しいんだ。自分を肯定するとか誰かを愛するだとか、そういうのはな、まずその寂しさを埋めてやらなきゃどうにもならないんだよ。けどお前は、今までずっと、誰にも、その寂しさを埋めてもらえなかった。お前、誰かに抱きしめてもらったことあるか?」
「っ……そ、そんなこと」
ウェリナはあからさまに目を泳がせる。実際……なかったんだろう。許されない愛から産まれた、存在してはならない子供。周囲の大人は誰もウェリナを抱きしめなかったし、賢いウェリナもまた、そんな大人たちに何も求めなかった。
「これからは、俺がお前を抱きしめる。いつでも、どこでも、どれだけでも。俺は、お前の恋人だ。いや伴侶だ。お前と共に歩むと誓った……だから俺は、王にはならない。お前を抱きしめることに比べたら、そんなの何の価値もない」
「アルカディア、でも、俺は」
「とにかく、俺はお前を抱きしめる! その上でお前は、悩め。考えろ。どうすれば自分を肯定できるか。……見守っていてやるから。ずっと」
忙しく泳いでいたエメラルドの瞳が、ぴたりと止まる。それでもなお失せない戸惑いの色を、俺は静かに見守る。
やがてウェリナは立ち上がる。が、そのエメラルドの瞳には、なお迷いの色がしつこく留まる。
「……き、君にだって、本当は、ただ、縋りたいだけかもしれない。アルに対してそうだったように……いいのか、そんな、情けない男でも」
「おっ、情けない男は好みだぜ? イケメンならなおさらだ。優越感に浸れるからな、ははっ」
するとウェリナはつられるように苦笑し、やがて、瞳からほろりと何かをこぼす。それはひとたび流れはじめると、堰が切れたように白い頬を濡らしてゆく。
俺はテーブルを回り込み、ウェリナの背中に腕を回す。
ウェリナは、たったいまフルマラソンでも走ってきたかのように俺に倒れ込んだ。実際、これまでの人生は、それほどに過酷で、孤独なものだったんだろう。
でも、これからは。
「ずっと、そばにいてほしい。……ずっと」
耳元で囁かれた声は、涙のせいでひどく上擦っている。恋人の甘さの代わりに、迷子の子供じみた切なさを宿すその声に、俺は、抱きしめる腕の強さで応えた。
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