ここは花丸運送異世界支部

アンギラス

第1話 配達人


 鬱蒼とした森を駆け抜ける。

 壊れそうになるほどうるさい心臓。止めどなく流れる汗が全身を濡らし、渇ききった喉が痛い。疲労でもつれそうになる足を全力で動かす。助けを呼ぶ余裕などない。そんな暇があるなら逃げる方が先だった。

 剥き出しになっていた木の根に足を取られ、顔から地面に落ちた。口の中に土の味が広がり、必死に吐き出す。


 背後から近づいてくる足音。凶悪な魔物の面が頭に浮かぶ。

 絶望感に支配され、思考が真っ白になる。重く圧し掛かる疲労と激しい痛みに肉体が動いてくれない。手足の先が氷のように冷えきっている。


「たす……けて……」


 ようやく絞り出した言葉が森の中に虚しく消えていく。

 誰にも聞こえない。こんな場所では届かない。虚空に伸ばした手を掴み取る者はいなかった。

 滲んでいく視界の中で草むらが大きく揺れた。恐怖に目を瞑り、死を覚悟する。


 奇妙な間が訪れる。


 激しい衝撃もなければ、身を切られる痛みもない。恐る恐る目を開けると、一人の男が木箱を脇に抱えて立っていた。


 手入れのされていない髪に強い光を放つ瞳。引き締まった顔は精悍だが、どこか子供っぽさも残っている。

 着ている服も不可解だった。鎧でもなければ武闘服でもなく、紺色の作業服に薄緑の上着を羽織っていた。

 上着の胸元には『花丸運送』というロゴが刻まれている。この字は読めなかったが、下に書かれた文字は自分たちが使っているものだった。普通に読むならハナマルウンソウだろう。

 なぜこんな森の中にいるのかはわからなかった。


「お届け物です」

 目が合うと男はにっこりと笑い、木箱を差し出す。明るく弾んだ声に悪戯を成功させたようなやんちゃな表情。この場所では不釣り合いなのだが、不思議と安心できるものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る