ポツンと建つ古民家食堂の店主(おっさん)は、元S級冒険者。
平木明日香
プロローグ
https://kakuyomu.jp/users/makannkousappou19900317/news/822139837358467579
俺はただ、隠居生活がしたいだけなんだ。
――そう、静かに、誰にも邪魔されず、のんびり山菜なんかを摘んで、自家製の漬物を仕込んで、たまに焚き火を囲んで一杯やる。そんな生活に憧れていた。いや、憧れではなく、実際に今そうしている。いや、している「つもり」だ。
現実を直視すれば、「なんで俺の食堂が、こんなに賑わってるんだ?」というのが本音だ。
ここは〈ガルヴァの山郷〉。地図に載っていない、帝国の外れにある人口三十人の山村。空気が旨くて、水は冷たい。魔獣こそ時々現れるが、出会ってしまえばまあ、その場で片付ければいい。
俺はこの地に小さな古民家を買い取り、自力で改装し、「ただの食堂」を始めた。看板もないし、道案内の標識もない。営業は週四日、メニューは気まぐれ定食一種類。仕込みはすべて自家製。肉は狩ってきて、野菜は畑で採れるし、調味料も独自ブレンド。飲み水は魔法陣を通した湧き水だ。
いわば――完璧な隠居食堂。
「店主ォ! 今日の定食はまだかいな!」
「えーと、予約表に名前……載ってませんが」
「いつもフリーで入れてくれてたやろ!? あんた昨日、“一見さんお断りじゃない”って言うたやん!」
「俺、そんなこと言ったっけな……?」
これが現実だ。静かなどころか、もうここ数週間は昼時になると、開店前から行列ができている。行列が、だ。ここ、山奥の人里離れた秘境だぞ?
「旅の商人の間で有名ですよ。ほら、“幻の食堂”って。大陸南部の市場にも噂が出回ってます」
と、いつかの客が教えてくれた。
幻の食堂ってなんだよ。俺は一回も隠れてねぇ。堂々と営業してるわ。
噂の発端は、おそらくあのバカ王子だ。
数ヶ月前、帝国の第三王子が「勘当された」とかで山中をさまよってたとき、空腹で倒れていたところを拾って、残り物の雑炊を出してやった。それがどうやら、人生で一番うまかったらしい。
「この味……これは、神の膳……!」
「いや、味噌と野菜くずと獣肉の残り汁だけどな」
などというやりとりがあった。俺としては完全に“その場の施し”で、二度と来ないだろうと思っていたのだが、あいつは帰ってすぐ帝都の新聞記者に語ったらしい。「山奥に伝説の食堂がある!」と。
……余計なことを。
しかも奴は、自作の地図まで添えていた。無駄に正確な。
結果、今に至る。
今日も朝五時に起き、火を起こし、薪を割り、野菜を収穫し、鹿を解体して、味噌を練り、魔力で米を炊き……って、なんで俺、また戦場みたいな忙しさになってんだ?
「ゼン親父、今日も絶品だったぜ!」
「また明日来るよー!」
「親父ー! これ、うちの村の酒! 取っといてくれ!」
「お、おう……ありがとう……」
笑顔で手を振るが、内心はこうだ。
(――俺はただ、隠居生活がしたいだけなんだ)
元々俺は、帝国の騎士団にいた。まあ、いわゆるS級冒険者ってやつでな。それはもう、竜は倒すわ、国は救うわ、異界の門は閉じるわ、世界のバグは全部俺が直すわ、っていう人生だった。
でも、もう十分やった。戦いも名声も、富も名誉も手に入れた。けど、俺は悟った。
飯が旨くて、昼寝ができる生活が、一番幸せだってな。
だからこそ、この静かな山で、自分の手で食材を育て、誰かが「うまい」と言ってくれる料理を作る。……はずだったのに、現状がこれである。
そういえば昨日も、帝国から“取材班”が来てたっけ。なぜか全員、魔導兵器みたいなカメラを背負っていた。編集部曰く、「ガルヴァの食卓」というタイトルで、月刊誌を創刊するつもりらしい。
……連載はやめてくれ。
「親父、また行列伸びてるけど」
声をかけてきたのは、最近うちに居候しはじめた村の少年、ライルだ。器用で人懐っこく、見込みがあるから皿洗いを頼んでいたのだが……。
「親父の店、もう“村一番”じゃなく、“大陸一番”の人気じゃない?!」
その無邪気な笑顔に、俺はそっと頭を抱えた。
(だから……俺は……)
「……隠居生活がしたいだけなんだってばよ……」
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