第01話:【日常編】AIは鉄砲に代わる、武器である

がらんとした土曜日のオフィスは、まるで主を失った城のようだ。 蛍光灯の白い光だけが、虚しく俺のデスクを照らしている。 昨日、俺はこの城の主の座を追われた。そして今日、その城を明け渡すための「引継ぎ資料」の作成を、たった一人で命じられていた。


「……くそっ、なんで俺が……」


半年間、心血を注いできたプロジェクト。その後任者、徳田のために、なぜ俺が親切に道案内をしてやらねばならないのか。やる気など、1ミリも湧いてこない。


その時だった。


『何をうじうじしておるか、信忠!負け戦が決まった途端、無様に逃げ出す敗軍の将のようじゃ!』


静寂を切り裂き、脳内にあの声が響いた。


「うるさいですよ!もうどうでもいいんです!俺はプロジェクトから外された。ただの後始末ですよ、これは!」


俺が心の中で叫び返すと、信長は鼻で笑った。


『このうつけ者が。真の将は、城を明け渡す時ですら戦うものぞ』


「戦うって、どうやって……」


『良いか、信忠。小賢しい罠など三流のやることよ。一流の将は、圧倒的な〝格の違い〟を見せつけて勝つ。後任の徳田とやらに、AIを活用して完璧なる資料を作って見せよ。貴様の半年間の働きが、いかにこの城の石垣を支えていたかを、思い知らせてやるのじゃ!』


信長の言葉に、俺はハッとした。そうだ、腐っていても何も始まらない。


『儂の時代も、鉄砲を戦に導入した者などおらんかった。皆が物珍しい飛び道具と侮る中、儂はいち早くその価値を見抜き、戦の形を変えてやった。信忠、わかるか? 使えるものは何でも使え。AIとは、今の世の鉄砲じゃ。道具は、使う側になってこそ意味がある。お主の人生も同じことじゃ』


心の奥底から、黒い闘志が湧き上がってくるのを感じた。


「……へぇ。あんた、面白いこと言いますね」


俺が不敵に笑うと、信長は『ふん、当然じゃ』と満足げに言った。


「いいでしょう。やってやりますよ。後任が絶望するほど、完璧で分かりやすい引継ぎ資料をね!」


俺は信長の言う通り、AIに指示を出し、プロジェクトの全データを整理・要約させ始めた。驚いたことに、ものの数十分で、人間が何時間もかけて作るような資料の骨子が組み上がった。 俺はそこに、俺自身の経験という名の「魂」を吹き込んでいく。複雑な業務フローは図解し、膨大なデータはグラフで可視化。誰が読んでも理解できるよう、徹底的に「分かりやすさ」を追求した。


数時間後、サーバーにアップロードされたのは、もはや引継ぎ資料というより、一つの完璧な「教典(バイブル)」だった。


「ふう、できた……。これなら、誰にも文句は言わせませんよ」


俺は資料を提出し、その日は疲れ果てて眠った。


そして、何事も無いまま時は過ぎ運命の日。 俺が自分のデスクで別の作業をしていると、そこに今川部長が、見たこともないような卑屈な笑みを浮かべて立っていた。


「やあ、田中君……。ちょっと、いいかな?」


その声は、まるで喉に小骨が刺さった猫のような、奇妙に裏返った声だった。


「昨日、君が作ってくれた引継ぎ資料、見たよ。いやあ、完璧だ!完璧すぎて、後任の徳田君も『田中さんなしでは、このプロジェクトの機微は到底理解できません』って泣きついてきちゃってさあ……」


部長は頭を掻きながら、懇願するように続けた。


「それで、だ。大変言いにくいんだが……プロジェクトに、戻ってきては貰えないだろうか?」


俺は内心でガッツポーズをしながらも、あくまで冷静に、少し困ったような顔を作って見せた。


「……はあ。しかし、部長のご命令で外された身ですので」


「そこをなんとか!頼む、田中君!君がいないと、このプロジェクトは動かないんだ!」


俺の勝利だった。


その日の帰り。俺は、ここ数ヶ月で一番晴れやかな気分で、夜の電車に揺られていた。 脳内で、信長が満足げに言う。


『ふはは!見事じゃ、信忠。まずは一国、尾張を統一したようなものよ』


「ええ、本当に。あなたのおかげです」


これで明日から、また俺のプロジェクトが始まる。気分は最高だ。


『だが、浮かれておる場合ではないぞ、信忠』


不意に、信長の声のトーンが落ちた。


「へ? なんの話です?」


『本当の戦の準備は、これからじゃぞ』


信長が、ビジネスでの勝利に浮かれる俺に冷徹にかつ非情に言い放った。


『この時計を身に着けておる者は、毎週日曜日に『サンデーデスゲーム』、通称『サンデス』なるものに強制的に参加させられる。そこで「本当の命のやり取り」をするのじゃ。心しておくように』


「ん?………………はい?」


一瞬、思考が停止する。店長の言っていたワケありの噂、「本当の命のやり取り」という信長の言葉。全てのピースが、最悪の形で繋がった。


「……あの、それって、まさかとは思いますが、負けたら死ぬ、とか……?」


『うむ。その通りじゃ。負ければ……夢幻のごとく綺麗に消炭じゃ。日曜に備え、土曜はゆるりと休むがよかろう。儂からの助言じゃ。心して備えよ』


(休めるかぁぁぁぁぁぁぁ!)


俺の心の絶叫が、夜の電車に虚しく響き渡った。 下剋上とデスゲーム。どうやら俺は、とんでもないものを同時に手に入れてしまったらしい。

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